山口県の田布施町に帰る前日、12年ぶりに奥多摩湖周辺を訪問してみました。奥多摩へは、それよりさらに30年以上前から時々訪れていました。つまり私が二十代の頃から山間地域の暮らしに興味があり、奥多摩を含む山梨,長野,静岡などの山深い里山を頻繁に訪れていました。そして、今では鬼籍に入った古老にいろいろと昔の暮らしについてインタビューしてきました。そして、古老宅に泊り当時栽培されていた作物の栽培を手伝ったり加工して食べたりしたこともありました。
今、小学校などで子供達に昔の生活のお話をしています。古老を訪ねたり昔の生活を体験したりしたことが、その原点の一つになっています。
奥多摩の山々や、山奥の懐かしい人里を見下ろして
東京に住む人々に水を供給している奥多摩湖、この湖は小河内村などの村を水没させてできた人工の湖です。それらの沈んだ村の民俗資料館に寄りましたが、残念ながら休館でした。水に沈む前の写真や道具などの資料が展示されています。また、年に一度、旧村人が集まって伝統の踊りなどを披露しています。
奥多摩ではありませんが、湖に沈む別の村を訪れて、ソバを収穫中の古老夫婦にお話しを聞いたことがありました。沈む前の民家がまだ建っており、寂しそうな表情が印象的でした。最後まで残った古老夫婦でした。
湖に沈んだ村の資料館 水をたたえる奥多摩湖 東京のチベット、峰地区
今回は東京のチベット呼ばれる奥多摩最高部にある峰集落周辺を訪れました。今でも人が住んでいるようですが、山の下にあった小学校は閉校になっていました。
昭和初期、それぞれの集落は最低限の自給自足ができていました。集落内には、学校、店、郵便局、鍛冶屋、警察、農家、猟師などがワンセットで揃っていました。しかし、今はほとんどか統合されて集落自体では生活が成り立たなくなっています。限界集落のようでした。少子高齢化の日本、どの町も村もこの集落のようになることを暗示しています。奥多摩を再訪して、お話をお聞きしたたくさんの古老を思い出しました。
東京のアンデス(通称)の集落 奥多摩湖をはるか下に臨んで