東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

光市 戸仲,冠梅園周辺の史跡調査歩き(1/4)

2021年02月25日 | 歴史探訪他ウォーキング

 このところ、三寒四温で少しずつ暖かくなりました。光市の冠梅園の梅は見ごろのようです。駐車場は満杯で入れないとか。一週間ほど前、冠梅園を歩いた時はまだ寒さが続いていました。梅は一部しか咲いていませんでした。そのため、梅を鑑賞する人も少なくテーブルやイスは座り放題でした。さて、今回は戸仲地区にあるはずの戸仲大師堂(防陽霊場札所)を探すため歩きました。しかし、見つかりませんでした。歩き方が足りなかったのかも知れません。

       秩父宮殿下が宿泊した家、塀のレンガ模様がナイス


 車を西ノ庄に置いて、最初室積海岸が広がる松原地区を歩きました。砂浜に平行に走る古道をのんびり歩きました。歩き始めてすぐ、松原の松の幹にに何本もの瓶が刺さっていることに気が付きました。松脂を取るためなのか、栄養剤注入か、または殺虫剤注入か分かりませんでした。たまたま、その松の幹下でその瓶を交換している方がいることに気が付きました。お聞きすると、殺虫剤とのことでした。初めて知りました。

   幹に刺さる瓶      道脇のお地蔵様1    墓所のお地蔵様2
  

  松林が見えなくなった頃、ブロック塀に囲まれたお地蔵様1がありました。さらに歩いていると、墓所が見えてきました。その墓所に数体のお地蔵様がありました。その昔、この近くにお寺があったのでしょうか。あるいはお坊さんが住んでいたのかもしれません。それを思わせるように平和霊場と書かれた立派なお堂にお地蔵様3が安置されていました。霊場があったのであれば、その昔お坊さま又は尼僧が住んでいた庵かお寺があったのではないでしょうか。

  平和霊場と記載のお堂とお地蔵様3     秩父宮殿下御宿泊記念の石碑
 

 墓所を過ぎてしばらく歩くと、家の塀を越えて目立つ立派な石碑が見えてきました。石碑には秩父宮殿下御宿泊記念と刻まれていました。戦前に何らかの軍の演習時に宿泊されたのでしょう。さすがに、石柱が立っている家は立派でした。特に塀のレンガの幾何学的模様が良かったです。その近くに、小さなお地蔵様4が安置されていました。

  小さなお地蔵様4     新生仏教発祥之地碑    戸仲自治会館
  

 さらに歩いていると、新生仏教発祥之地と書かれた碑が立っていました。昭和二十年代に新しい宗教が発祥した地のようです。ここに住んでいた方が開眼してできた宗教のようです。天照皇大神宮教の発祥地が田布施であることを思い出しました。戦後はいろいろな宗教が発祥したのでしょう。続いて戸仲自治会館に行きました。会館に出入りしている方に戸仲大師堂のことをお聞きしました。残念ながらご存じなかったようです。続いて、近くにある戸仲漁港に向かいました。

        戸仲,冠梅園周辺の史跡調査で歩いたルート

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