津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(65)寛永元年・日帳

2019-11-05 06:44:25 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)五日

         |                          
         |     五日   両人詰 薄曇 
         |                (鞆、備後沼隈郡)
畳表八百ノ代銀  |一、去年江戸へ、御畳ノ面八百畳、ともノ與兵衛所ヨリ上せ申候、其代銀去々年ノ直ゟ少高ク御座候
         |  ニ付、去々年ノ並ニさけさせ可申之由候へ共、年ニゟ直ニ高下有之儀ニ候間、與兵衛所ゟ之目録
         |  ノ前ニ、代銀渡り候て可然之由、各吟味之上にて、被相渡候事
         |
         |  (蛇淵、京都郡)                           (入江)  (元田) 
楠ノ埋木     |一、じやぶちノかみニ、楠ノうもれ木有之をほり出申度ノ由、勘三郎・長兵衛被申候、此中談合、弥
         |  五左衛門なとをも見せニ被遣、百人ほとニてハほり出可申之由申候故、ほり出、ご用ニも立候へ
         |                   (ママ)
         |  ハ可然儀ニ候間、早々被申付候へと、長三郎・勘三郎両人ニ被申渡候事
         |          波奈之丸                  (米光カ、周防佐波郡)
船手惣奉行波奈之 |一、鏡善右衛門登城、波無丸かち取甚助と申者、新参ニ被召置候、彼者よなミつと申所ニ女子御座
丸梶取新参ニ召抱 |  候、召連ニ参度と申候、御隙被遣可被下候由、善右衛門次第ニ被遣候へと、被申渡候事

                         

         |
         |     (松本) (栗野)    (正直)      (慰英)                (野脱)                
奉行等談合    |一、御奉行衆彦市・伝介・河喜多五郎右衛門・仁保太兵衛たんこう候て 被参候、矢助二郎 被参候、
         |  (米田是友)
         |  甚左衛門御奉行所あき申ニ付、あとニ居申候事、御小物成方之談合究之書物、彦市・伝介ニ有之、
         |
         |  (規矩郡高月)
筑前ヨリノ走者奉 |一、人留ノ御番西村善兵衛登城ニテ、ちくせんゟ市介と申者、奉公望候て、はしり参候、則式ア殿へ
公ヲ望ム     |  召連参候へと、被申渡候事
         |

                         (寛永元年八月)六日                          

         |     六日   両人詰 晴天 
城門常備ノ突棒ノ |一、御門ニ在之つくほうノゑ虫くひ申ニ付、吟味候て、しなをシ候へと、御奉行ニ佐分利五郎八、被
仕直シ      |  申付候事
奉行等ノ惣談帳  |一、五郎右衛門・太兵衛居候所へ、御奉行衆朝ゟ被集、万事惣談御座候、意趣ハ惣談帳ニ有之、
         |                                         (筒)  
武具奉行へ舟鉄炮 |一、安場仁左衛門・■三上宗於被呼候て、拾丁の御舟鉄炮ノ儀、埒明不申候故被相極候、廿目銅于今
鋳造ヲ命ス    |  五丁はらせ候て、不入五丁ノ鉄炮をも被召上、御下向の上にて、可得御諚候間、今五丁の分を
         |  両人ニはらせ候へと、被申渡候事
         |

   

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■性懲りもなく、俳句エッセーを読む

2019-11-04 17:36:45 | 俳句

本の整理をしていたら、俳句に関する書籍が結構あったのには驚いた。
大先生のお説教めいた本はどうも苦手だが、洒脱なエッセー風の本がお気に入りである。
又、こんな本を見つけて注文した。秋の夜長の読書にはもってこいだと思っている。イギリスとフランス、狙ったわけではありませんが・・・

                    

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■細川小倉藩(64)寛永元年・日帳

2019-11-04 07:19:56 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)四日

         |                          
         |一、四日   両人当番 晴天
         |     (ママ)
野田幸長眼病   |一、野田小左右衛門まなこ煩申候間、一両日宿ニ而やうしやう申候て、少能候ハヽ、中津へ参候由被
         |  申、今日ゟはいり被申候事
         |                       
         |一、杉山藤兵衛与ノ小頭、大坂ニ而七月十八日ニ病〇仕候由、小頭登城候て申上候、綾部左兵衛と申
         |  候事
         |一、竹ノ内吉兵衛与ノ小頭登城候て、与ノ森少介昨日病死ノ由候事
宇佐郡惣庄屋小倉 |一、宇佐郡惣庄屋山村與右衛門、爰元罷出候而、町宿ニ罷居事迷惑ニ候間、御屋敷被下候様ニと申
ニ邸ヲ乞ウ    |  候
鉄砲足軽三十人ノ |一、杉山藤兵衛與三十人ニ而候、左兵衛替仕立可申候哉、小頭弐人ニ可仕哉と、小頭申候、左兵衛替
小頭       |  ニハかたを仕候者を抱候て、小頭ハ弐人弐仕候へと、被申渡候、乍去、与頭ニ其通申通達候へ
         |  と、被申候事                                〃
         |                五郎
上方出家ノ詫言ニ |一、道家清蔵・神戸理兵衛・友田新丞・島三十郎事、御前相済之由候事、但、上方長老衆御詫言候由
テ赦免      |  候             〃
         |                            (ヲ)
なべ賄      |一、遠藤吉右衛門・仁介登城候て、御なへ様当月ゟ之御前之埒□明可被下之由、式ア殿へ可有御談
         |  合之由候事
         |        (規矩郡)(街)
徳力村街道ニ新町 |一、有間刑ア申候、徳力村皆道筋、新百性を寄せ、新町を立申候間、家作申候竹村木可被下之由、書
ヲ立ツ      |  立持参仕、則御奉行衆加判之事                    〃
昇ノ者国払    |一、御昇ノ者角左衛門事、弥御国を払候て、替を抱候へと、徳右衛門ニ被申候事、又御ニ国も罷居次
         |  第ニ成申候事
         |一、東条十蔵登城候て、上毛郡之内宇野村へ用所御座候、二三日之御暇被下候へと申候、則被遣候
         |  事
畳ノ奉行     |一、吉田源七郎ニ、今日ゟ御畳之儀被申付候、御蔵之儀、源七郎請候共候ハヽ、其埒明候様ニ可仕
         |  通被申候事
         |      殿      (谷)
         |一、谷主膳ゟ、下総ゟ被 召上候者ノ書立を被上毛、七月迄如此候、八月朔日ヨリ之儀如何様とも御
         |                                 ( マ マ )
         |  意次第と被申上候事申上候、則上方ニ居役人共之儀、式ア殿・頼母殿以差帋にて被申候
         |      〃〃〃〃〃
         |
霜相ノ損米    |一、小崎太郎左衛門登城ニ而、下毛ノ内霜相ニ被加損米之儀、福田善右衛門申渡候事いかゝと申候へ
         |  とも、御奉行衆不覚、其上何ともせうこ無之故、埒不明候、御代官衆ヘハ御郡奉行衆ゟ差帋を遣
         |  候間、先御代官衆へ御算用をハ被通候、無念之所ハ、重而吟味次第可為之由、被申渡候事
大橋作事着工   |一、大橋御作事今日ゟ被仰付候、御奉行ハ遠坂関内・町市丞・高田十兵衛・窪田與介、今日ゟ小屋か
         |  け申候
         |

       

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■祖父のこと

2019-11-03 09:12:48 | 自分史

 熊本史談会の若い友人N君が、私の祖父にかかわる史料をメールで送ってくれた。ただただ感謝である。

昭和19年私の父・祖父・祖母が相次いで亡くなり、母は姉と私を連れて熊本へ帰郷した。姉9歳・私は2歳の時である。
以来熊本地吾郎として育って、齢を重ねてきた。私が突然歴史に目覚めたのは60歳を過ぎてからの事だが、我家の事はいささかないがしろにしていた。
年をへて気が付くと、父や祖父母のことを知る人たちが幽明を異にしていた。
いろんな書物を読み、WEBを駆使して若干の資料を得た物の、判らぬことが多すぎてお手上げの状態であった。
今般のN君がもたらしてくれた資料は、昭和12年発行の会津正夫氏編の『錦渓舊友会』という著書からのものである。
祖父は「錦渓」なる雑誌の編集に携わっていたらしく、これは上記会の会誌ではなかろうかと思われる。

   
                   今年の古書籍販売会目録から           

私が小石川の細川家の職員住宅で生まれたという経緯は、祖父が細川家家政所に勤めていたからだが、いつ頃から勤め始めたかが判らないでいた。
今般の資料により大正4年に奉職したことが判明した。昭和19年に亡くなるまで職にある事30年、人生の約半分を勤めたことが判った。
その思想信条から、平壌に設立された「朝鮮語学校」の校長を努めたりして、某研究者の言を借りると「国粋主義者」なのだそうだが、その後はただひたすら、旧主細川家の為に尽くしたという事になる。

自らがあと数年で80歳になろうとする頃今、こういう風にして、じょじょに明らかになる我家の歴史である。

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■細川小倉藩(63)寛永元年・日帳

2019-11-03 06:59:44 | 細川小倉藩

                         (寛永元年八月)ニ日

         |                            
         |一、二   右同人当番 晴天
         |              作事ニ                              (船場町)
大橋作事  蹴転 |一、林弥五右衛門登城ニ而、大橋近日取付申候間、小屋かけ申ニ、けころ無之候間、せんはニ而かい
         |  申度候、尤ニ候との事ニ候
         |
下毛郡加損米御免 |一、福田善右衛門登城、下毛郡御かそん米御免可被成通、慥ニ承候へ共、各ハ御存知なきとの様子ニ
         |          原久介上申ニ
         |  而御座候間、今度之ひんきニ言上可申由、被申候事
         |           〃〃〃〃                     
舟ノねうしヲ彦山 |                    (忠有)
座主領ニ求ム   |一、御舟之ねうし、田川山取ニ遣候所ニ、彦山座主御れう分山ニ而、御をさへ被成候由、申来候ニ  
杣奉行      |  付、御理り申、御進上被成候様ニと、状をしたゝめ、そま奉行ニ持せ被遣候事
         |
         |    (出脱)(中津郡)                      (勝永)     
上方出家衆見送り |一、上方御家衆今井ニ御とまり被成候、御宿御振舞奉行寺尾左介・千寿新左衛門・谷忠兵衛・平野万

         |                (猿)
         |  五郎・米田久介・沖津作太夫、さる木源太夫、此衆登城ニ而、昨夕罷帰申候、御出家衆おきけん
         |                      井
         |  能、何もつかへる儀ム御座候て、五つ時ニ今を御立可被成候由、被申候事
         |
         |   (吉重)          (正直)
魚住加介遺書遺物 |一、沢村大学殿登城ニ而、魚住加介相果申ニ付、書をき仕、御奉行衆へあて申候を、大学殿持参被成
         |  候事、加介申置候様子、段々御奉行衆へ物語ニ候事、 殿様へ上ケ申道具、七匁玉鉄炮壱丁・
         |  (鞍)  
         |  くら壱口上ケ可申由ニ候事     
         |

                         (寛永元年八月)ニ日

         |                            
         |一、三   右同人 晴天
         |
肥前刀新身購入  |一、竹屋喜兵衛、ひぜんゟ昨晩罷帰候、御刀・ワキさしふるみ無之候て、さらみをうたせ参候、大小
         |  六こし、内四つハ御刀、二つハ小ワキさし也
         |           (性)                       小人一壱人
         |一、江戸へ歩之御小怪原久介ニ、御長ゑノ物少吉と申者相添、上せ申候事
         |                〃〃〃〃
魚町出火     |   小         九つ時分ニ
         |一、東倉魚町もち屋ゟ〇火事出来仕候へ共、頓而けし申候事 
         | 

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■細川小倉藩(62)寛永元年・日帳

2019-11-02 08:06:50 | 細川小倉藩


                         (寛永元年八月)朔日

         |     (米田是友)(矢野)                                              
         |一、朔日   甚左衛門 助二郎  当番 晴天
         |                     御                            相こし、          御加子其まゝ置、又ハ  
豊後詰ノ小早   |一、豊後ニつめて置申候小早弐そう有之を、廿丁小早此方へよひよせ、十弐丁小はや遣置可申由、鏡
廿丁小早     |                           〃〃〃〃  
十二丁小早    |  丁小早ハ加子なしニおき、もし急成御用有之時ハ、浦々加子をのせ候やうニと申遣候事 
戻り舟ニ土ヲ積ム |  善右衛門へ被申渡候事、弐拾丁小早戻り申ニ、つちつみ候て参候へとの事ニ候

         |
                                                                                                村上水軍の小早舟

代官選任ノ惣談合 |一、御代官之明所御座候を吟味仕、惣談合ニ而、入被申候事、しかとハ究り不申候事
         |                          〃
新銭鋳造場所決定 |       (香春村、田川郡)
銭地金購入奉行  |一、新銭い申所、かわらニきわまり申候、銭い申地かねかい申御奉行ニ、渡辺清兵衛被申付候事
         |
         | (南条元信室・細川興秋女)                                             (松井興長)
なべかねノ用   |一、御なへ殿・御かね殿御まかない之儀、八月朔日ゟ替り申候間、御知行被遣候ノ御諚ノ様子、式
         |      (筑紫重門室・細川幸隆女)
         |  ア殿御存知ニ而候間、相尋、右同所へ可申渡之由、惣談被申候事
         |

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■本棚整理、いまだ進行中

2019-11-02 06:29:13 | 徒然

 本棚整理をしながらリストを作ったりしていると、「こんな本を持っていたはずだが?」「どこに隠れているのだろう?」と捜索を始めると作業はとどまる所を知らない。
そんな中でこっそりAmazonやヤフーオークション、日本の古本屋などで注文した本が届き、これを奥方に見つかると大事になるから、時折こっそりとポストの確認も欠かせない作業がある。蔵書は減ることはなくまだ増殖中である。
又、何とか押し入れの段ボールを引きずり出して、日の目を見させ風に当てたいという思いもある。
さらに、大量の資料などのコピーがあるから、これも仕分けをしたいと思うし、取得した先祖附のコピーも順序良く整理しなければならない。
古文書類もリスト化が必要だが、整理中にとんでもないところから急に登場したりして、「えっこんなの持ってた?」と見入っていると、瞬く間に小一時間を浪費し一向前に進まない。

あれこれ考える中、ついに本棚を買うことにした。そうなると押し入れの大掃除と相成るから何時終りが見えるのか想像もつかない。
地震後の仮住まいと思い今のAPに引っ越したのだが、奥方はまだ引っ越したい気持ちがあるようだが、3年半がすぎすっかり腰が落ち着いてしまった。さらにこの歳になり、本の量を考えると今更引っ越しは願下げである。
デスク廻りは引っ張り出した、本や資料で足の踏み場もない。今日も一日老体に鞭打って頑張りましょう。

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■元和拾年 萬覚書(62)

2019-11-01 06:47:56 | 細川小倉藩

                          (元和十年四月)晦日

         |                                              
         |一、晦日   助二郎  甚左衛門  当番 雨
         |
豊後府内ノ馬盗人 |一、昨日六時分ニ、ふん後ふ内ゟ、馬をぬすミ、はしり参候を、おいかけテ参候御横目衆之加判ノ状
追補ノ横目ノ加判 |  参候、ぬす人しれ不申候事
状        |           (長浜、規矩郡)                     ( 鱚 )
長浜漁人鱚語猟ニ |一、山本弥兵衛登城ニ而、長はまノれい人、馬嶋ノ前壱里斗おきニ而、きすこつり申候処ニ、たわら
俵懸ル      |  壱俵懸り申候、 それゟかけ申候ヘハ、四拾俵懸ケ上ケ申候、如何御座候哉、尋被申候事
         | (浅山)
         |  清右衛門ミな/\登城候て、可申入之由ニ候事
         |           (死)   (鏡)
加子二人病死   |一、御加子弐人、昨日病仕候由、善右衛門登城ニ而、申上候事
         |     (可成)
松下掃部借米   |一、加々山主馬・冨田十太夫登城、松下掃アニ、毎年御貸米被借下候、当年も御貸シ被成候様ニとの
         |  儀被申候、則、惣談ニかし可申由之事
上リシ俵ハ腐米  |一、永浜れうしとも取上ケ候米、殊外くさり申、其上、何国之米とも不知故、れうし共ニ可遣由之事
漁師ニ与ウ    |
台所人病気交替  |一、猪膝へ被遣、佐藤伝左衛門台所人煩候故、道家次右衛門所ノ台所人可遣ノ由、被申触候事 
         |

 

   (元和という年は九年ニ月三十日に改元しているから以降、寛永元年とするべきところだが、資料の記するまゝ「元和十年」として
    ご紹介してきた。その元和十年の資料はここで終了している。次回からは寛永元年八月日帳をご紹介する。)



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