日曜日、久しぶりに平生町をウォーキングしました。毎年、真夏のウォーキングをどこにするか迷います。去年は石城山をウォーキングしました。今年は、石城山に明治4年頃まであった神護寺の移転先である平生町神護寺付近をウォーキングすることにしました。集合はJAひらお支所です。全員が集合すると、車で平生スポーツレクリエーション公園まで行きました。この平生スポーツレクリエーション公園からウォーキングをスタートしました。下見時は曇りでしたが、今回は真夏日でした。
曽根の板碑を見た後、馬島方面を眺望 曽根の畑で、花作りお爺さんとお話
最初、曽根の板碑を見学しました。室町時代の墓碑のようで梵字が刻んであります。その頃からここは墓地として使われているようで、曽根の畑(はた)には当時から人が住んでいたことが分かります。板碑を見学すると、道をどんどん進みました。すると、畑の近くで綺麗な花をたくさん作っているお爺さんに出会いました。奥様の花作りを継いでいるとのこと。この真夏日の中、道脇に咲いたサルビアなどたくさんの花を見せていただきました。ありがとうございました。
曽根の平原から、麻郷や平生湾方面の眺望を楽しむ
曽根の平原(ひらばら)を過ぎると、道を少しばかり下って木村(こむら)のお地蔵様を訪ねました。このお地蔵様は昔、乳が出ない女性がお参りしたそうです。昔、子供を産んでも乳が出ない母親は苦労したと思います。今は粉ミルクがありますが、昔は乳が出ないと子供は餓死するしかありません。
一方で、昔は子供の死亡率が高かったので、子供を亡くした母親も少なくなかったと思います。乳が出なくて困った母親、子供を亡くして乳が出て困った母親。そうした母親達をこのお地蔵様が取りもったかも知れません。私が子供の頃、乳母に育てられた話をよく聞きました。
木村(こむら)のお地蔵様 古老からお地蔵様のお話を聞く
このお地蔵様のお祭りは、つい3年前の2011年まで行われていました。私は2012年、このお祭りを見たくてこのお地蔵様に来たことがあります。しかし、去年で終わりになったことを聞いてがっかりしたことがあります。お祭りが消える原因のトップは、やはり人口減です。最後のお祭りの時、お祭りを仕切る家が2軒だけだったそうです。村々から、伝統あるお祭りが消えるのは寂しいことです。
木村のお地蔵様、お祭り最盛期には向こうに続く道にたくさんの露店が出たとか
なお、お地蔵様は立派なお社に安置されています。お地蔵様を見ることができるか覗いてみました。しかし、扉が閉められていたため見ることはかないませんでした。ご開帳の時にぜひ拝ませていただきたいと思っています。
木村のお地蔵様を出ると、元来た道に引き返しました。そして、神護寺に向けてひたすら歩きました。木漏れ日程度の日差ししか差し込まないので暑くはないのですが、風がなかなか吹かないため汗がじんわりと滲みます。
竹林のような道をどんどん進む 神護寺手前の田んぼ坂を登る
しばらく歩いていると、「石城山神護寺」と刻まれた石柱が見えてきました。その石柱から上り坂を進みました。少し歩くと、ほどよく畔が草刈りされた田んぼが見えてきました。さらに進むと、こんもりとした木々に囲まれた神護寺に到着です。境内前で一休みして、梵鐘前に行きました。梵鐘前は適度な日陰で、時たま涼しい風が吹き抜けます。ここで昼食休憩を取りました。北の方角に、かつて神護寺があった石城山がよく見えました。
強い日差しの中、神護寺に到着 梵鐘前の日陰で昼食休憩
ところで、神護寺に着いた時、参道脇の溝に幼タヌキの死骸がありました。お詣りに来た方がびっくりすると思うので、お寺に方にお知らせしておきました。食べ物が無かったのか、病気にかかったようです。野生は生存競争が厳しいので、生き残るのは並大抵ではないと思います。その点、人間は伝染病や戦争さえ無ければ比較的穏やかに一生を過ごすことができます。人に生まれることはありがたいことです。
昼食休憩後、境内前でウォーキング参加者勢ぞろい
下の画像は、今回ウォーキングした平生町曽根の畑,平原などのルートです。ほぼ高度約120mで、木漏れ日程度の日陰が続く快適なウォーキング道でした。風が吹いていればより快適でしたが。ウォーキング中、棚田方面に向かうバイクに1台出会いましたが、車には一度も出会いませんでした。
今回歩いた、平生町スポーツレクリエーション公園からのルート
==========健康ウォーキングクラブ==========