あんな話こんな話

会津生まれの会津育ち…三匹の猫と柴ワンコや家族に囲まれ、家庭菜園に勤しみ都会には住めそうにないローカルな私の日常。

あれから5カ月…。

2011-08-12 22:35:28 | ひとりごと

今日もうだる様な暑さだったが、昼間は風があって凌ぎやすかった。
寝起き5時半に、ゆっくりと水を飲んでからヒメさまの散歩へ行き
朝の景色を眺めながら、肌に触れる空気の冷たさを満喫してきた。

昨日で東日本大災害が起きて、まるっと5カ月が過ぎた。
朝からテレビでは当時の様子が映し出されて
今更ながら、大参事だったと身震いをする思いだった。

以前 家から見える会津総合体育館には被災者であふれて
同じく避難していた次女がボランティアに通っていたっけ
あれは、まだ時おり吹雪いたりする頃だった…。

町にはいわきナンバーや宮城ナンバーなどが目立ち
最近ではあちこちに仮設住宅が見られるようになった。

よく家の前を散歩していた老夫婦は、息子さんと一緒に避難して来たのだと
家の近くにあるアパートに住み始めて、朝には必ず一緒に歩いていたが
おじいさんの方は少し目が不自由らしかった。

ちょうどジャガイモ掘りの頃で、何気に話しかけて知った事で
元気なうちに故郷へ帰りたいと望郷の思いを話してくれたが
最近は姿が見えずに、無事故郷へ帰られたのだろうか…。

次女も職を失った一人だった。
この災害で生活必需品を扱う仕事ではなかったので
一挙に煽られてしまったようで、あえなく解雇。

会津へ帰ってきたらどうかと話す私達に
もう少しあっちで頑張ってみると…確かに会津へ戻ったからと言って
小名浜より仕事があるかどうか…あの頃会津のハローワークも
被災者の職を求める人であふれていた。

あれから新しい職も見つかり、なんとか暮らしているようだ。
最初のうちは地震があるたびに、連絡を取っていたけど
それも間遠になり…少しずつ生活も安定して来たって事なのかなぁ。

原発事故に風評被害は、今もまだ我々の生活を脅かしている。
それでも会津は、こんなふうに稲穂が見られる風景となったが
収穫が出来ても、その先は見えないでいる。
だけど…自分の家にいて気兼ねする事もなく
いつもの年と同じようにのんびりとした季節が流れて行くの感じられるのは
なんと幸せな事だろうと思う。

改めて5カ月と言うけど、被災地はどんな復興が見られるのだろうか?

被害状況をビデオで撮影して、後世に伝えるのが自分の役目だと
その人は言っていたが…災害の起きたばかりの時は
瓦礫でも町の形はあったけど、徐々に瓦礫が片づけられていくと共に
何もなくなっていく町…あったはずの生活圏が根こそぎなくなって行くのが
どんなにか辛く悲しい事だろうと思った。

最近 テレビでは復興のようすを見る事は少なくなって来た。
その代わりに誰がトップになるのだとか退陣するのだとか
被災に遭った人たちには、そんな事はどうでも良いから
早く何とかして欲しいだろうに…憤りを感じてしまう。

これからの福島、宮城、岩手…そして東北東日本
いや日本全体がどうなっていくのだろうか。
いろんな道はあるのだろうけど、どれが正しいのかなんて
誰にも分らない事で…今はただ、このいつもと同じような風景を
いつもと同じように暮らしながら見られる事に感謝したいと思った。

そして昨日には東北三県の各10か所で、鎮魂の花火があげられた。
岩手県5カ所、宮城県2カ所、福島県3カ所。
今朝のテレビで放送されて、夜空を彩る花火に思わず目頭を押さえる人に
また朝っぱらからもらい泣きしてしまったワタシ。
我が会津でも美里町であげられたが、観る事が出来なかったのは残念だった。

 

地震・津波から5ヶ月 8月11日 塩釜港での慰霊と復興を願う花火

 

 

 

 

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