『死因不明社会 (ブルーバックス 1578)』
海堂尊、2007、『死因不明社会 (ブルーバックス 1578)』、講談社
解剖率2パーセントという数字は、年間百万人以上の死者のうち98パーセントが死亡原因が追及されないまま死亡診断書が交付されているという日本の現状をしめすものである。さらに、異常死を検案すべき監察医制度が法制上存在するにも関わらず、東京都と大都市にのみ監察医制度が設けられ、しかも、機能しているのは東京都だけであるという現状は、法の下の平等という点でも、地方居住者は、そうした状況から阻害されているということである。
実のところ、『チーム・バチスタの栄光』を読んだこともなく、著者の名前もしらなかったが、本屋で立ち読みしているうちに、これは、とんでもないことだと今更ながらに気がついた。本書は、ブルーバックス・シリーズにとっては異常な構成をとる。つまり、ブルーバックスはノンフィクションのシリーズなのだが、フィクションの主人公「白鳥圭輔」が狂言回しとして登場するのである。
本書の告発点は、検死にAi(Autopusy imaging)、すなわち、CTやMRIなどの画像診断を導入すべしという点である。遺体を傷つけることを嫌う遺族やコストや人材も含めて忌避されがちな解剖ではなく、画像処理こそが、データの保存や解析の容易さをもたらすというのである。
厚生労働省をはじめとする官僚組織の怠慢は、今に始まった訳ではないにしても、官僚のみならず、関連医学会にとっても、警察検察にとっても、さらには、遺族や死者本人にとっても、死因が明らかになることは大変重要なことなのではないか。死亡診断を通じて医学の進歩に貢献が可能であるだけではなく、これまで、不明のまま、真の原因が明らかにされないまま葬られてきた死者も浮かばれるというものであろう。
本書の末尾でも触れられているが、多少は、動きがあるようである。しかし、本書の最後にも触れられているが、誰しも死なねばならないという意味で誰もが無関係な存在ではなく、「無知は罪なのである」。われわれは、すべてを知らねばならない。そして、自分自身で判断できるよう、学び続けなければならない。
自分自身の死に臨んで判断はできないのではあるが、それまでに、なすべきことがあるはずである。死と病については、だれも、逃れることができない以上、心すべきである。自分自身も、もちろんのこと。
解剖率2パーセントという数字は、年間百万人以上の死者のうち98パーセントが死亡原因が追及されないまま死亡診断書が交付されているという日本の現状をしめすものである。さらに、異常死を検案すべき監察医制度が法制上存在するにも関わらず、東京都と大都市にのみ監察医制度が設けられ、しかも、機能しているのは東京都だけであるという現状は、法の下の平等という点でも、地方居住者は、そうした状況から阻害されているということである。
実のところ、『チーム・バチスタの栄光』を読んだこともなく、著者の名前もしらなかったが、本屋で立ち読みしているうちに、これは、とんでもないことだと今更ながらに気がついた。本書は、ブルーバックス・シリーズにとっては異常な構成をとる。つまり、ブルーバックスはノンフィクションのシリーズなのだが、フィクションの主人公「白鳥圭輔」が狂言回しとして登場するのである。
本書の告発点は、検死にAi(Autopusy imaging)、すなわち、CTやMRIなどの画像診断を導入すべしという点である。遺体を傷つけることを嫌う遺族やコストや人材も含めて忌避されがちな解剖ではなく、画像処理こそが、データの保存や解析の容易さをもたらすというのである。
厚生労働省をはじめとする官僚組織の怠慢は、今に始まった訳ではないにしても、官僚のみならず、関連医学会にとっても、警察検察にとっても、さらには、遺族や死者本人にとっても、死因が明らかになることは大変重要なことなのではないか。死亡診断を通じて医学の進歩に貢献が可能であるだけではなく、これまで、不明のまま、真の原因が明らかにされないまま葬られてきた死者も浮かばれるというものであろう。
本書の末尾でも触れられているが、多少は、動きがあるようである。しかし、本書の最後にも触れられているが、誰しも死なねばならないという意味で誰もが無関係な存在ではなく、「無知は罪なのである」。われわれは、すべてを知らねばならない。そして、自分自身で判断できるよう、学び続けなければならない。
自分自身の死に臨んで判断はできないのではあるが、それまでに、なすべきことがあるはずである。死と病については、だれも、逃れることができない以上、心すべきである。自分自身も、もちろんのこと。
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