鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

3月の天気

2024-01-17 14:06:45 | 思いつくまま


朝方6時の気温は3.5℃でしたが、9時には5.4℃まで上がり、正午には何となんとナント9.4℃まで上がりました。ヤッター、万歳、ばんざあ~いと叫びたくなります。


               

いつも聞いているラジオによると、午後2時には仙台で二桁となり、10.3℃を記録したと言っていました。これは3月中旬頃の気温といいます。雪は山にこそ降ってくれて、春からの稲作等に困らないように水をため込んでいてほしいものです。

                 

 

きょうですか、能登半島の輪島市では中学生たち250人が100キロ離れた白山市に集団で避難しました。全く突然の、予想だにしなかった集団避難です。気持ちの整理をつけるのは大変だったでしょうし、今田の整理がついていない中学生もいるかと思います。



白山市内の中学校で健康に十分注意して、前向きに勉学に励んでほしいなと切に思います。祈ります。少なくとも学校で勉強している間は勉強に、友達との雑談等に集中してほしいなと思います。

               

能登半島地震に見舞われた子どもたち、どうか横のつながりを大切にかつ強くしてこれからの人生を前向きに生きぬいてほしいなと切望します。


能登半島地震で亡くなった人は232人になったとラジオで言っていました。こんなに増えるなんて・・・。さぞかし無念だったでしょうね。無念とか残念とか思う間もなく自宅等の下敷きになって亡くなった人、それよりは恐怖かな、恐怖に襲われ亡くなった…。

13年前の東日本大震災の自宅内での揺れを思い出すと、本当に怖かった!!恐怖そのものでした。もう妻は半狂乱みたいになって泣き叫びました。怖かった、そして何と言っても長かった、長い、長過ぎました。私も妻を慰めながら、座ったままで動けませんでした。外に逃げようと思っても体が動かないのですから。もう完全につぶされるという恐怖以外の何ものでもなかったなあ。もう一度あのような地震に遭遇したら、心臓麻痺を起こすのではないかと思っています。もう耐えられません。

 きょうは阪神淡路大震災から29年ですか。約30年前。早いものです。まだ現役時代のことです。朝のテレビを見てびっくりしました。神戸市内がまるで大空襲を受けたかのように燃え上がっているではないですか。
 当時、阪神地区には知人が数人いました。幸い知人は全員無事でしたが。当時の政権は自社さ連立政権で、首相は社会党の村山だったですよね。眉毛が白くて長くて・・・・。
 キリがなくなるので止めます。

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