鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

マー君、沢村賞 おめでとう!!

2011-11-15 21:34:38 | お知らせ

 やりましたね、田中将大投手。 5年目での沢村賞とは大したものです。 さすが大物。 今後がますます期待されます。楽しみです。

  団扇とタオル

 ダルビッシュも惜しかった。2対3で田中に軍配が上がったようですが、二人に授与してもよかったくらい。 2008年ですか、岩隈が沢村賞を受賞したときも、ダルは2番手として涙を呑んだとか。 そういう意味ではついていません。 でも腐らないで来年も日本で活躍してほしいものですが、アメリカに行きたいのでしたっけ・・・・。

 日本シリーズ、ようやくソフトバンクが4-2で中日を破りました。 これから反撃でしょう。 何といっても野球はパ・リーグです。 パ・リーグが投打ともに、とくに投手は、セ・リーグを上回ります。 誰が何といってもパリーグが主役です。

 そこいくとなんですか、巨人の内紛!!いつまで渡辺会長をのさばらしておくのでしょうか。 85歳ですか。 もう老害以外の何ものでもない。 渡辺会長は経営者というよりは典型的な政治家タイプ、民間の政治家と見るべきです。 今年は尽く会長の思惑は外れたり、反対されたではないですか。 プロ野球からは手を切るべきです。 一体何様と思っているのか、読売の神様と自認しておるのでしょうね。 周りの人間はだれもNON!と言えない。 こういう体制、独裁体制が堂々とまかり通っているのだから不思議です。 まさに妖怪が跋扈している、利益を得る者たちが跋扈させているのでしょう。 何とも見苦しい!! 恥を知らないのか。 セ・リーグの象徴ですね。

 きょうはかなり風が冷たく感じました。 家でコタツに入っていても、背中が寒いのです。 あすも引き続き冷え込むようです。 きのう雪虫を見たからでしょうか。 

 いよいよ冬を迎えます。 でも、冷たいだろう今の川の主役サケたちは元気です。

          

 飢えの写真のサケは尻尾の方が白くなっています。 産卵のために小石底を掘ったのでしょう。

 下のサケはもう全身が真っ白といっていい状態。 痛々しいですが、散歩中の人々は暖かく見守っています。 連れ合いを見つけて無事産卵したのでしょうか。 そうであってほしいものです。

 

 これも早くつがいとなって産卵してほしい。 もう終わっているのかもそれませんが。 でもどうしてかは分かりませんが、今年のサケはとくに小型のサケが多いように感じます。 上の写真の2匹は大きい方です。

      

 全体に写真写りがよくないですが、光学ズームから電子ズームにして撮ったからです。 (お恥ずかしながら、この方法を知りませんでした。)


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澱橋下流左岸護岸工事

2011-11-14 21:16:14 | 広瀬川

 きのう日中”雪虫”を4匹見つけました。 小さくほんわかした尻尾を頼りなげに振ってよちよちと飛ぶ姿はとっても愛らしいものです。 聞くところによると、雪虫がとぶから雪が降るということではなく、また雪虫とはいっても実は年中飛んでいる(その割には他の季節には見たことない)とか。そう思うと味気ないですね。

 また、きのうタイヤをラジアルからスタッドレスに交換しました。 正しくは交換してもらいました。 これで少々の雪でも走れます。

 

 久し振りに澱橋下流左岸の護岸工事の様子です。 当初の工期は10月31日まででしたが、いつの間にか11月30日となっていました。

          

 崖の上の崩壊した部分の修復工事よりも護岸工事の方に主眼があったようです。 崖の崩落防止工事のための仮設道路つくりかと思っていたのですが。

 下の写真は先週市民会館の上から撮ったものです。いつの間にか?このようにきれいに護岸されていました。 それにしても水量が少ないです。 この付近の河川は草茫々、深い淵や澱み、急な流れ等があったのですが、すっかり平坦な、どこにでもある、なんでもない川の流れとなってしまいました。 魚の休息する場所、避難する場所、人が入り込みにくい場所はなくなりました。 

 はっきりいえば、つまらない、おもしろくない川になりました。

   

 そこできのう13日、作業がないことをいいことに現場に行って来ました。 この頃は立入禁止の黄色い旗ははためいていませんでした。 それどころか重機もダンプも現場事務所からいなくなってしまいました。もう工事は終盤、終期ということなのでしょう。

   

 きれいに意思が積み重ねられています。崩れないように頑丈な金網で囲っています。 コンクリートは流し込まないのでしょうか。

 

 なかなか壮観な眺めではないですか。こうやって見ると、石段は7段重ねに見えます。

       

 護岸部分と仮設道路、その仮設道路を侵食から守る頑丈なネットに入った石が、川がカーブしているところに設置されています。

 

 下の写真は護岸部分の最後尾ですが、これを見ると護岸の階段は10段であるということなのでしょう。 基礎の部分は地下で見えませんが、3段くらい埋もれているのでしょう。

       

 護岸の最後尾から上流側を撮ったものです。

 

 これは最後尾の土砂の上から上流側を見たものです。

       

 写真の中央に見える白い鳥、白鷺でしょうか。 とっても警戒心が強くて近寄って撮ることができません。 せめて一眼レフのカメラで、望遠レンズを使えればいいのですが、まあそれは無理な話しです。

 

 本当に工事はこういう状態で終了なのでしょうか??!!

 

コメント (3)
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仙台ゴスペルフェスティバル

2011-11-13 14:34:58 | お知らせ

 昨晩は失礼致しました。

 きのう飲みに行く前に、市民ひろばで開催されていた””第10回仙台ゴスペルフェスティバル””を少し見てきました。

 杜の都の歌声祭典、市民参加型の歌声祭典です。 余り時間がなかったので3団体の歌を聴いてきました。

    

    

 石巻雄勝中学校の歌声と平和の復興太鼓がとっても感動的でした。

 最初は歌です。

 

 その後の太鼓が素晴らしかった。 とっても力強く、何が何でも若い自分たちの力で雄勝地方を復興させてやるという気概が感じられました。

       

 

 ご覧のように太鼓はタイヤにビニールのカバーをしたものです。 前にも小学校のタイヤの太鼓を紹介したことがありますが、これは何といっても持ち運びに便利です。 しかも音は本物の太鼓と遜色がない。 本当にこれを考えた人、思いついた人は偉いです。

     

 控え場所には先生方や親御さんたちが一杯いて、カメラを持ったりビデをまわしたり、喜びに満たされている感じでした。

 ”未来へ届け、祈りの歌声”、力強い太鼓の轟きは必ずや未来に届くことでしょう。

 子どもたちの健やかな成長を心から祈るばかりです。


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酔っています。

2011-11-12 23:03:59 | お知らせ

 もうだめ。 酔って眠くてもうどうしようもありません。

 眠い!!!!

 スミマセン!!!!


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11・11・11

2011-11-11 20:50:50 | お知らせ

 きょうは「豚マンの日」でもあり、「麺の日」でもあるようです。

 寒くなってきました。今までが暖かかったということでしょうが、本当に寒くなってきました。 虫の音もすっかり途絶えて、寒々しい夜となっています。 おまけに午後から小雨が降ってきたり。 きのうの最低気温は4.5度、きょうは4.3度ということです。

 今週初めから我が家のコタツは完全な冬バージョン(敷き布団も掛け布団も分厚いもの)になりましたし、風呂上りには”ドンブク”を着ています。

 寒いと言えば、8ヶ月前のきょうも寒かった。

     

 下は、上の記録写真展に展示されていた写真の写真です。 3月11日の仙台市内繁華街の様子です。 (こうやってみると、写真の写真とは見えませんね。) 雪が降ってきました。

     

 そしてきょうは3月11日から丁度8ヶ月目に当たります。 愛想のないだんまりのドジョウは、今夜ついにTPP参加を正式に表明しました。 日本のいいところ、決してなくしてはならないところは維持していくとは言っても、相手はアメリカです、威圧的高圧的なアングロサクソンです、遮二無二なりふり構わず、アメリカ流のやり方を押し付けてくることでしょう。 目に見えています。 アメリカに物申すことなんか今までの経過からして無理な話しです。何といっても、日本の外務省はアメリカの外務省(分室)ですから、外務省は喜び勇んでアメリカのお先棒を担ぐことでしょう。情けないです、悔しいです。

 東北地方・太平洋沖地震が起きてから8ヶ月が経過しました。 世の中の被災地・被災者に対する関心は残念ながら薄れてきているといわざるを得ないでしょう。 仕方のないこととも思います。 同じ被災県・被災者とはいっても、直接津波に飲み込まれてしまったところと、そうではないところとではどうしても温度差が生じてしまいます。 ともすれば忘れがちになっています。 悲しいことではありますが、それも現実です。でも、そうではあっても、やはり3月11日に起きたことは忘れるべきではない、”みちのく”に住む人間として断じて忘れるべきではないと言わざるを得ません。 福島の原発はまだまだ余談を許しません。 地震・津波・原発、これらがきちんと解決されるまでは、ズーと関心を持ち続けて、いや政府や経済界の動きを「監視」し続けなければならないと思います。

 そのためにも、”みちのく”の人間なら下記の本を読み、語り続けて行こうではありませんか。

 『6枚の壁新聞』・石巻日日新聞・東日本大震災後7日間の記録 (角川SSC新書 130 933円(税抜き))

    

 『河北新報のいちばん長い日』 (文藝春秋社 1333円(税抜き))

    

 地元のマスコミがしつこいと言われようと、執拗に「地震・津波・原発について、復旧から復興に至るまで追いかける、追い続けることが必要です。 アナログ人間としては、テレビよりは””新聞””に根気よく取り組んでいただきたいと切に願っています。

 

 石巻日日(ひび)新聞社は、1912年(大正元年)創刊の夕刊紙で、石巻地方を中心とした「地域紙」であり、社員は経営陣を含めても28名、発行部数は14,000部(大震災前)ということです。

 地震と津波の被害をもろに受けていますが、それをものともせず、何としても新聞を発行しよう、正確な情報を知らせよう、地域の人たちが必要としている情報をきちんと伝えようという精神は全社、全社員に染み渡っており、その意気込みには頭が下がります。

 本当に津波で命拾いをした複数の記者がおり、それでも、それぞれがそれぞれの居たところで取材を継続し、責任をもって何としても必要としている住民に情報を伝えようという不屈の精神には圧倒されます。

 その精神が手書きの壁新聞を7日間作らせたわけです。 この壁新聞はワシントンの報道博物館NEWSEUMで展示されていることはみなさんご存知でしょう。また、国際新聞編集者協会から特別褒章も受けていますし、国立国会図書館のデジタル資料としてインターネットでも公開されているそうです。

 

 河北新報は1897年創刊で、宮城県を中心として東北6県を発行域とし、114年間1日休まず発行し続けてきている、地域のブロック紙です。新聞を何としても発行するのだという気概が随所に見られ、それが原動力となってここまで奮闘努力してきました。 それが伝わってきます。

 全国紙ではないことの悔しさも感じられ、だからこそ地元に寄り添い続けるという精神に繋がっています。

 この本を読んで、改めて新聞というものは、取材、執筆から編集、印刷、そして輸送(これが見過ごされがちですが、とっても大事なことなのです。)、最後に配達という一連の切っても切れない流れの大切さが伝わってきます。

 さらに本社、総局(支局)、販売店という流れの大切さも理解できました。 本社、子会社、関連会社、地区の販売店と密接な関係、潤滑な流れがあって新聞が発行・配達されるのですね。

 社内の意思の疎通を図るということのため、4月11日から2週間にわたり、報道部の記者を中心にアンケートをとったのですが、ほぼ全員の118人から回答があったということです。 それは記者の正直な胸の内を知ることが出来たこと、早い段階から各人の行動記録をまとめておけば会社の記録ともなり、将来役に立つだろうこと等のメリットがあり、この本をつくるのにも大いに役立っているのです。 実名によるアンケートでした。 これは被災した各自治体も各職員にアンケートを実施して、各部署ごとに記録しておくべきでしょう。とくに第一線で苦労した職員の活動記録はまとめておくべきではないでしょうか。 被災した会社でも実施すべきです。

 

 いずれにしても、地域紙、地元紙の存在意義や、報道はどうあるべきか、報道と救済・救援とか考えさせられました。 記者たちには今後とも地域に寄り添った新聞を作り続けてほしいと思います。 こんなにも全力で、必死な思いで記事を書いていたこと、その気持ちを持ち続けてこれからも地道に、それでいて精力的に活動してほしいと思います。

 


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瑞鳳殿

2011-11-10 22:17:17 | お知らせ

 また先月の話しで恐縮です。 10月28日(金)ですか、せんだい豊齢学園の課外学習で、仙台藩祖 伊達政宗公霊屋敷である「瑞鳳殿」に行って来ました。

 瑞鳳殿は、1636年に70歳で亡くなった政宗の遺命により、翌年1637年経ヶ峰に造営された政宗の墓所・霊屋です。

 何十年ぶりに詣でたでしょうか。 結構勾配がきついなと思いつつ階段を上りました。 杉の大木が向かえます。 久し振りの森林浴です。気持ちがいいものです。清々しい気持ちになったところで丁度参拝できるようになっているようです。

 涅槃門を通って石段を上れば、政宗の霊が待っていいます。

  

 1931年に国宝に指定されたのに、1945年の空襲で消失してしまいました。 国宝の仙台城の大手門も空襲で灰燼に帰してしまいました。

     

 これが正真正銘の”竹に雀”の仙台藩の紋章です。

      

 消失してしまったため、1979年(昭和54年)に再建されました。               

 上下の写真は向かって右側の屋根下と屋根瓦の様子です。          

 下の2枚は向かって左側の屋根瓦と軒下の安土桃山時代の絢爛な組み合わせの模様です。

 

 

 国宝の大崎八幡宮と同じ建築様式です。

 経ヶ峰には、政宗のほかに二代藩主忠宗の感仙殿、三代目綱宗の善応殿があります。

 如何にも伊達男に相応しい豪華絢爛な霊屋(おたやま)ではないですか。

 因みに、政宗の身長は159センチ、忠宗は165センチ、綱宗は155センチだそうです。


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東日本大震災と方言

2011-11-09 07:05:49 | お知らせ

 丁度1ヶ月前になります。早いものです。10月9日(日)午後1時30分から4時30分まで、仙台国際センターにて、『東日本大震災と方言』と題する研究報告会が開催されました。 主催は東北大学国語学研究室です。

 とってもユニークというか、そういう切り出し方もあるのかと新鮮に感じ、参加してみることにしました。 下の写真の左側がチラシで、右側はとても立派な報告書(147ページもあります)です。

   

 今回の大震災では、全国からいろんなお国言葉、方言をもつ老若男女がみちのくにボランティアとして駆けつけてくれました。 基本的にはいわゆる標準語で話し合うのでしょうが、地元の高齢者は方言丸出しの人がいるだろうし、支援するためには意思の疎通が必要で、支援の現場でお互いどんな言葉が交わされ、どのように意思表示が行われていたのか知りたいと思ったからです。

 目次は;

 担当教授による趣旨説明【われわれがなすべきこと~震災のなかの方言を前にして~】 のあと

 1 被災地の方言はどんな方言か

 2 貴重な方言が消えていく

 3 方言は被災者を支えることができるか

 4 被災地の方言をめぐる社会的問題

 5 いかに方言は保存されるべきか

 6 方言のこれからの記録に向けて  というものです。

 途中で帰ろうかなとも思ったのですが、とうとう帰れずに最後まで付き合いました。 殊勝な心掛けです。 報告は1から6の主題について、担当者が20分で報告していくという形で進行したのですが、どうしても長くなります。 報告者は東北大学国語学研究室の大学院生です。

 私のようなアカデミーとは全く関係のない後期中年者にとっては、正直言って楽しいものではありませんでした。 方言になじみが薄いこと、専門用語が多いこと、引用が多すぎてオリジナリティが少なく物足りないこと等があり苦痛な時間帯?でもあったのですが、その中で面白いと思ったことは、「4 被災地の方言をめぐる社会的問題」≪気仙沼方言入門≫でした。

 

 B4版両面印刷二つ折りのチラシです。

 

 3 間違いやすい単語  の部分です。 言われて見れば確かにそのとおりです。 ナゲル=捨てる、 コワイ=疲れた、 ワガンネ=だめだ、ということは、瓦礫の撤去や作業、肉体労働にとっては絶対的に必要な言葉です。

     

 そして全国から医療関係者が支援に駆けつけてくれましたが、医者と意思の疎通を図るため、症状を訴え、症状を理解してもらうためには、このような方言を診察する側の人たちに知っておいてもらわなければいけません。

     

 このことは今後日本のどこで、どんな災害が起きるか分からないという状況の下、お互いに国民同士県境を超えて協力・支援していくため、助け合うためにも、その土地の重要な方言、とくに医療や病気に関する方言はきちんと把握した上で、誰でも理解できるようにしておく必要があるのではないでしょうか。 いやその必要があります。 

 災害対策マニュアルはどこの市町村にもあるでしょうが、その中に”方言”という項目も追加しておくべきではないでしょうか。 救援・支援に来てくれた人たちに、人たちとの意思の疎通がスムーズに図られること、それが迅速な救援とかに結びつくでしょう。

 

 でもそうは言っても、教育界における方言の取り扱いはどうなっているのでしょうか。 子どもたちに受け継がれているのでしょうか。 現在日本の家族形態からいっても方言は消える運命にあるのではないでしょうか。 地域コミュニティの復興のためにも、方言教育が必要と思いますが、学校教育では子どもたちにきちんと教えているのか、教えていくべきと考えます。 地域を学ぶ一環として方言を大切にしていく、引き継いでいく教育が必要です。 とくに重要と考えられる方言、それをみんなで話し合い、抽出して、地域の宝物として後世に引き継いでいく、それが必要でしょう。

 世代間交流を図り、密接にしていくためにも方言教育は必要です。本当は家庭教育なり、地域教育として伝えていくのが望ましいのでしょうが、現状では不可能に近いのでまずは学校教育から出発してほしいと思います。

 「われわれがなすべきこと」のなかで言っていること、『文化としての方言、さらには生存に関わる方言の意義』 『方言はわれわれにとって、もっとも貴重な文化遺産である』 というのであれば、なおのこと子どものうちからきちんと方言教育をしていくべきではないでしょうか。


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立冬ですね、・・・グンソク!

2011-11-08 21:57:45 | 思いつくまま

 突然ですが、チャン・グンソク、ご存知ですよね。 韓国のイケメン俳優でもあり、歌手でもあります。 「ベートーベン・ウイルス」とかの韓国のドラマでは見ていました。 なかなかにいい男前で、声もいい。 自分自身にも他人にも冷たく接する、冷淡な人間というイメージが強かったのですが、いろんな面をもっているのが分かりました。

   

 749CHで放送された韓国映画を2本見ました。 いずれもチャン。グンソクが主演をしたり、いい脇役をしたりしている映画で、2007年製作の『楽しき人生』、2008年製作の『赤ちゃんと僕』です。 みなさんはすでにご覧になっていますか。

            

 『楽しき人生』では俳優と歌手という2面性を如何なく発揮しています。ギター演奏も様になっていますし、歌もそれなりに上手く感じます。この映画では、グンソクよりも周りの中年3人組の生き様が中心となっていて、男の弱さ、幼さ、健気さが上手く表現されていて、思わず感情移入してしまいそうです。 女ももっと夢を持てよ!といいたくなります。

  

 そこいくと、『赤ちゃんと僕』は何も気にしないで素直に笑える、楽しめる映画となっています。突然赤ちゃんの父親となってしまった18歳の高校生(グンソク)を中心に動きますが、赤ちゃんの可愛さにとっても癒されます。 私の子ども達も小さい頃はあんなにも可愛かったんだ、可愛かったなあ、それなのに、・・・・、なんて思ってしまったり。

             

 まあ、『アジョシ』と比べたらはるかにこの2本の映画のほうがよかったです。

   

 それはそうときょうは立冬です。 小春日和の一日でしたが、気圧配置は西高東低で、冬の気圧配置です。 これから本格的な冬を迎えるのでしょう。 いよいよ寒くなるのでしょうか。 何か聞こえてくるところによると、今年の冬は一段と寒い冬となるようで、ついつい身構えてしまいます。

        

 そのためでしょうか、きのうまで元気に鳴いていた虫の音が全く聞こえなくなりました。 それはそれは見事としか言いようがありません。 ピタッと鳴き止んでしまいました。 ”虫の知らせ”ということではないでしょうが、自然はすごいというか、よくできているというか、不思議ですね。 まさか家の周りの虫たちはコロッと死んでしまったというわけではないでしょうに。 きょうから冬に入ったのだということを教えてくれたのでしょうか。

 

 写真は山野草です。何という名前かは分かりません。 なんにしても小さくて可愛いものです。 いじらしいくらい健気に感じます。 6日撮影

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分流のサケ

2011-11-07 21:52:54 | 広瀬川

 きのうはほぼ一日雨降りとなりましたが、広瀬川の水位はさっぱり増えません。 ダムの方に蓄えられたのでしょうか。

 きょうは11月7日で、あした8日が立冬ですか。 そしてきのう6日は桂米朝師匠の86回目の誕生日だったそうです。 落語家にして人間国宝です。 上方落語の大御所も大御所ですね。 桂米朝(敬称は略)については、箱入りの3冊の本をもっていますので、これも老後の読書の楽しみです。

 そうそう楽しみにしている読書と言えば、この前書いた以外に丸山真男があります。 日本の政治学の知の巨匠といっていいかと思っています。 現代の混沌とした時代にどう反映させていくことができるか、光明を見出すことが出来るかどうか、楽しみでもあります。 あとは竹内好も読み直すのが楽しみです。 現代中国を知るきっかけをつくってくれたのが他ならぬ竹内好だったからです。 彼の見通しと現在の中国のあり方、これからの中国の将来性、それを汲み取ることができるかどうか、その前に私自身にそういう能力があるかどうか、きわめて不安ではありますが。 それとできるかどうか分かりませんが、橋和巳の著作も改めて読み直せたらいいかなと思っています。 何といっても私の学生時代の拠り所、大袈裟に言えば生きる支えとなった学者にして小説家です。 学生時代に読んだ興奮というか、感激が還暦を過ぎてからも味わうことができるかどうか、自分の人生を振り返ってみるのに丁度ぴったりの作家が橋和巳ということが言えます。

 話しが脱線してしまいました。 分流のサケの前にまだ桂米朝です。どうしても話しは古いことに向かいますが、40年前の桂米朝はまだまだ若く(46歳)上方落語界を牽引していました。その頃は上方落語は辛うじて生き残っているという感じで、落語家たちは、何とかしなければいけないという厳しい認識を持っていて、上方落語の復興に向けて地道な活動を続けていました。 一方の雄が桂米朝ですが、もう一方の雄は笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)でした。 でも当時は松鶴の方が重鎮という感じでした。 上方落語会では「桂」と「笑福亭」が力を持っていたのでしょうか。 

 なぜ40年以上前の上方落語について知っているのかと言われれば、当時関西に住んでいて、出来たばかりの「島之内寄席」に通っていたからです。 島之内寄席の場所は、何と島之内教会を使っていたのです。当時は桂三枝も桂文珍も駆け出しといっていいくらいだったのではないでしょうか。 出番は当然最初の方でした。 トリを努めるのは、前述した桂米朝や笑福亭松鶴です。 貫禄がありました。 安心して楽しんで聞くことができました。 その人が86歳、人間国宝にまで出世?したのです。凄いことです。 その価値が十分ある人です。 まだまだ長生きして後輩の指導に励んでほしいものです。 もっとも息子がしっかりしているから大丈夫かもしれません。 でも、桂枝雀のようなこともありますので、余り根を詰めて自分を追い詰めてしまうことはないようにして欲しいものです。

 きょうの本題です。サケです、広瀬川分流の。 元気に泳いでいます。今日の夕方現在では8匹+αです。 今年のサケの特徴は体が余り傷ついていないことです。 痛々しいくらいに皮膚が白くなったりしたサケはいないのです。 ただ大きさは中型から小型が多い感じです。

 きょう行った朝市でのオスのサケは1匹で700円だったかな。1週間前は900円くらいだったのに。オスは侘しいですね、価値がありません。

  

 撮影はきょうの夕方近くです。水面がなるべく光らないように夕方に川に行くようにしています。

 

 川底が小砂利のところに集まります。

 

 そしてそこの石を磨きます。 巣作りのため、産卵のためです。

 

 だからその部分の川底の小砂利はきれいに磨かれています。明るくなっています。

 ようやくメスでしょう、産卵場所をつくっている作業中のサケの様子を撮ることができました。

 

 じっと見ていると、サケは追いかけっこをしています。 オスがメスを追い掛け回しをしています。 産卵という共同作業をしようと働きかけているのでしょう。 うまくいけばいいのですが。

 かといって一方では一人いや1匹だけで離れて泳いでいるサケもいます。 哀れかもしれませんが、頼もしくもありますし、健気でもあります。「白鳥は悲しからずや空の青海の青にも染まず漂う」という気概を持っているのでしょうか。


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バラは綺麗ですね、

2011-11-06 22:15:48 | お知らせ

 きのうのことになりますが、午後のこと。 買い物の帰りバスから見えました。 ビックリしました。 こんな光景初めてです。 こんなこともあるんだ。 一体誰が?何のために? 東二番丁通りのタワービルの前。

     

 何とそこにはあのスーパーカー、””ランボルギーニカウンタック””が、それもギンギラギンに着飾ったランボルギーニが、それも6台くらいも停まっていたのです。 それぞれの装飾は異なります。

 でもいずれもどぎついくらいに装飾されているのです。

     

 いままでも1台くらいなら見たことはありますが、6台くらいもの超高級車、スーパーカーが並んでいるのです。 威容でもあり、異様でもあり、そこだけ光り輝いていました。 眩しく浮き上がっていました。 でも目の保養にはなりました。 こういうことは時々あってもいいですね。

 

 またしてもきのうのことです。 11月5日は「津波の日」ということでした。 正式には『津波防災の日』とか。 今年6月に制定されたので、まだ十分に知れ渡ってはいないのでしょう。 私も、11月3日の朝日新聞の記事を読んで分かった次第です。

 制定の目的は、国民の間に広く津波対策についての理解と関心を深めるようにするためといいます。

    

 記事はなぜ3月11日ではなく、11月5日になったのかということを問うています。 1854年11月5日に起きた安政南海地震がもとになっていて、去年の6月に自民党と公明党が衆議院災害対策特別委員会に提案したそうです。 このことを知っている人がいますか。 

 民主党としては、安政南海地震で被災した和歌山県を選挙地盤とする自民党の元経済産業相二階何某が中心となってまとめたため、津波を利用して地元に利益誘導するためではないかと勘ぐり、難色を示していたそうです。

 その後今年になって東日本大震災が起こり、今度は民主党が中心となって3月11日を「津波の日」とする法案をまとめたが、今度は自民党が納得せず、いろいろすったもんだした挙句、つまりは党利党略により、11月5日が「津波の日」となったという次第。

    

 党利党略、永田町の論理だけでことが運び、制定されたようですが、記者は、法律の趣旨から見ても、どう考えても3月11日を””津波の日””とすべきと結んでいます。

 呆れてしまいます。 現在の国会議員をみればさもありなんと言えますが、それにしてもひどすぎます。 3月11日の大惨事がなければ11月5日でよかったとは思いますが、3月の巨大津波により2万人の人々が死亡もしくは行方不明になったことを考慮すれば、誰が考えても3月にすべきではないでしょうか。 所詮、国会議員と庶民との間には乗り越えられない垣根があるということなのでしょうか。 国会議員を選んでいるのも国民なのですが。

    

 そういえば、今宮城県では4月に実施できなかった県会議員選挙戦中です。 全くもって盛り上がりません。 これでいいはずはないのですが。

 

 バラの写真は、きのうきょう開催の地域の文化祭で展示されたバラです。 とっても素晴らしい名前が付けられているバラなのですが、名前はすっかり忘れてしまいました。

 マリーアントワネットとか、クイーンエリザベスとか、ロイヤルプリンセスとか、いろいろあるのですね。  世の中には知らないことが多いです。

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使えるんです!大学図書館

2011-11-05 21:43:36 | お知らせ

 あしたから雨という天気予報ですが、今日一日は曇り空。 そんな中生涯学習の一環として、”まなびのめ Live 版”「実は、あなたも 使えるんです!大学図書館」に参加してきました。 大学とは東北大学です。 わが家からは自転車で10分もかかりません。

 場所は川内地区。 戦前は陸軍の第2師団の師団司令部があったところで、戦後はアメリカ占領(進駐)軍の施設があったところです。 アメリカ軍が撤退してからしばらくして東北大学が使うようになりました。 東北大学教養部として。 ここでの思い出は一杯あるのですが、それはいつか後ほどに。

    

 丁度きょう5日は東北大学の大学祭の日でもあり、学内は若い人たちで賑やかでした。 下の写真は千円札を模した学園祭の看板です。 珍しいから撮ってみました。

    

 午前10時から12時までの2時間の予定ですが、前半では館長による図書館の説明が、パワーポイントを使って、ありました。

 図書館の蔵書は380万冊ありますが、3月の地震で160万冊が棚から床に落ちてしまい、元に戻すのに全職員、ボランティアを使って必死に取り組んだそうです。 でも、4月7日の大きな余震で再度崩れてしまったとか。 図書館自体も建物に被害を受けているのですが、政府の補正予算がまだ可決されないので、修理に移れないそうです。

 館長の説明は””生涯学習の場としての大学図書館””と題して行われましたが、大雑把に世界の図書館の成立から日本における大学の図書館、東北大学の歴史と附属図書館、図書館の電算化・電子化、そして大学図書館の地域貢献活動へという流れでの話しでした。

 その後は4つのグループに分かれての館内探検ツアーとなりましたが、いやあ楽しかった!!市民図書館とは違った研究所や専門書を中心とした図書館、でも新書や文庫は一杯あるし、文学全集も揃っているようで、嬉しさに心ウキウキ、こういうところで学生時代に戻って、本に囲まれて時間を過ごすというのも憧れでしたから、身近にある大学の図書館に通い詰めるというのも悪くはないな!!そういう気持ちで館内を回りました。

 というのも我々一般市民も本は見られますし、登録してカードを作れば貸し出しもOKです。 しかも、図書館は年末年始しか休みません。 公立図書館のように月曜日休館ということはないのです。

 更にですよ、開館時間は午前8時から午後10時までという14時間の長い開館。 土・日・祝日は午前10時から午後10時までの12時間の開館。 仙台市民図書館は午前10時から午後7時までです。 土・日・祝日は午後5時までです。

 利用しない手はありません。 川内付近には県立美術館、東北大学(図書館)、市立博物館があります。 お昼は大学の学生食堂を利用できます。 一日中この周辺で過ごせます。 何という素晴らしい環境でしょうか。 そして夏はすぐそばの広瀬川でアユ釣りができるのです。 ブラボーです。 親にスパシーバです。

 図書館は今年で開館100年になります。その記念企画展として「煌きのコレクション」が1階の展示室で開催されていました。 国宝の文書も展示されていました。 でも私にとっては「西洋の名著」がとっても嬉しかったです。 その中に Das Kapital 「資本論」の初版本があり、それには KARL MARX の自筆の献辞が書き込まれているのです。 達筆ですね。はじめて見ました、マルクスの自筆の署名を!!感動です。

 こうなれば何としても死ぬまでに「資本論」を読み通さなければ、と思ってしまいました。 向坂逸郎訳です、岩波書店の本。

 夏目漱石、芥川龍之介、柳田國男、太宰治等の全集を読むこと、読み直すことが余生の課題?楽しみとしていますので、それに資本論も加わります。 果たしてどうなることやら、・・・・。

 


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諸々なこと

2011-11-04 21:13:29 | 思いつくまま

 何とつまらない”どじょう”であることか!! 情けない。 小川のどじょうに申し訳ない。 どじょう野田首相の国会での答弁をテレビで見ていてがっかり、げんなり、ぐったりしてしまいました。 ひたすら官僚が用意した答弁書を読むだけ。 ずーと下を向いたまま。 そんなに難しい質問に対する答弁でもないのに。 恥ずかしい!! 財務大臣のときから財務官僚に完全に取り込まれていたので、期待はしていませんでしたが、民主党の代表選ですか、その時の演説はとても新鮮なものに感じたので、もしかしていい線をいくかもしれないと少しは期待する気持ちもあったのですが、みごとに裏切られました。 俯いたままでの答弁書読みだけではなく、あろうことか質問されていないことについてまでも、黙々と棒読みしていくという無神経さ、軽さ、最早どうしようもありません。 最低、最悪です。 まったく面白みがない。 淡々とした無味乾燥な棒読み。 見るに耐えませんでした。 やる気が全く感じられない。この日本の窮状を必死になって何とかするのだという意気込み、覇気が感じられません。 日本の不幸です。 許せないのはそれでいて原発を輸出しようとしていること、輸出しようとするのであれば、脱原発なんて言えませんよね。 もともと脱原発なんてこれっぽっちも考えていないのでしょう。 そして極めつけはTPPへの参加をほのめかしていることです。 極論すれば自動車産業のために農業をだめにし、日本をアメリカの属国にしてしまおうとしていること。 アメリカというご主人様に忠誠を誓いたくてうずうずしているのでしょう。 それでなくても食料自給率が低いのに、これ以上農業を自由化したらどうなってしまうのでしょう。 自給自足できない国は独立国とは言えません。 全ての国家の基礎は農業です。食料を確保できることです。 国民を飢えの心配から開放することです。 それがアメリカのご機嫌取りのために、自国の、それでなくても低い食料自給をさらに低くしようとする、これはまさに売国行為です。 決して許されることではありません。 アメリカをはじめいわゆる先進国はどこも農業がしっかりしています。 当たり前です。 国家の基本は自立した農業ですから。 アメリカに堂々と文句を言える、渡り合える、例えはよくないですが北朝鮮みたいに、自国の利益を守るために確固たる信念を持ってアメリカと外交をやっていけるような気概を持っているのなら話しは変わってきますが、現実は全てアメリカのいいなりじゃないですか。昭和20年の敗戦をまだ引きずっている感じというのは情けない極みです。でも0アメリカの言いなりになるのが日本のため、日本の外交と思っている(とくに外務省も)のですから、何をかいわんやです。 

 きのう東北大学の図書館で古本の販売がありました。 大学として不要となった本を、どの本でも1冊100円で販売したようです。 私も行きたかったのですが、第9の練習があったために行けませんでした。 もっとも行ったならばたくさん買ってきて、奥さんから、どうするつもり!!一体何を考えているの!!さっぱり本の整理をしないくせに!!買ったらその分他の本を処分したら!!とかメチャクチャ言われたでしょう。 その代わり?ということはないですが、明日は”まなびのめLive版”「使えるんです!大学図書館~東北大学で学び方を学ぶ~」があります。川内にある東北大学の図書館にはじめて入ります。もともと一般にも開放してはいるのですが、なかなか入る気にはなれませんでした。 今回「使えるんです!大学図書館」という催し物があり、これ幸いと参加を申し込んだわけです。

 また、きのうは地域の私立の学校と地域との交流会がありました。もちろん?私は行けなかったのですが、奥さんが行って来ました。今年で5回目になります。正しくは学校の生徒と「地域高齢者」との交流会と銘打っているのですが、「高齢者」はとってもいいのではないでしょうかね。 プログラムを見てみると、キリスト教の学校ですので、礼拝から始まって合唱、ダンス、人形劇、アルファー米を交えた軽食と懇談、朗読、ゲーム、歌と盛りだくさんです。3時間の予定ですから、プログラムも大変ですよね。 次回は私も出てみたいものです。 同じく地域の私立の学校のちょっと早いクリスマス会が21日の夕方にありますが、こちらは参加してみるつもりです。 これらはいずれも町内会を経由して開催文書が回ってくるものです。

 最後は干柿です。10月26日に川をむいて干しましたが、今はこうなっています。 大分柔らかくなってきました。 美味しく出来上がりそうです。

      

 大好物の干柿です。前は中国青島の干柿が安く売られていたのですが、今は店頭から消えてしまいました。中国の食べ物は何が添加されているか分からないということで。 でも美味かったんだけどなあ。何の問題も起きなかったし。もう一度食べてみたい。

      

 もう一度食べてみたいものといえば、りんごではインドりんごです。あの固くて甘いリンゴ、もう一度食べてみたい!!甘いだけといってしまえばそれまでですが、固さと甘さがマッチしているところがよかったんですが。


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青葉区民祭りとアート展と第9と

2011-11-03 21:34:25 | お知らせ

 きょうは11月3日、文化の日。 明治天皇がお生まれになられた日。 仙台では晴天になる確率が高い日でもあるようです。

 11月3日は恒例となっている青葉区民祭りの日です。 写真を撮りにちょっと行って来ました。 開会式の前の合唱と伝統の雀踊りの模様です。

         

 むすび丸 ですか

 10時から雀踊りが始まっていましたが、選りすぐりの団体でしょうか、5つか6つの団体でした。

 下の写真ですが、どこにでもこういういじけた?子どもはいるものですが、それはそれでいいではないですか。 可愛らしいものです。 一人だけ踊ることなく同じところにい続けるということだけでも凄いことです。

 

 これはいかにも雀らしい踊りではないですか! それぞれの団体は工夫を凝らしています。

        

 定禅寺通りの中央のグリーンベルトでは「杜の都のアート展」が開催されていました。 もう15回になるようです。 東二番丁から市民会館まで何百メートルになるのでしょうか、もの凄い数のブースがありました。団体数では239とか。 それぞれの団体がユニークな作品を並べていました。 壮観といっていいと思います。

           

 こうやってみると、定禅寺通りのグリーンベルトはとっても利用価値があります。 昭和20年の仙台空襲後このような都市計画道路を考えた人は偉いものです。

     

 午後1時から、「サントリー10000人の第9」の最初の練習が宮城学院女子大学でありました。

       

 with  TOHOKU とあるように、練習回数も2回しかないし岩手県や福島県からも来るのかなと思っていたのですが、宮城県だけの練習でした。 erは「巻き舌」に戻りました。

 次回23日は3県合同の練習となるようです。

 仙台では演奏はスクリーンを通しての合唱となるようです。 もちろん指揮者がつきます。 きょうの練習の指導者でもあり指揮者でもある男性なのですが、名前が思い出せません。 副指揮者という位置づけですが、実力が感じられ、なかなか面白い先生です。

 オーケストラについても詳しいので、合唱とオケの両面から指導できます。 山下先生や小泉先生のときのマエストロ稽古の時の指導とは異なります。 だから新鮮に感じるのでしょうか。

 ソプラノとアルトのパートは現役の女子学生、テノールとバスはオジン集団、こういう年齢構成でもいいのでしょうか。 我々オジングループとしては若々しさをもらっていいのですが。

 総監督・指揮は佐渡 裕さんですが、23日は彼が来仙して指導してくれます。3県合同、200人による合唱は凄いでしょうね。 楽しみです。 

 悔しいのは私が下手なことです。 みんなの足を引っ張らなければいいと思いながらの練習です。 何て下手なのだろうと思いながら、落ち込みながらの練習は辛いところもあります。 下手だから一番前に陣取りました。 指揮者がすぐ目の前だから緊張するのですが、後ろからの音を聴くためには前に居ないと。

 きょうの1回目の練習の模様は、地元の東北放送のテレビと、大阪の毎日放送のテレビが取材していました。 放送が楽しみです。


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来てくれました! サケ

2011-11-02 16:36:00 | 広瀬川

 嬉しいニュースです。 実際はもっと早く来ていたのだろうけど、私としてはきのう遡上したサケを確認しました。

 お昼頃牛越橋を車で通ったら2,3人の人が橋から川を見ていました。あっこれはもしかして遡上してきたサケを見ているのかと直感しました。昼食後カメラを持って牛越橋へ。 橋の下流側にいました、サケが。 ざっと見たところ10匹前後でしょうか。

 テトラ付近のトロ場と発電所からの流れがチャラ瀬をつくっているところに群れていました。 私のデジカメでは近寄らないと撮れません。ズームも3倍までです。

 

 上下の2枚の写真は浅瀬にいるサケです。 背びれと背中が見えます。

 

 時折産卵場所を造るためでしょうか、水しぶきが起こります。

 

 下の写真は浅瀬を乗り切ろうと挑戦しているところでしょうか。 でも見ている間には1匹も乗り越えることはできませんでした。

 

 牛越橋にサケがいるということは、下流域の分流にもいるだろうと思い、ワクワクしながら堤防を下流に向かって歩きました。

 

 そしたら、いたのです、分流にも。 ただここのサケは小さかった。何故なのでしょうか? 見つけたのは3匹で、1匹はもう死んでいました。

 この2匹はうまいこと番となったようです。 よかったですね、連れ合いを見つけられて。 あとは無事産卵してくれればいいのですが。

 

 この下流にもう1匹のサケを見つけましたが、相手がいませんでした。 でも、この分ならこれからもっと遡上してくるでしょうから、いいパートナーを見つけてくれればいいですね。

 河原の散歩に楽しみが増えました。

 ご苦労さん、お疲れさん!!

 


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ご覧になりましたか、「とくだね」

2011-11-01 15:49:41 | お知らせ

 きょうから11月です。 寿司の日とか。 でもきょう一日とってもいい天気でした。 家の中よりも外の方が暖かいくらい。

 毎朝8時からフジテレビ系列で放送されている「とくだね」、ご覧になったでしょうか。 石巻市立大川小学校の6年生(3月時点では5年生)、只野徹也君の236日を追ったものを特集していました。 ついつい引き寄せられるように見てしまいました。

 『大川小 生存少年の苦悩 236日』

 徹ちゃん(と呼ばれています)は、3月の大津波で、祖父・母・妹の3人を亡くしました。 現在は祖母・父との3人暮らし。 

 今大川小学校の児童は24人とか、別の小学校に通学しています。 徹ちゃんはやや太り気味?の大きな体格の子どもで、柔道を習っています。 とっても明るい性格の子どもで、自宅にある祭壇に毎日線香を手向けています。 12歳の誕生日を向かえ、バースディケーキのロウソクを吹き消したあと、すぐ食べるのかと思いきや、まずきちんと祭壇の前にお供えするという礼儀正しさ。 何とも健気です。

 ランドセルには写真を入れています。地震の約1週間前にクラスの全員で撮影した写真です。 7,8人が亡くなっています。 いつもその写真とともに学校に行っています、友達全員と。

 人知れずたくさん泣いたのか、番組では涙を見せません。 カメラの前では明るくはきはきと行動し、発言しています。 あまりにも健気過ぎて、逆にこれで大丈夫なのか、いつか反動がくるのではないかとさえ感じてしまいました。 おばあさんやお父さんが優しく徹ちゃんの気持ちを十分に受け入れているからでしょう。 だから毎日元気に登校できるのでしょう。

 このブログでも紹介しましたが、「子まもり」という母子像の除幕式に子ども代表として教頭先生に招かれ、像の周りに小石を巻く役をやり遂げたとか。

 高台から大川小学校の方を向いて「ヤッホー」と大きな声を出して亡くなった友達に呼びかけました。 「バカヤロウ」とも言っていました。 そこは一時亡くなった子どもたちの仮の埋葬地だったとか。

 『これでみんなかえっていった』 

 彼なりにけじめをつけたのでしょうか。

 

 きょうの河北新報の記事です。 『震災遺児見守り 石川(県)の平さん10年で1億2000万円寄付』 という見出しです。

 石川県羽咋市の会社経営者である平さんが、「東日本大震災で親を亡くした子どもたちの支援に役立ててほしい」 「被災しなかった一人として、応分の負担をしたい」 「自分に痛みを伴うような金額を寄付して、公的な機関に生かしてもらおう」ということで、東北大学に寄付したものです。

 東北大学では、大学院教育学研究科内に”震災子ども支援室”を設置して、臨床発達心理士らを常駐させ、孤児と里親、遺児とその一人親等の相談に応じるようにするとのこと。

 こういう人がいるのですね。 頭が下がります。 10年の支援を続けるというのは、被災地に継続して関わろうという覚悟からだそうです。 自分に痛みを伴う金額といい、10年間の継続といい、強欲資本主義がはびこる中、何とも爽やかな清々しい凛とした行動でしょう。 社会とともに歩む会社企業のお手本です。

 今回の大惨事で両親を亡くした孤児は、宮城県123人、岩手県93人、福島県21人で計237人もいます。 徹ちゃんのように両親のいずれかを亡くした遺児は、宮城県712人、岩手県472人、福島県139人にものぼります。 これらの子ども達が差別を受けることなく、必要であればいつでも支援できる体制をきちんと確立し、健やかに育っていける環境、勉強に専念できる環境を整えることは絶対に必要なことではないでしょうか。 そのために尊い義援金等を使ってほしいと願って止みません。


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