我家の婆様は93歳です。何年か前に絨毯につまずいて、運悪く背骨を骨折してしまいました。治療が良かったためか治りました。しかし、10m位歩くと背骨が傷むようです。そのため、我家には10m間隔で休憩用椅子が置いてあります。その後、玄関で転倒しました。気を失ったそうですが、何とか無事でした。ところが先日、今度はお風呂で転倒してしまいました。あわや腰の骨折かと思いましたが、運よくマットが敷いてあったため骨折は免れました。原因は風呂場と着替え室の段差約8cmを登れなかったためのようです。たった8cmの段差で転倒とはねえ。いつかは・・・・と覚悟しておかなければなりません。そうなると、仕事やボランティアなどを減らさなければと思うと憂鬱です。
着替え場とお風呂の段差約8cm
再度転倒したら骨折は免れないと思い、業者を呼んでお風呂の改修を検討しました。その結果、大々的な風呂工事はせず、着替え場と風呂場の段差にもう一段段差を取り付けると良いのではとのことになりました。段差の解消方法はケアマネと相談です。なお、40年近く使ってきたシャワー装置が使いづらく、お湯の量が極端に少なくなってきため取り換えました。絨毯の裾やちょっとした段差で転倒するなど信じられません。90歳近くなると足が上がらなくなるのでしょう。私もいずれそうなるのでしょうか。
取り外した古いシャワー装置 点検調査中の業者の方
本格的な冬はまだですが、もうすぐ12月です。急いで冬支度をしなければなりません。今一番急いでいるのは、畑の冬支度です。夏に生えた雑草の刈り取り、冬春の野菜や花などの種まき。落葉拾い。農機具小屋の整理などです。刈り取った雑草がだいぶ乾いてきたので、焚火をして燃やしました。燃やしたついでに、先日収穫した硬質トウモロコシを火であぶりました。少しばかり焼きすぎて焦げ目が黒くなりすぎました。しかし、硬い実が柔らかくなっていました。じっくり噛むと、昔ながらの懐かしい味を楽しむことができました。食べながら焚火の揺れる火を見つめていると、何故か子供の頃を思い出します。
焚火に近づけて、トウモロコシをあぶる
焚火をするには注意することがあります。飛び火しないように窪みで燃やしたり、すぐに消火できるような準備が必要です。そのため、畑中央ににクワで深く穴を掘って焚火をしました。また、焚火の近くまで消火用のホースを引き込みました。そして、ちゃんと水が勢いよく出ることを確認しました。これから3月までの間、伐採木や枯草などを燃やします。灰は肥料になります。当然のことながら、家庭ごみは燃やしません。
クワで窪みを掘る 消火用ホース 燃え続ける焚火
今の時期、山はどんどん変化しています。楢やクヌギのような落葉樹は葉が落ちて、太陽の日差しが地表に届くようになります。落葉が雪のようにはらはらと落ちている林、そのような地表に体を横たえることが子供のころから好きでした。落葉のかさかさ言う音を聞きながら、木々の間から見える空を見上げます。すると、青空をゆうゆうと動いている雲が生き物のようにみえます。
はらはら落ちる落葉に耳をすませ、木々の間の空を見上げる
静かに空を見上げていると、落葉の以外の音もどんどん耳に入ってきます。風の音、葉や枝が擦れる音、そして、キツツキが幹をつつく音や鳥の鳴き声なども聞こえ始めます。かつての人間は、自然の音に囲まれて生きていました。今は自動車,電車,モーターなどの人工の音に囲まれてしまいました。太古からの音に耳をすますと、何故だか心がいやされます。
葉が落ちた明るい林の中 ここに仰向けになり耳をすます
しばらくバイクに乗っていませんでした。バッテリーもあがり気味です。そのため、久しぶりにバイクで出かけてみることにしました。今回は周南市の須金と鹿野方面です。今はブドウや梨の収穫シーズンです。最初、採りたてのブドウを買いに須金に向かうことにしました。菅野湖を越えてしばらく走ると、須金フルーツランドに着きました。ふれあいプラザ須金で小休止した後、羊が飼われているかいたファームを初めて訪れました。
幸せそうに草を食む羊 (かいたファーム)
山口県の海側は比較的多くの人が住んでいます。それだけ家やビルも多く建ち、昔の自然がどんどん減っています。逆に、須金などの山側は人口密度は低いためか、今でも豊かな自然が多く残されています。私が子供の頃の風情があちこちに残っているように思います。何かしら空気も美味しく感じます。菅野湖周辺を走っていると、山口県の海側にいては知りえない、険しい山々があることに気が付きます。古代から続く自然がそのまま残っているように思います。
菅野湖の畔で休憩 ふれあいプラザ須金 お土産を物色
さて、ふれあいプラザ須金を出るとかいたファームに向かいました。ちょうど羊が二頭、ブドウ棚の下で草を食んでいたのでかいたファームであることがすぐに分かりました。羊の前でバイクを降り、しばらく羊を眺めました。動物園などで飼われている羊は、どことなく汚れています。しかし、ここで飼われている羊は綺麗です。大切に育てられているのでしょう、見るからに幸せそうに草を食んでいました。そのため、羊毛の質もよさそうに思えました。
お土産にブドウを購入 久しぶりに訪れた鹿野の漢陽寺
羊を見終わると、店頭に行きました。シーズンなのでいろいろなブドウを売っていました。良さそうなブドウを選んで購入しました。その時、お店の方とお話が進みました。飼っている羊は田布施農工高校の羊と親戚であること、平生町農多の食品を扱っていること、2年ほど前に開園したことなどの話題で時間を忘れました。楽しいお話ありがとうございました。
鹿野のあちこちで見かけたソバ畑、満開の白い花
購入したブドウをバイクに収め、次に鹿野に向かいました。途中、一車線しかない狭い古道と思われる道を通りました。そして、漢陽寺に到着しました。ここは流れる水の庭園が見事です。ところで、漢陽寺に着いた頃、お尻が痛くなりました。バイクを長時間運転すると誰にでも起きる現象です。予定では萩方面に向かうことにしていましたが止めました。今度来ることがあれば車の方が良さそうです。漢陽寺を出ると、ひたすら元来た道を戻りました。
久しぶりにバイクで走った周南市の須金と鹿野
N邸では少しずつ家を綺麗に片づけています。連日ではないのですが、不要となった古い陶器や家庭電気製品などがもらわれたりしています。私は草刈機などをいただくことにしています。それらの手伝いをしているN邸近くに住む方々が集まりました。近所に住む方々ばかりで、車で来たのは1人だけでした。私は、採りたてのホウレンソウを持って参加しました。美味しい飲料を飲み比べたり、手作り料理多数に舌鼓したり、デザートのロールケーキなどを楽しんだりしました。楽しい夕べ、ありがとうございました。
夕べを楽しんだ、N邸の近くに住む方々
比較的暖かい瀬戸内海地方の田布施町の我家、ようやく紅葉が目立つようになりました。黄色に変化したのはカエデの仲間です。一番大きく育ったアメリカフウは、樹木一面が黄色く染まりました。アメリカフウは5年前に苗木を植え付けましたが、今では2階に達するほど大きく育ちました。今後はこれ以上背が高くならないように枝を切ったりの世話が欠かせなくなります。
2階に達するほど成長したアメリカフウの紅葉
黄色の代表はアメリカフウですが、紅色の代表はモミジです。たくさんの葉がいっせいに紅く染まりました。そして落葉した葉が道に積み重なっています。このモミジが紅葉し落葉し始めると、いよいよ冬が到来する季節です。12月に入ったので、広い畑の中央に穴を掘って落葉した葉を集めて焼こうと思います。
真っ赤に紅葉したモミジ どの葉っぱも紅葉 積み重なったモミジ
昨日から急に寒くなりました。私はふだん2階で生活しているのですが、朝起きるとベランダに出て2階から畑などの様子をみることから一日が始まります。早朝畑を見下ろすと、畑の約半分が白くなっているではありませんか。外に出てみると、やはり初霜でした。
初霜で葉全体が白くお化粧
本当に初霜かと思って白くなった葉を摘まんでみました。霜ならば摘まんだ部分が溶けて緑色になるはずです。摘まんだ指を外すと、霜が溶けて地肌の緑がみえました。毎年の事ですが、初霜を見ると、冬が遠くないことを感じます。そして、もう種まきの季節が過ぎたことを悟ります。麦類は12月上旬でもなんとか間に合いますが、葉物野菜はビニールや寒冷紗などで覆わないともう育ちません。
白い葉を指で摘まむ 摘まんだ所の霜か溶けて緑に
綿や藍などを育てている畑、11月上旬までに麦の種を蒔く畑に転換する予定です。綿と小豆の収穫そして藍の採種がまだ終わっていないため、今回は綿,小豆,藍の株を避けながらの耕耘です。このところ快晴続きです、畑の土はしまって硬くなっています。そのため、雑草を絶やすため畑の表面を削るように耕しました。雨が降って土が柔らかくなったら、今度は深く耕そうと思っています。
快晴の日差しの中、藍の花に囲まれながら綿畑を耕耘
数日前、生い茂った畑の雑草を刈っておきました。乾いた雑草は耕耘機のロータリーに絡みつく恐れがあります。そのため、耕耘する前に熊手を使って雑草を畑脇に移しておきました。綿,小豆,そして藍はまだ畑に残しておきます。綿,小豆,そして藍をギリギリ避けながら耕耘しましたが、葉や実のの一部ががロータリーに巻き込まれてしまいました。
綿畑をぬうように耕耘 綿のギリギリ傍を耕耘 茶綿畑の間を耕耘
畑に残した綿は11月初めの成器塾で子供に収穫してもらう予定でいます。その収穫が終わると、一気に綿を引き抜いて麦用に耕耘しようと思います。去年まではパン用の小麦を栽培していましたが、パンの作り方が悪いのかなかなか美味しいパンができません。全粒粉のパンは出来立ては美味しいのですが、冷えた後はまずいのです。私の料理の腕が悪いのが全てなのでしょう。今年は心機一転、パスタやピザ用の小麦を栽培してみようと思います。料理の下手な私ですので、パンと同様で、美味しいパスタができる保証はありません。さて、どうなることやらです。
綺麗に開いた茶色綿 来月、この畑に小麦の種まき
明日から初仕事です。今日は伐採した枝や枯れ枝などを燃やして畑を綺麗にしました。枯れ枝は我家の西側にある檜林で集めて、一輪車を使って運び出しました。倒れた竹や折れた竹はノコギリで切っては集めました。ただ、圧倒的な竹の多さです。わずかばかりの枯れ竹しか集めることができませんでした。ついでに歩くのに邪魔な竹を根本から切っておきました。
檜林の枯れ枝を運ぶ 枯れた竹を収集 竹や枯れ枝を燃やす
一番困ったのは、先日伐採した梅とぐみの枝です。両者共に枝に針のような棘が付いていることです。軍手を軽く突き抜けてしまいます。そのため、右手の指が傷だらけになりました。ばい菌が入るといけないので、そのつど口で強く血を吸い出しました。後で腫れなければいいのですが。ある程度の枯れ枝や竹を集めると、昨日掘っておいた穴で燃やしました。
燃えている枯れ枝など、炎でしばし温まる
燃やし始めたのは午後3時頃だったでしょうか。燃やしている間も、伐採した枝や枯れ枝を運び込みました。たった一人の作業ですので、なかなかはかどりません。数人でやれば1時間程度で終わる作業が、暗くなるまでかかりました。伐採するのはよほど大木でない限り容易です。しかし、伐採した枝を運んで、燃えやすいようにノコギリで切ったり、燃え残った枝先をの中に入れたりする作業は、ことのほか時間がかかるものなのです。良いのは炎で体が温まることぐらいでしょうか。
だんだん周りが暗くなる 集めた枯れ枝を次々と炎に放り込む
このところ本が増えてきたため、本棚を購入しました。家具屋さんで売っている本棚は高価です。4年前組み立てるタンスを購入しましたが、今回は組み立てる本棚を購入しました。注文後3日ほどで届きました。しかし、重くて持ち上げられません。引っ張るようにして引きずり、なんとか二階に運び上げました。
届いた組み立て式本棚 ネジ類の確認 組み立てマニュアルを読む
やっとの思いで二階に運び終わると、ナイフで外箱を外しました。すると、長い板が何枚も入っていました。そして、マニュアルとネジ釘類が入った袋も入っていました。ネジをドライバーでいちいち回していては、時間がかかりますし手も疲れます。そこで、電動ドライバーを使うことにしました。今後、空いた時間を見ながら組み立てようと思います。大みそかまでに組み立て終わればと思います。
組み立て式本棚の板や部品の数々
このところ、すっかり春らしくなりました。去年の秋から続けてきたたき火も終わりです。まだまだ燃やさなければならない伐採木がありますが、この秋まで取っておくことにしました。これからは、野菜や花のは種まきなどの農作業が忙しくなるためお預けです。
今時の子供はたき火をすることが無いようです。私が子供の頃は、勉強よりも大切なことの一つがたき火(風呂焚き)でした。小学4年生から高校3年生までの約8年間、ほぼ毎日のように風呂焚きをしていました。
燃やし始めは乾いた板 次々に伐採木を焼却 枯れ枝も焼却
風呂焚きの仕事は、およそ次のようなサイクルです。
・山に登って適当な木を見付けてノコギリを使って伐採する。
・伐採した木は、そのまま放置して乾かしておく。
・その後、乾いたことを確認して山からひきずり降ろす。
・ノコギリやナタを使って焚きやすい大きさにする。
・雨の日に備えて、家裏に木を溜めておく。
・溜めた木を使って、ほぼ毎日風呂を焚く。
・風呂を焚いた次の日、灰を取り出して畑にまく。
以上のことは、すべて自分の責任でやらなければなりませんでした。ナタや鎌で指を怪我したことはたくさんありましたが、火事になったりボヤを起こしたことはありませんでした。子供には決して楽な仕事ではありませんでしたが、一方で楽しみもありました。燃える火を使っていろいろ実験することができました。例えば、火薬を作って実験したり、鉄を赤熱してナイフを作ったり、粘土で茶碗を作ったり、鉛などを溶かして加工したことなどです。
燃え盛る炎を見ながら、子供の頃を振りかえることも
今、たき火をしながら炎を見つめていると、子供の頃を思い出すことがあります。子供の頃の自分は、野山を駆け回っては実を食べ、川や海に出かけては海の幸を食べたりしていました。危険な事にもたくさん出会いました。・・・・・これらの経験が、今の私の血や心になっているような気がします。
この秋まで、たき火はお預け
我家の2階を直すため、不用品を壊しつつ焼却しています。今回はタンスを壊して燃やしました。壊すときは金槌で叩き、バラバラに壊してから2階から落としました。そして、燃やす畑に運びました。タンスは、よく乾いていたため勢いよく燃えました。タンスを半分程度燃やし終わると、今度は伐採した木々の枝や幹を燃やしました。
壊す前のタンス よく燃えるタンス 時々水をまき、火を押さえる
伐採した木々は、まだ完全には乾いていなかったためなかなか火が移りません。しかし、いったん燃え上がると煙を出しながら炎が上がります。火が強くなりそうな場合は、すかさず水をかけて炎を弱めました。このところ、午後4時頃にならないと風が弱まりません。暗くなると燃やせないため、焼却する時間は2時間程度しかありません。4月からいろいろと忙しくなるため、3月中になんとかすべての木々を燃やせたらと思っています。
風が弱まる16~18時に焼却作業
夕方、風がありませんでした。これは伐採木や枯れ枝を焼却するチャンスですので、たき火をしました。最初に不要な段ボール箱を積み、その上に細かい枯れ枝を積みました。そして、ライターで火を点けました。火をつけた直後は炎は小さかったのですが、だんだん枯れ枝に燃え移りました。
不要な段ボール箱に着火 枯れ枝に燃え移る だんだん大きくなる炎
このところ、日が長くなったことを感じます。12月であれば、5時を過ぎるとすぐに暗くなったものです。2月になると、わずかに暗くなる時刻が遅くなります。それだけ燃やす時間を多くとれます。
枯れ枝に燃え移った炎の上に、伐採した幹などの太い木を重ねました。すると、炎がだんだん強くなります。燃え盛る炎をぼんやりと見ていると、時間を忘れます。3月位まで、風が無い日を狙っては伐採した木々を焼却しようと思います。それでも、すべての木を燃やすには時間が足りません。
暗闇の中で燃え盛る炎
倉庫などを整理していると、昔よく聞いたLPレコードなどがポロポロと出てきます。最近、パソコン雑誌にアナログデータのデジタルデータへの変換方法がよく出てきます。そのため、私の思い出のアナログデータを年内に、なんとかデジタルデータへ変換してみようと思います。数年前に一度トライしたことがあるのですが、一番の難敵は磁気テープへ録画したアナログデータです。磁気テープが経年変化が傷んでいるようで、変換がうまくいかない場合がとても多いのです。
私がよく聞いた、音楽関連データ媒体の一部
音楽関係のアナログデータはそれほど惜しくはないのですが、映像データはなんとか変換したいと思います。特に、VHSと8mmビデオです。両方共に再生装置が売っていないので困ります。ただ、最近アナログデータからの変換専用装置も売っているようなので、検討する価値がありそうです。今から30年位前に撮影したビデオをもう一度見たいものです。
ところで、ビデオよりさらに古い8mmフィルムはなんと、今でも映写機が使用可なのです。カタカタ言いながら映像を今でも見ることができます。古い方が長期保存に適しているなんて、30年前は考えもしませんでした。
映像を記録した媒体の一部、再生が困難なのはVHSと8mmビデオ
燃やさなければならない枯れ枝や枯れ葉がまだまだあります。今年も、これらの木々を焼却し続けます。伐採した木は、いったん乾かしています。そして、乾いた順に燃やしています。ただ、雨が降ったり風が強い日は燃やすことができません。そのため、5日位おきに燃やしています。暖かくなる4月初めまで燃やそうと思います。
今回の燃やし始めは、段ボール箱やダルマ
今回、最初に燃やした中にダルマがありました。亡き父親が元岸総理の岩国事務所秘書をしていた頃、国政選挙時に置かれたダルマです。選挙で元岸首相が当選したのでしょう、両目がく塗ってありました。元岸首相か,奥様か.又は誰かが塗ったようです。土に返ったダルマのように、少しずつ父親の思い出が消えていきます。
燃え盛る枯れ枝など 生木の葉も燃やす 暗くなっても燃やし続ける