津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■雨の中の「熊本城マラソン」

2020-02-16 11:06:14 | 熊本

 あいにくの雨模様となった「熊本城マラソン」、フルマラソンとともに5キロマラソンなどに多くのランナーが歓声を上げながら走っている。
雨と高気温の悪条件の中での開催となった。

そんな中で著名なランナーの登竜門となっている「熊本30キロロードレース」は設楽雄太が出場、ぶっちぎりの優勝ではあったが、此のコンディションの中では新記録とはいかなかった。
二週間後の東京マラソン出場を前にしてのことで、順調な仕上がりぶりがみえ、オリンピック出場に向けて日本新の期待を背負って頑張ってくれることだろう。
今日は夕方まで熊本は雨模様である。室内気温は20度を越え暖房いらず、靴下いらずである。明日以降は積雪が心配される予報が出ている。

 さて散歩はどうしようかと思案している。今は雨も小ぶり状態になっている。
マラソンランナーの人たちは、ビニールの雨がっぱで走っている人もあっていかにも市民マラソンの風情もあるが、トップ集団の人たちは自己記録更新をかけて雨に濡れながら力走している。
これでは私如きが雨ゆえに散歩取りやめとは言い訳にはならず、傘をさしてでも出かけずばなるまいと考えている。

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■綿考輯録が記す「天皇譲位」

2020-02-16 10:41:27 | 細川家譜

 私の愛読書に隆慶一郎の一連の作品がある。その中でも後水尾天皇と秀忠の確執(紫衣事件や徳川和子の入内)を取り上げた「花と火の帝」等は、大いにワクワクしながら読んだものだ。
小説の大方は地震後処分したものが多いが、この本は生き残っている本の中に含まれている。

先ごろ綿考輯録をめくっていたら、この事件に絡む三斎が忠利にあてた書状に出くわした。
少々長いががんばってご紹介しよう。

  一、禁中御譲位之儀立 御耳、始は事之外御立腹にて候つれ共、左候而別二可被成御沙汰様も無之二よ
    り、何と成共、 御心任と 御意之由、国師物語にて候、替儀候は可申事、
  一、京にて禁中向之儀承候、 主上之御事ハ不及申、公家衆も事外物之きれたる体と申候、 主上御不
    足之一ツニハ、公家衆官位御まゝ二不成との事、又ハ御料所加増にて被進金銀も、折々被進候へ共、
    是も毛頭御まゝ二不成候、右之分二候ヘハ何を以公家衆へ感不感可成御立様も無之候、其上八木金
    銀御道なきニよりたまり申候を、利分を付、奉行共より人ニ借付申候、如此ノ故人之口にて候ヘハ、
    王之米何程借り候、金銀いかほと借り候と口すさみ申候、神代より禁中ニ無之例ニ候を、今 主上
    之御代ニ当りか様之事出来、無御存知事故、後代之そしり御請被成候事、何より口惜 思召候由、
    又ハ大徳寺・沙真寺之長老なり不届と武家より被仰、或衣をはかれ、又ハ被成御流候ヘハ、口宣一
    度ニは七八十枚もやふれ申候、 主上此上之御恥可在之候哉との儀、又かくし題ニハ、御局衆之は
    らニ 宮様達いか程も出来申候をおしころし、又ハ流シ申候事、事之外むごく御無念ニ被 思召候
    由候、いくたり出来申候共、武家之御孫より外ハ 御位ニは付被申間敷ニ、余あらけなき儀とふか
    く被 思召由候、此外未数御入候へ共忘申候、此前いつの時分哉覧
     おもふ事なきたにやすくそむくよにあはれすてゝもおしからぬ身を
    と被遊候由候、此はてのをとまりは残ルてにをはと申物かと存候、よせいかきりなき 御製と世上
    ニ申候由候、案のかとく御位をすへらせられ候後は不存、つよき御事と存候事、
                 (中略)
      (寛永六年)十二月廿七日      三斎 御判
                越中殿
                  進之候

公にされることのない私信ではあるが、いろんな事件に関する三斎の素直な意見が述べられていて興味深い。
幕府の余りに非道なやり方が、三斎が有力大名の一人とは言え、このように情報として耳に入っているということは、これらの事件が大変異常であり、批判を受けていることがよく理解できる。

隆慶一郎はこの事実にフイクションとしての肉付けをしながら、痛烈なる徳川批判を展開している。
時間を見付て改めて読んでみようかと思っている。一気呵成に詠むことができる著作である。

 

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■うかつに咳もできぬ・・・

2020-02-15 16:01:59 | 徒然

 今日は史談会の例会、バスに乗って出かけるが当方は花粉症対策でマスクを着けた。
熊本はインフルエンザの予防のためにマスクをしている方を見かけるが、バスの中でも3割くらいの者だろう。
もっとも熊本でも現在マスクは手に入りにくくなっており、店頭に「入荷しました」と貼り紙があっても一枚しか購入できないと聞く。
コロナウイルスの脅威は広がるばかりである。
例会の会場に来られた方が、中途席を外された。帰り際に戻られて、「咳が出そうで外に出ておりました」との気遣いであったが、「うかつに咳も出来ませんね」と申上げたことであった。
会場から見える熊本城も、いつもの賑わいが見えないのは外国人観光客が激減していることによるようだ。
終息の気配は見えない中、自分の身は自分で守るしかない。手洗い・うがいを励行して、あまり外出もせず隠遁生活が一番安全のようだ。明日は熊本城マラソンで20,000人程が走るビッグイベントが催される。
同時に設楽選手ら日本のトップクラスが走る「熊日30キロ」レースも同時開催で、どちらも多くの応援の群集が詰めかける。このような状況の中での強行開催となったようだが、ただただ何事もないことを祈るばかりである。

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■細川小倉藩(150)寛永三年・日帳(十一月九日)

2020-02-15 06:20:45 | 細川家譜

                  (寛永三年十一月)九日

         
         |     九日
         |

         |     (辰珍)
津川辰珍身上ノ書 |一、津川四郎右衛門尉殿御身上儀、 御自筆ノ御書付、此方ニてうつし利斎へ渡可給由ニて、矢野
付        |  少右ニ被渡申候事、
築城上毛郡横目免 |一、築城・上毛郡ニ御付置候上野三太夫ニ、在々免ノ様子立聞、可被申上旨申渡候、今迄ハ何共違有
ノ様子ヲ立聞ク  |  之通、不承由候事、               参考:立聞
         |      (平兵衛)
大坂ヨリノ鉄炮五 |一、大坂寺嶋所ゟ、鉄炮五十丁、御船頭東次介舟ニ被積下候を、安場二左衛門・三上宗於ニ可被請取
十丁ヲ小道具共ニ |  由申渡、其上送切手渡申候、右ニノ五十丁ハ、岩崎太郎兵衛・可児兵介被積下由、都合百丁共
武具奉行請取   |                〃
         |  ニ、小道具共ニ被下候由、送切手ニ書付有之也、
中津京都郡横目免 |一、中津郡・京都郡御横目門司勘左衛門尉呼候て、御郡中免之様子相尋候処ニ、今迄ハ慥成様子不承
ノ様子立聞    |  候間、弥吟味仕候手可申上由候、
         |      
質部屋入ニ給食  |一、友田新丞〇八日ゟ、しちへやニ而食を給申候、左候ヘハ、肴を少々遣候而、給させ可申通、左介
         |  所へ申遣候事、
         |                            (可政)  (西郡清忠)(横山重嘉)(浅山)
走者ノ請人詮索  |一、今度宇野木久八走申、請人ノ儀ニ付、御せんさくの上、加々山主馬・刑ア・助進・清右衛門 御
         |                            (正慶)
無念ナル仕合   |  前へ被 召出、被成 御諚候ハ、久八請人ノ儀ニ付、加々山権左衛門二相渡様、無念成仕合、さ
         |  たのかきりニ被思召旨候、権左衛門儀、奉行共不念ニ相渡候共、能届、請人ノ手前究可申儀を、
取替米三分一弁済 |  不相極候、奉行共申付様慥ニ候ハヽ、腹切可被 仰付を、其段も不念ニ申渡候上ハ、かのものと
過怠       |  りかへ米三つニわけ、一つ分年々ノ利足くわへ出させ可申旨、主馬ニ被 仰渡候、其身過怠之
         |   
         |  儀、可重而可被 仰出旨ニ候事、右之仕合ニ付、たるミノ請人ニ可被 仰付様も無御座 御諚之
         |    〃
         |  事、
         |    (政時)       (永良)
烏丸ヨリ書状   |一、貴田権内方ゟ書状、宗茂者ニ被差越、烏丸様ゟ 殿様へ被進御文箱一つ、幷山田喜斎ゟ之書状、
         |  言伝被差越候、則御前へ差上申候、権内方へも請取候との返事遣候也、
金山へ鉄炮足軽派 |一、御金山へ、御鉄炮衆被遣ニ付、佐藤安右衛門・春木金太夫・栗野伝介・金子喜左衛門登城被仕、
遣ノ談合     |  談合御座候事、
         |         (正次)    (周防熊毛郡)                     (長門厚狭郡)
三斎ノ出迎    |一、三斎様為御迎、嶋又左衛門上ノ関迄可参由、被 仰付被遣候処ニ、本山迄被参候処ニ、御舟下り
         |  申ニ相、尋申候ヘハ、 三斎様中津へ可被成 御着之由申候ニ付、すくニ中津へ被罷越、今晩被
         |  罷帰候、則 御返事参候を、 御前へ持参被仕候事、
         |一、来年江戸御供仕度旨、本庄長吉書物被差上候事、
         |  〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃

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■なんとなんと・・・

2020-02-14 16:00:19 | 徒然

          

 午前中は所用でちょっと出かけ、散歩は昼食後となった。
すっかり天気も上がって良い天気の青空となり、ダウンはやめてウインドブレカーで出かけるも、これも途中で脱いで腰に巻く。
自衛隊前の桜並木を見上げながら歩いていると、正門付近で去年早咲きの桜を発見した同じ木が花を付けているのを発見。
しめたとばかり第一発見者の気分でシャッターを押した。眼鏡をしていなかったのでいつもながらの少々ピンボケではある。
梅や水仙やスミレなども撮ってはみた物の、御披露するような代物ではなかった。これで勘弁していただこう。

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■細川小倉藩(149)寛永三年・日帳(十一月八日)

2020-02-14 13:02:25 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)八日

         
         |     八日
         |

         |同八日ニ着、
江戸供ノ願書   |一、岩崎角丞・弓削茂右衛門両人、江戸御供之儀差出壱つ、
大坂ヨリノ荷物ニ |一、大坂ゟ、御船頭吉田理兵衛舟ニ、長持六つ、上敷包ノ小長持之様成もの壱つ、合七つ、京都ゟ大
送切手ナシ    |  坂迄下申由ニて、被積下候へ共、京ゟも大坂ゟも送切手不参候、村川二郎ひょうえきりかミニ送切
         |  手、十一日廿ク日ノ日付ニて、調下由候へ共、理兵衛ハ送切手不請取由ニて被申候、ふしんニ存
         |  候事、但、左ノ両人送切手被持下、林角兵を以、奥納戸衆渡、
         |    (勝永)  (武次)
         |一、寺尾左介、牧丞太夫、両人上方ゟ被罷下候、御船頭ハ三宅清介にて候事、但、両人共ニ御前へ被
         |  罷出候、様子被申上候也、
嫁入道具     |一、よめ入之御道具之由ニて、御物色々罷下、送状右両人之衆持参被仕候事、
         |一、小篠次太夫やとゟ、江戸へ被参候歩之御小性山田五郎兵衛・狩野小源五・宮木五郎介、銀子五
         |  百目余被言伝候ニ付、うけとり切手取候て、次太夫留守居相渡候事、
江戸供ノ願書   |一、磯谷半四郎・野瀬甚助・来年江戸御供望之書物差上ヶ被申候事、
         |                     (桑原)(山田)
呼野金山鉄炮足軽 |一、呼野金山へ御鉄炮衆参人積り幷諸道ぐ付、主殿・加左衛門持参被申候事、
人数数道具付   |
         |一、三斎様へ為御使、頼母佐殿被遣ニ、御ふ■ミ其外持せ被参為御奉行、平孫介へ申渡候、明日旱天
         |  二登城可被仕由、申候事、
         |                    沢少兵衛・塩木又丞所ゟ
三斎中津着ノ報築 |一、三斎様、今日未刻ニ中津被成 御着由、〇申ノ下刻之時付状、夜ノいノ刻ニ次飛脚持参、則懸
城上毛郡奉行ヨリ |  御目申候処ニ、はやく申上由、 御意ニ候、此段返事申候事、
来ル       |                                                                                                   (小林)  (鎌田)
国東郡奉行ノ報  |一、三斎様、八日ノ卯ノ上刻ニ、竹田津之沖を被成御通との注進、次飛脚を以、半左衛門・次左衛門
         |                              (衍)
         |  方ゟ書状被差越候、子ノ下刻ニ着候へ共、少兵衛・又丞ゟ所ゟノ状態 御目申付、国東ゟ参候状
         |  ハ、御前ニ上ヶ不申候事、
         |  

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■梅の遅速

2020-02-14 06:42:53 | 徒然

 昨日あたりは春のような気温で、梅の花が一気に開いたように感じられる。
しかしながら、ここでは咲いているのに、あちらのお宅ではまだ蕾と木々の特性(?)が見られて面白い。
まさに蕪村の句そのものの景色である。

          二もとの梅の遅速を愛す哉

散歩の折の通りがかりにある3~4mほどの高さの崖地には、漱石が好きそうな小さな菫があちこちに芽生えてこれが日々密度を広げている。
冬木立の銀杏の大木の下には、一叢二叢と水仙がかわいい。二三本頂戴したいとも思うが、熊本城の武者返しよりも急こう配でお手上げである。
あちこちにすっかり春の気配、今日はカメラを持って証拠写真を撮影しようと思うが、少々天気が下り坂。
朝食後、散歩に出かけることにしましょう。

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(5)

2020-02-14 06:36:01 | 史料

           

                 釈文: ■志方半兵衛言上之覚・1(12月12日付)

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■免許証失効へ

2020-02-13 18:30:03 | 徒然

 今日の熊本は18度まで気温が上がって春の気配。
毎日バタバタしていて、運転免許証の期限があと5日に至った。今日こそは警察へ出かけて返納し、「運転経歴証明書」の申請をしようと考えたが、時間が取れない。
そこで運転免許センターに連絡して、失効した場合に「証明書」申請はどうなるかを聞いてみる。
なんと5年間はOKとのことだったので、自然失効させることにした。
ここ数年は運転を控えていたから、なくても別にこまらず、まさに身分証明のために持っているようなものであった。

自主返納にしろ、失効にしろ、その前に最後のドライブを楽しみたいと思っていたが、これも毎日が忙しくて達成できなかった。
TVで高齢者の他人を巻き込んだ事故のニュースを見るにつけ、これで良かったと合点している。

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■御恵贈御礼「玉名歴史研究会・歴史玉名‐第91号」

2020-02-13 10:52:41 | 書籍・読書

                              著者の御一人S様からご恵贈いただいた。深く感謝申し上げる。
                     充実した活動ぶりがうらやましい。併せて会のご発展をお祈り申し上げる。

               

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■細川小倉藩(148)寛永三年・日帳(十一月五日~七日)

2020-02-12 21:53:18 | 細川小倉藩

                  (寛永三年十一月)五日~七日

         
         |     五日
         |

忠利放鷹     |一、此近所へ御鷹野ニ被成 御出候事、
金山奉行金子ヲ持 |一、御金山ゟ御金子参候、佐藤安右衛門・春木金太夫・夏間少三郎持参被仕候事、
参ス       |
国東郡勧農ノ帳  |一、国東郡へ田をかり、麦をまかせ可申ため遣候御鉄炮衆三人、帳を調持来候を、新兵衛・伝介へ相
         |  渡候へと、申付遣候也、
江戸供ノ願    |一、藤井少二郎・金子文三郎、来年江戸御供望被申候事、
         |       (赤)
鹿ノ枝肉ノ用ナシ |一、田川郡あか村ゟ、鹿之ゑた四つ参候、左膳殿にて上ヶ申候、もはや御用ニム御座候間、指上申間
         |        (ママ)
         |  敷旨、左膳佐殿にて被 仰出候、
丸硯ノ注文    |一、下ノ関へ丸すゝり被仰付候ヘハ、御このミのことくニ不仕候間、召寄可申旨被 仰出候、奉り飯
大森土佐ヲ呼ブ  |  田才兵衛、此次而大森土佐と申すゝりやニも御用被 仰付候間、可参旨申渡、今橋三右衛門を関
         |  へ遣候也、

         
         |     六日
         |                      (上脱)

江戸供ノ願書   |一、矢野勘右衛門、来年江戸御供望被申書物被差、請取置候事、
侍ノ段      |一、服部左次兵衛、右同前ニ書物被差上、請取置候事、右二色共ニ侍段ニ入置候、
         |      唐木綿
唐木綿不要    |一、〇御前ニ上り候へ共、不入由被 仰出、伊藤儀大夫申候唐木綿、菊原又兵衛ニ返可申候由候、金
         |  子ニ申、菊原所へ申遣、菊原者三郎介ニ参候間、六たん共ニ渡候事、
江戸供ノ願書   |一、福田仁大夫、来年江戸御供望被申書物、上ヶ被申候事、
         |一、弓削勘十郎、来年江戸御供望被申書物、上ヶ被申候事、
江戸ヘノ荷物ノ奉 |一、江戸被遣御物為御奉行、歩之御小性狩野小源五・宮木五郎助両人申付置候処、御物大分ニ有之ニ
         |  付、御奉行両人、御鉄炮衆四人迄にてハすくなく候ニ付、山田五郎兵衛壱人、御鉄炮衆壱人申
         |  付、都合八人遣申候事、
         |

         
         |     七日
         |

         |一、歩之御小性山田五郎兵衛・谷忠兵衛与之御鉄炮衆伊藤善兵衛、江戸へ被遣之間、御切米可被相渡
         |  通、松本彦進・豊岡甚丞方へ申遣候事、
宇野木久八知行召 |一、宇野木久八儀、彼 召仕間敷候、御国中又何方ニ罷居候とも、不被成 御構候条、此段可申渡旨
放サルモ居住構ナ |                    〃
シトノ書付    |  被 仰付候条、可被得其意候、以上                   (氏次)
         |   寛永三年十一月七日                       田中與左衛門
         |                                   浅山清右衛門
         |         深野左介殿
         |  右ノ分、書付くれ候へと被申ニ付、書付遣候也
         |十一月八日ニ出船               宮木  五郎助 〇
江戸ヘノ書状   |  御書箱八つ、京・江戸被遣 山田五郎兵衛  便ニ        
         |               狩野  小源五 
         |     内                                            (黒印)         
         |  (細川興孝)

         |   御天様へ   壱つ
         |     (康勝)   
         |   伊丹播磨様へ 壱つ
         |     (長重)
         |   浅野采女様へ 壱つ
         |     (直寄)
         |   堀丹後様へ  壱つ
         |              小野九右衛門
京都調物奉行へ  |          弐つハ 佐藤 少三郎 所へ
         |              石本 三介
         |
         |              松野 織ア(親英)
江戸留守居へ   |          弐つハ 小野次太夫   所へ
         |              町三右衛門                             (黒印)                                                                                                |                                                                             右ノ御書、慥ニ請取申候△ 山田五郎兵衛
請取       |  右之文箱飯田才兵衛被持出候事              宮木 五郎介
         |   △幷各ゟ江戸・京・大坂之衆へ被遣御状数五つ、又              狩野 小源五
         |    深野左介ゟ京之衆へ参状合六つうけ取申候、以上
         |                           (規矩郡)
犬喰ノ雉     |一、桑原主殿与ノ彦左衛門と申者、犬を疋、山へ参候処ニ、城野村ニて、雉ノおんとりをくい申由ニ
         |                                  (長良)
当番小笠原長良  |  て、百性ニ持せ、平井五郎兵衛ものを相そへ、被差上候を、当番小笠原宮内少輔御取次ニて、
         |  御前へ上ヶ被申候事、
詰使番      |一、詰御使番八人、今日ゟ詰申候、
         |
 
          

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■雨にもめげず・・・

2020-02-12 17:03:55 | 徒然

 朝から雨・・、花粉症予防のためにマスクを装着、めがねはマスクで曇るために外して出かけたが、よくよく考えると眼鏡を掛けないと目の予防にはならない。
幸い帰ってからも目がかゆいということもなく、今日は雨のお陰か花粉症の症状はなし・・・

昼からは、15日の史談会の為の資料のコピー、全16頁×19部(資料保存+1)を表裏印刷。
表になる奇数ページだけを先行コピー、しばらくして裏の偶数ページをコピーするが、用紙が完全に乾燥しておらず、失敗が続出、沢山のミスコピーがでる。少々疲れてコヒータイム、その後ホッチキス止めして資料の準備完了。
今からは、江戸の大絵図を広げて赤穂浪士の「引き揚げルート」を確認、覚え込むには少々時間がかかる。
明日・明後日の二日間で資料及び参考の「堀内伝右衛門覚書」を読み込まなければならない。

お陰様で、赤穂事件については相当詳しくなった気がしている。いずれにしても「泥縄」ではあるが・・・

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■原文に触れる「志方半兵衛言上之覚」(4)

2020-02-12 14:45:04 | 史料

                               

                 釈文: ■志方半兵衛言上之覚・1(12月12日付)

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■手振候ニ付・・・

2020-02-12 13:18:19 | オークション

               細川宣紀書状 1通 江戸中期 肥後熊本藩主 越中守 大名 和本 古文書    

           

 安藤對馬守にあてた細川宜紀の書状である。将軍家に八朔の祝儀を進上したところ、これを御披露戴いたことへの礼状である。
對馬守とは享保の改革を推進した安藤信友である。信友は、享保7年(1722年)に老中に任じられたが享保17年(1732年)6月に死去している。
一方、細川宜紀は正徳2年(1712年)に家督し、享保17年(1732年)に死去している。

信友の在任期間中の書状であることが判るが、宜紀の記名の脇に「手振候ニ付用印判候」とある。手が震えて花押が書けず、印判を押している。
享保13年9月御暇のお許しが出たが病後で発籠が延期されたりしており、以降体調は必ずしも良くはなかったようだ。
そんな時期の書状(案文)であろう。



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■細川小倉藩(147)寛永三年・日帳(十一月朔日~四日)

2020-02-12 06:36:00 | 細川家譜

       8・9・10月分は記事が有りません。

                  (寛永三年十一月)朔日~四日

         
         |     朔日
         |         

隼ニ生鴨丸嘴ヲ飼 |一、昨日生鴨五つ 御前より被成御出、隼御鷹師御鷹つかいニ参候間、持せ遣、まるはし候て可差上
ウ        |  旨、 御意ニ付、右五つ之内三つ、今朝まるはし候て差上申候、則野田源四郎を以、上ヶ申候事
         |         
                                   

         
         |     二日
         |
         |  (下関、長門豊浦郡)
硯屋       |一、関ノ硯や大原七郎兵衛参上仕候事、
         |    (御牧)
筑前百姓一家走来 |一、筑前水蒔郡鳴水村清二郎と申者、女房壱人、男子壱人清二郎共ニ参人つれにて、規矩郡上北方村
ル        |  庄屋仁兵衛所へ参候由、彼二兵衛申来候事、
碩屋大森土佐へ硯 |一、下関硯屋太守土佐、よびニ被遣候御使今橋三右衛門口上、御本ノはゝニあひ申石ハ御座候へ共、
ノ注文      |  厚さニ相申石無御座候条、明日取ニ遣、石早参候ハヽ、明晩参上可仕通申候、若石遅参候ハヽ、
         |  明後日早々可参由、土佐申候と申候事、
         |  (築城郡)
寒田牧山ノ母馬病 |一、寒田御牧山ノ母馬壱疋病死仕由、坂井忠三郎被申来候、但、青毛ノ御馬也、
死        |  (規矩郡)
矢山牧ノ駄馬ノ子 |一、矢山之御牧ニ当春生申候駄馬、かけより落申候而死申由、右同人被申候事、
墜死       |
連座ノ妻子共誅伐 |一、西山二郎左衛門女房壱人・せかれ弐人、御誅伐被 仰付候事、但、二郎左衛門依重罪如此候、
盗人誅伐女房構ナ |一、川口角左衛門儀、盗仕ニ付、被成御誅伐候、女房儀は、彼者盗仕所も、旅女狂仕も、たひ之儀候
シ        |  間、女房之儀ハ、何方ニ居可申も不被成御構之旨、 御意之通、深野左介方へ申渡候事、
         |     (鉾)    (快寛)
諏訪社ノ鉾    |一、諏訪之許、佐方少左衛門方ゟ持せ被差上候、坂井少八を以上申候事、
         |
鴈罠ノ真鴨鴈   |一、そねゟかりわなにて真鴨六つ、内四つハおんとり、弐つハめんとり、鴈壱つ、物数合七つ持参候を、御對所へ相渡候
         |  事、

         
         |     三日
         |
         |  忠利長兄
忠隆ノ忠利宛書状 |一、休無様ゟ 殿様へ被進之 御捻 御前へ上申候事、
         |
         |          
撚(捻)文について
         |
              
                                     山本博文著「江戸状の宮廷政治」より引用 

         |
         |一、明石源左衛門御請、同前ニ 御前へ上ヶ申候事
         |   (安岐、国東郡)                                 (松井興長)  (有吉英貴)(米田是季)
薩摩ノ難破船荷物 |一、豊後あき浦ニうちよせ申舟、同荷物之儀、様子申上候処ニ、式ア少輔・頼母佐・監物ニ薩摩へ飛
二ツキ飛脚    |  脚ヲ可遣旨、可被 仰出候事、
         |廿三日ニ帰、                     人
         |一、西沢文左衛門与田中左兵衛、御小〇壱人、薩摩へ御飛脚ニ被遣候、 御書幷御家老衆三人御状相
         |  渡遣候、

         
         |     四日
         |
忠利興長邸ニ遊ブ |一、御なくさミとして、式ア少輔殿へ今日被成 御座候事、
         |                                   (八木)
狼ノ頭黒焼    |一、貫村ゟ狼壱つうちころし候由ニて、持参仕候、則頭斗を被召上、くろやきニ可仕、慶閑所へ頭持せ遣候事、   
         |一、宇野七右衛門、速見郡ゟ被罷出候事
         |                                 (加藤)  (栗野)
明知行ノ処理   |一、岡本平四郎方、御暇被遣候間、彼知行むさと不成様ニ可被申付候通、新兵衛・伝介方へ切帋にて
         |  申遣候事、
腐リシ橋ノ処分  |一、橋之儀、得 御諚候処ニ、くさり候ハヽ、たれニ成共とらせ可申旨、被 仰出ニ付、林角兵衛ニ
         |              (三淵之直)幽斎弟・好重を家祖とする三淵家・二代目
         |  遣候也、 御前へ之御使ハ左膳殿也、
硯屋大森土佐   |一、下ノ関大森土佐よひニ被遣、参候、硯石持せ参候事、
曽根ノ土手ノ柳ノ |一、そのの土手柳の枝かれ申候をきらせ、御茶の屋の御薪ニ可仕通、上林甚介ニ申渡候事、
枯枝ヲ茶屋ノ薪ニ |                     〃
ス        |
         |一、宇野木久八請状入申ニ付而、たつね出し、写を仕候て、深野左介ニ相渡申、右之請状ハ、又よく
         |  帳箱弐入置申候事、
         |



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