この日曜日、ユギ・ファームの仲間達と農作業しました。前回は小豆の刈り取りなどの農作業をしました。今回は、小麦の種まきタマネギ苗の植え付けなどをしました。最初に小麦の種まきをしました。小麦畑は私があらかじめ耕運機で耕しておいたので、今回は小麦の種をまくだけです。
種まき器を使って、小麦の種まきをするMさん
最初、種まき器をつかって小麦の種をまきました。種まき器の中に規定量の小麦を入れると、後は押して歩くだけでどんどん種をまいてくれます。しかしも、まき過ぎなどがないので、とても便利です。最初、種まき器だけでよいかと思っていましたが、種がだいぶ余ってしまいました。そこで、今度は手まきに切り替えて厚まきをしました。
手まきで小麦を種まきするTさん夫婦
小麦の種まきが終わると、レーキや足を使って土を被せました。2週間後位には小麦が芽を出すことと思います。それまでに一度、雨が降ってくれるといいのですが。次に秋冬野菜を収穫しました。収穫したのは、大根,ニンジン,長ネギ,里芋などです。
里芋を収穫中のMさんとTさん 大根を抜いて収穫中のMさん
秋冬野菜の収穫の他に、エンドウ豆の種まきをしました。エンドウ豆は晩秋に種をまくと、冬に幼苗で過ごした後に春に鞘を収穫できます。耕運機で耕したあと、レーキで畝を均してから種をまきました。冬の間に、支柱を立てておくと、春になってから成長したエンドウ豆が絡みつきます。
ポカポカ陽気の中、絹サヤエンドウ豆の種をまくTさん夫婦
絹サヤエンドウ豆の種まきが済むと、タマネギ苗のう植え付けをしました。去年は、私が種まきして苗作りをしましたが、今年は苗を購入しました。約50本/500円でした。植え付けの前に、耕運機で耕してからレーキで均します。そして、黒マルチを敷きました。
タマネギ用黒マルチを敷く タマネギ苗植え付け開始
黒マルチを敷くのには、大きく二つの理由があります。一つは雑草対策です。黒マルチで覆われた箇所は日光が当たらないため、草が生えません。二つ目の理由は、早春になった頃黒マルチは日光を吸収して地表を暖めることです。土が温かいとタマネギが早く生長します。黒マルチの小さな穴一つにタマネギ苗を一つ植えつけました。
参加者みんなで、タマネギ苗を黒マルチに次々に植え付け
タマネギ苗の植え付けが終わると、お昼の休憩を取りました。田んぼを見下ろす場所にシートを広げて和気藹々に談笑しながらの食事です。休憩が終わると、再び秋冬野菜の収穫をしました。収穫したのは、京菜,壬生菜,そしてサツマイモです。サツマイモは芋が地中深く潜んでいたので、何個かの芋は折れてしまいました。それでも楽しく芋ほりできました。
収穫中の京菜と壬生菜 サツマイモを掘っているTさんとMさん
今回は、小麦の種まき,タマネギ苗の植え付け,そして絹サヤエンドウ豆の種まきをしました。そして、いろいろな野菜を収穫しました。収穫したのは、ニンジン,京菜,壬生菜,小松菜,大根,里芋,サツマイモ,春菊,長ネギ,ハーブ(クールミント)です。収穫した野菜を並べていると、まるで朝市でもしているかのようでした。
参加した人数分に分けた各種野菜、朝市でもしているよう
久しぶりに高校の文化祭に行ってきました。行ったのは家内が勤めている都立農業高校です。これまで高校の文化祭に行ったのは、瑞穂農芸高校で4年前と5年前のことでした。この時は、私が瑞穂農芸高校生徒に稲作りを教えていた関係で行きました。そして、それより前は、私の息子が通っていた都立日野高校の文化祭に行きました。また、調布南高校や八王子東高校などに行ったこともありました。大学は、去年東京薬科大学の東薬祭に行ったのが最後です。
京王府中駅前のケヤキ 緑がいっぱいの府中市内
府中にはとても久しぶりに行きました。京王府中駅を降りると、ケヤキの大木が茂る道の前に出ます。このケヤキは大国魂神社の関係で古来より守られてきた並木のようです。大国魂神社自体が千年以上の歴史があるため、この並木も同じように千年以上歴史がある道なのだと思います。つまり古代道の跡でもあるのではないでしょうか。「府中」の名前のとおり、ここには古代において武蔵国を治める館があったようです。
都立農業高校の正門、文化祭で沢山の人だかり
今回は快晴の秋晴れでした。空は青く白い校舎がとても眩しく見えます。校舎内に入ると、沢山の人だかりでした。文化祭のパンフレットをもらって中に入りましたが、どこに行ってよいのから迷ってしまいそうでした。それでも、サンダルを拝借して校舎内を歩いて見ることにしました。
秋晴れで、白い校舎が眩しいほど 各種野菜で作られた宝船
最初に行ってみたのは、元々は食堂でしょうか広いホールでした。食物科が出展しているコーナーがありました。パンを作る工程やソーセージを作る工程などが展示されていました。加工工程だと思いますがビデオも上映されていました。とても混んでいて、よく見ることができませんでした。次に体育館でファッションショーがあると言うので行ってみました。舞台はやや粗末でしたが、生徒が作ったのでしょうか服装はとても凝っていて綺麗でした。高校生らしいショーだったと思います。途中電源が落ちて、ショーがやり直しとなるハプニングがありました。
食物科の展示コーナーは混雑 体育館でのファッションショー
校舎内はとても混雑して息苦しいので、外に出て散策してみました。農業高校ですので、広い農場があります。その農場の方に行ってみました。しかし、この農場もとても混んでいました。この農場で作った野菜か加工食品を売っているのでしょう、沢山の人が並んで待っていました。
農場入口からまっすぐに伸びている散策路
農場入口からまっすぐに伸びている散策路(生徒が農業実習の時に通る道)を歩いてみました。生徒の親兄弟でしょうか、たくさんの人がこの散策路を通りながら畑やハウスを見学していました。この通路の南側にはいろいろな秋冬野菜がたくさん栽培されていました。
キャベツや白菜などの畑 いろいろな種類の大根を栽培
生徒だけではこれだけの野菜を作る技術はありません。その道のベテラン先生たちが指導して、日々野菜の管理をこまめにしているのだと思います。瑞穂農芸高校では牛や豚を飼っていますが、生徒達が土日休日に学校に来て餌やりなどの世話をしていると聞きました。この高校でも、生徒達が一部管理しているのではないかと思います。
一農家では設置できそうもない、とても立派な温室システム
野菜畑を散策すると、畑の北側に広がるハウス群を見学しました。生徒の親兄弟達も興味しんしんにハウス内に入って見学していました。ハウス内はゴミ一つ無く整理整頓されていました。一番立派なハウスに入ってみると、地下部に温水を通して暖房にする装置がありました。温水がとおる鉄管にはフィンが付いていて、効率的にハウス内を暖めることができるようになっていました。
地下部が温水システムのハウス 花卉の苗を栽培しているハウス
これだけのハウス設備がある高校はそう多くはないと思います。これらのハウスで実習した生徒達のうちの何人が、農業に関わる仕事につくのかなと思いました。日本ではこのところ農業の衰退が言われ続けています。しかし、この東京都心の一大消費地近郊を生かした農業ならば生き残れるかも知れません。
別の畑では、花キャベツを栽培中
畑やハウスを一通り見学すると、作業用のハウスや外においてあった農業機械を見学しました。まず、作業用のハウス内では箱に種を蒔いたり苗を移植しやすいようにテーブルおかれていました。そして、広めのパレットが置かれていました。また、道の途中に刈り取った枝などをチップにする機械が置かれていました。相当太い枝でもチップにできる機械のようでした。このチップから堆肥を作るのでしょう。
育苗などに使う作業ハウス 枝をチップにする機械
もっと高校内を見学したかったのですが、用事があったので午後1時頃に農業高校を離れました。文化祭や農場は、スケジュールを組んで効率的に周らないと一日では見ることができません。次回もし来ることがあれば、事前に計画を立てて周ろうと思います。学校の外に出ると涼しいケヤキ並木の下を歩いて京王府中駅に向かいました。
京王府中駅に向かう途中のこんもりとしたケヤキ並木
一週間ほど前、別所小学校5年生が稲刈りをしました。この稲がだいぶ乾いたため、私一人で脱穀して籾にしました。脱穀方法は、多摩丘陵の自然を守る会の方々を脱穀支援したのと同じ脱穀機と耕運機を使用しました。籾が下に落ちる方式の脱穀機でしたので、籾の受け箱を作って使いました。余った段ボールを利用して受け箱を作りました。
余った段ボールを加工 出来上がった籾の受け箱
作った籾の受け箱は脱穀する前に、脱穀機の下にセットしておきました。こうしておくと、籾を手でかき集めなくても受け箱に籾が溜まります。適度に籾が溜まったら、脱穀をいったん中止して受け箱を取り出して袋に籾を入れます。
脱穀機の下に、段ポールで作った籾の受け箱をセット
脱穀の準備が整うと、小学生達が稲刈りして干した稲を田んぼに取りに行きました。稲はだいぶ乾いていたので、稲刈りしたときよりも軽くなっていました。稲を稲架(はさ)から取り上げると籾粒がサラサラと音をたてます。稲は一輪車に乗せて、落ちないように紐で縛り付けました。そして、田んぼから脱穀機から置いてある畑まで運びました。
稲架(はさ)に架けて乾かした稲束 稲を一輪車に乗せて畑に運搬
乾いた稲束を畑に運んで積むと、耕耘機とベルトで繋がった脱穀機を動かしました。そして、稲束を脱穀の挿入口に次々に入れて脱穀をしました。脱穀機の内側で取れた籾がはぜるのか、パチパチいう音が聞こえます。この音が聞こえると、稲にちゃんと籾が実った証拠です。脱穀機下の籾の受け箱に、籾が脱穀するたびに籾が溜まりました。
田んぼから運搬した稲束を次々に脱穀
脱穀をすると籾が下に落ちます。落ちた籾は受け箱にどんどん溜まります。そして、受け箱に籾がだいぶ溜まると脱穀をいったん停止します。次に受け箱を取り出して、溜まった籾を袋に移します。
籾の受け箱に籾が溜まるといったん脱穀を停止
籾の受け箱は、脱穀機の寸法に合わせて作ったため、箱より外に飛び出る籾はあまりありませんでした。段ボールで作った籾の受け箱は正解でした。脱穀して受け箱に籾が溜まると、脱穀を停止して、籾を袋に移し、脱穀の再開の繰り返しでした。
受け箱に溜まった籾を袋に移す 空になった受け箱を再度セット
田んぼの稲の脱穀が終了すると、今度は小学生達が小学校構内のバケツで育てた稲を脱穀しました。一人一つのバケツで稲を育てたのでしょう、小さな稲束には育てた小学生一人一人の名前が書いてありました。
一人一人がバケツで育てた稲束、育てた小学生の名前が書いてある
小学生達が場むつで育てた稲をよく見ると、だいぶシイナがありました。シイナとは、実が入っていない籾のことです。実が入っていないので籾がとても軽いのが特徴です。実が入っている稲もありましたが、ほとんどがシイナでした。それでも脱穀すると、両手で持てるほどの籾が取りました。田んぼで稲刈りして今回脱穀した籾とバケツ稲の籾を合わせて、来年1月頃に精米して子供達の元へ届けます。このお米で子供達はおにぎりを作ります。どんな味のおにぎりになるでしょうか。
実が全く入っていない籾(シイナ) 子供達が栽培したバケツ稲を脱穀中
10月初めに種蒔きをした長ネギがだいぶ大きくなりました。しかし、長ネギと同時に芽生えた雑草がさらに大きくなってきました。雑草が増えると、長ネギの成長に必要な太陽の光や栄養を吸い取られてしまいます。このため、雑草を取ることにしました。
長ネギ苗の周りに生えたたくさんの雑草
夏の雑草は霜にあたるとほとんどが枯れてしまいますが、長ネギの間に生えている雑草は冬でも成長する難儀な雑草です。今このやっかいな雑草を取り除いておかないと、冬の間に雑草にこの長ネギの畝をのっとられてしまいます。長ネギの間をかき分けるようにしながら、丁寧に一つ一つ雑草を摘み取りました。
雑草を取り除く前 雑草を取り除いた後
この長ネギは冬を越して春になってから、長ネギ専用に作った畝に移植します。太さが鉛筆程度に太くなってら移植できます。今回育てている長ネギは分げつが旺盛な品種です。来年の夏や秋にはおいしい長ネギがたくさん収穫できると思います。
太さが2,3mm程度の稚苗の長ネギ、鉛筆の太さ位まで育苗
御主殿からいったん八王子城の入口に戻りました。今度は、その入口から山を登って八王子城址に行くことにしました。30分位でしょうか、緩やかな所や急な所をのんびりと歩いて登ることにしました。この道は20年位前に子供達を連れて登ったり、ボーイスカウトで登ったことがあります。歩きやすい山道ですので、ゆっくり歩けば一度も休憩をせずに登ることができます。
木々の根っこはあるものの、歩きやすい八王子城址への登山道
だんだんと高度が上がっていくにつれて下界がよく見えるようになります。時々、息を整えるために立って休みました。そして、秋の紅葉を確かめるように眺めました。所々にベンチがあり、お年寄り夫婦やカップルなどが休んでいました。
遠くの山々を眺めながら、傍の紅葉も楽しむ
山道も9合目あたりまで来ると、だいぶ下界もより下に見えてくるようになります。木々の視界が晴れると、その間か小さなら町並みが見えるようになります。山道は曲がりくねっていますが、9合目の曲がりが最後です。
木々の間から見える小さな町並み 9合目、最後の曲がり角
9合目の曲がり角を過ぎてしばらくすると、パッと視界が晴れます。そこからは、八王子市内や遠く新宿副都心ビルが見通せました。スカイツリーと思われる尖がったものも見えました。この場所はベンチが無いので、立ったまましばらく下界を見渡しながら休みました。八王子城址はすぐそこです。
広がる関東平野、八王子市内や遠く新宿副都心を見下ろす
八王子城本丸跡直下にあるベンチに腰掛けて休もうとしたら、沢山の人だかりでした。近隣の人達が登山に来たのでしょう、50人位はいたでしょうか。沢山の人でベンチは空いていませんでした。このため、休憩しないで八王子城本丸跡に登ることにしました。古めかしい能か何かの舞台の横にある狭い道を、5分とかからずに登ると八王子城本丸跡に付きます。昔は天守閣のような物があったのでしょうが、今は石碑類があるだけでした。
沢山の人だかり、ベンチは満席 能か何かの古めかしい舞台
しばらく八王子城本丸跡で休んでいると、こちらに向かってくる大勢の声が聞こえてきました。さっきの、集団がこちらに向かってくるようです。本丸跡に登る道は一つしかなく、擦れ違いできないほどの狭い道です。集団全員が登りきるのを待って降りました。沢山の人だかりだったベンチは静かに空いていました。空いたベンチに一人のんびり座って、30分位休憩を取りました。そして、来た道を下山しました。駐車場に置いていたバイクに乗って家に帰りました。
石碑が建ち説明書があるだけの、寂しい八王子城本丸跡
八王子北部にある八王子城址へバイクで行ってきました。10年位前に近所の人と一緒に行って以来です。またその頃、ボーイスカウトで子供達を連れてきたことが何度か来たことがあるので、今回は地図を持たずに気軽に行ってみました。最初に御主殿跡に行きました。以前は沢脇の道を通って行けましたが、今は山の裾の道を歩いて行きます。
八王子城跡入口の案内所 御主殿跡へ通じる山道
この御主殿は城に勤める家来の館が建っていた跡です。見所は橋と石垣です。橋は再現されたものですが、引き橋になっています。戦いの最中に敵が橋を渡って来ないように橋を簡単に落とせるような構造、または橋を手繰り寄せて渡れないような構造になっているとのことです。
御主殿跡へと渡る橋、戦乱時は簡単に落とせる構造
お城の石垣は普通、天守閣などの建物を支えるものです。しかし、この御主殿の石垣は山頂にある天守閣のふもとを守る場所にあります。八王子城が山城であるため山自体が防御になっており、敵の侵入に一番さらされやすい御主殿に強固な石垣が作られたようです。
とても荒削りの石垣 歩幅が合わず上りにくい階段
私は戦国史は良く分かりませんが、八王子城は小田原城の関東西部の中心的な支城です。甲斐の武田や信濃の上杉に対する防衛として作られたようです。八王子城が作られる前に滝山城がありましたが、武田に攻められて落城寸前でした。この反省から強固な八王子城が築かれとのことです。
左右に曲がった石垣は、守りやすく攻めにくい
石垣はとても粗削りで、とても荒々しいつくりです。戦国を思わせる石造りです。石畳を歩くと、敷かれた石が不ぞろいで高さもばらばらなのでとても歩きにくいです。八王子城は、小田原北条氏が滅亡する直前に築かれ完成しきらなかったため一日で落城したようです。この狭い谷間でいったい何人が駆り出されたのだろうかと思います。
平野部の優美な城の石垣と比べて、荒く男性的な石垣
石垣を登り切ると、今で言う運動場のような広々とした場所に出ます。戦国時代、ここに何軒もの武家屋敷があったのでしょう。そして、この狭い谷に沿って作られた古道を、武士や商人達が行き来していたのでしょう。そして、小田原城からの指令や京,大阪の情報が早馬で伝えられたのではないかと思います。
石垣を登りきると、御主殿入口の門 運動場のように広い広場
御主殿から、さっき通ってきた橋や石垣が眼下に見下ろせます。ここから、沢や橋を渡ってくる敵、そして石垣を登ってくる敵を一望できたでしょう。この場所から、槍を投げたり矢を射ることが容易です。とても防御しやすい構造になっています。しかし、歴史上では一日で城が落ちてしまったとのこと。何か防御上の欠陥があったのか、裏切りや内紛があったのでしょう。
防御しやすいように、橋や石垣を眼下に見渡せる
8日、多摩丘陵の自然を守る会の方々が刈り取って干した稲を脱穀する支援をしました。支援と言っても、脱穀機とその脱穀機を動かす発動機を用意することだけです。そして、脱穀機がちゃんと動くようにメンテナンスしたり調整することです。来年私は山口県に帰るので、来年以降はもう脱穀などの支援はできません。多摩丘陵の自然を守る会の脱穀支援は今回が最後になります。
とても古い脱穀機とそれを動かすディーゼル耕運機
毎年のように脱穀を支援してきたのでちょっとさびしい気持ちでした。ちなみに、ここ数年支援したのは、'04/11/10,'05/10/22,'06/10/31,'07/10/23,'08/11/7,'09/11/9,'10/11/10です。このように、毎年支援をしています。高校生や大学生と一緒に脱穀したり、足踏み脱穀機を使ってみたり、縄綯い機を使ってみたこともありました。
乾いた稲を差し込んで脱穀 余分な藁屑は噴出される
今回使用した脱穀機は、去年まで使ってきた脱穀機とは違いさらに古いものです。一番の違いは、これまで使ってきた脱穀機は、籾が自動的に袋に入ります。しかし、今回のものは籾が下に落下するため人がすくって袋に入れなければなりません。このため、とても効率が悪い脱穀機で、昭和初期の機械ではないかと思います。この脱穀機、何年か前に亡くなった古老からいただいたものです。博物館に入れて展示しても良いほどの古い骨董品です。
籾が下に落ちるため、人が籾をすくって袋に入れる超古脱穀機
この脱穀機は数年前まで、大学生達が稲の脱穀機に使っていました。私が立ち会ってメンテナンスしていました。回す動力は、鈴子牧場にある三相交流モーターを使っていました。ただ、だいぶ古くなって土台の板が腐っていますので、もうそんなに永くは使えないと思います。
下に落ちる籾を器に受ける 器に溜まった籾を袋に入れる
明日は、先日稲刈りした小学生達の稲を脱穀する予定です。干してから約一週間程度経つので脱穀できるほど稲が乾燥しています。田んぼから稲を手で運んで、今回と同じ場所で脱穀します。脱穀した籾は精米して来年1月頃に小学校に持っていきます。小学生達はこのお米をおにぎりにして食べます。
積み上げられた稲の山 女性も稲の脱穀に挑戦
脱穀機を回す動力である発動機はディーゼル耕運機を使いました。この耕運機は動力を取り出すことができるので重宝します。昔は一つの発動機であらゆる農業機械を動かしました。私が子供の頃、耕運機から動力を取り出して、荷車,脱穀機,藁カッター,ポンプなどに使っていました。もっと昔は、村に一つだけある発動機を毎日のように使い回していたようです。
そろそろ脱穀終盤、脱穀機の下に落ちた籾を拾い集める
脱穀が終わると大量の藁(ワラ)が出ます。多摩丘陵の自然を守る会では、この藁を毎年のように田んぼにばらまいて冬水田んぼにしています。冬水田んぼの水分で春るまでには藁が腐って分解するようです。この冬水田んぼ、春になるとカエル達の産卵場所になっています。
藁は田んぼの冬水田んぼにばらまく 明日の脱穀に備えシートを被覆
このSONY製トランジスタラジオTR-714の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
修理(1/8) 修理(2/8) 修理(3/8) 修理(4/8)
修理(5/8) 修理(6/8) 修理(7/8) 修理(8/8)
古いSONY製のトランジスタラジオ TR-714がありますが、電源を入れてボリュームを操作するとガリガリ言います。また、ボリュームを絞っても音が小さくなりません。音が小さいままで大きくならない故障はときたまあります。その原因の一つは、低周波増幅段コンデンサの容量抜けなどです。今回のラジオのように、音が小さくならない故障のラジオは初めてです。
TR-714の個性的概観 裏蓋を取ると基板全面にシールド板
このラジオの概観は個性的です。特に音量調節,周波数調節,周波数切り替えのつまみが、右側に仲良く並んでいます。右手だけで操作できるようにとの配慮なのでしょうか。同じようなデザインのラジオが松下製トランジスタラジオ(T-45)にもあります。当時流行ったデザインなのでしょう。
裏蓋を取ってシールド板を外すと、基板の裏側が見える
さらに、概観だけなく筺体への基板の取り付け方が変わっていました。裏蓋を開けると、基板の裏側が見えるように取り付けられています。このような基板の取り付け方がはやった時期があったようです。このような取り付け方は、基板を外さないで故障箇所を特定するには良い取り付け方だと思います。しかし、部品を取り替える時など、修理する時には結局基板を取り外さなければなりません。私は、裏側基板でも表側基板でもあまりメンテナンス性に優劣がないように思います。
ラジオの筺体から基板を取り外して観察
修理を開始する前に、使われている部品をざっと見ました。使われているトランジスタなどを調べることによってラジオが製造された年代を大まかに推定できます。面白いのは、扁平型のコンデンサが使われていました。こんな形のコンデンサを見たのは初めてです。最初、扁平型トランジスタかと思いました。
扁平型をした電解コンデンサ 中間周波段のトランジスタは2SC型
ラジオの故障の状態を調べるために安定化電源を9Vに固定してつなぎました。すると、ラジオを正常に受信するのですが、ボリュームのガリがひどいことと、音量が絞れず調整が困難なことです。ボリューム故障のようです。
これから修理を始めるにあたって、次はこのラジオの製造年や使われている部品などの詳細について調べてみようと思います。そして、故障していると思われるボリュームを分解して調査しようと思います。
基板を取り出したラジオをパレットに置いて動作させる
11月2日、別所小学校5年生が稲刈りにやってきて、刈り取った稲を稲架(にお)に架けて行きました。一週間後位には架けた稲が乾燥し終わります。乾燥具合をみて9日頃に脱穀する予定です。また、多摩丘陵の自然を守る会の方々が稲刈りして干した稲を、8日に脱穀支援する予定になっています。去年も11月に脱穀支援。7日は日勤,8日は深夜明けのため、今から脱穀の準備をしておきました。
鈴木牧場に置いていた脱穀機をリヤカーに乗せる
脱穀機は、何年も前から鈴木牧場に保管しており、使うときはリヤカーに乗せて運びます。去年の秋に脱穀機の運搬に使って以来一度も使わなかったため、タイヤの空気がだいぶ減っていました。このため、空気入れで空気を充填しました。このリヤカーに脱穀機を乗せて、軽い坂道をゆるゆると畑まで運びました。一人で上り坂を運ぶのはとても疲れます。
この脱穀機は発動機を利用して動かします。籾は脱穀機の下に溜まるため、手などでかき寄せながら袋に詰めなければなりません。やや面倒くさい脱穀方法です。なお、去年まで使っていた脱穀機は自動的に籾が袋に入りますが、今は山口県に移送しているため使えません。
リヤカーを押しながら坂道を登る 畑前に到着、脱穀機を下ろす
脱穀機を動かす発動機は、堀の内里山公園のディーゼル耕運機を使います。これまで使っていた発動機は山口県へ移送したので使えません。みんなが使う耕運機のため、予約の上で当日畑に移動して使おうと思っています。脱穀機を運搬中に雨が降り始めたため、降ろした脱穀機にビニールシートをかけておきました。リヤカーは鈴木牧場に戻しました。8日の脱穀日、天気予報で晴れの予想ですが気になるところです。。
雨が降り始めたため、脱穀機にビニールシートを被服
前回は大型ディーゼルエンジン耕運機を使って、荒く小麦畑を耕運しました。そして、小豆を刈り取った畑も荒く耕運しました。今回は、小型管理器を使って小麦の種をまけるように細かく耕運しました。小麦の畝を作りながら同時に種をまく窪みを作るように耕耘しました。
前回荒く耕運した畑を、小型管理器を使って細かく耕運
小麦の種まき方法にはいろいろ種類があります。昔からの方法には二種類あります。一つは点まきです。この方法は、霜が降りやすい東北や高地で使われます。もう一つの方法は、日本で最も一般的なのは筋まきです。麦が一直線に筋をなすように生育します。今回はもっとも一般的な、筋まきをするための畝を作りました。
麦の畝間は約60cm 畝の終端に支柱を立てる
一週間後に麦の種をまく予定です。畝が分かるように一つの畝に一本の支柱を立てておきました。なお、小麦の種は去年採取したものです。脱穀の状況が分からないので、種蒔き機を使って種蒔きしてよいのか、手蒔きにしてよいのかまだ分かりません。品質の良い種でしたら種まき機が使えます。種まき機を使うと、あっと言う間に種まきは終了しまます。
一度耕運した畝を、逆方向から再度耕運
小豆畑を耕運して小麦畑に変えるために、堀の内寺沢里山公園からディーゼルエンジン搭載の大型耕運機を借りていました。5日にこの耕運機を使うとのことで、この耕運機を公園内に戻しました。畑からのんびりとこの耕運機を動かして戻しました。
ディーゼルエンジン搭載の大型耕運機を収めた倉庫
この耕運機を収める倉庫は、堀の内寺沢里山公園内にあります。倉庫は三つに仕切られており、左側は刈り取ったソバが乾燥のため収められていました。中央は堆肥場として使われています。そして、右側は耕運機の収納場所です。
乾燥貯蔵されているソバ 収めたディーゼル耕運機
八王子堀の内寺沢里山公園は、この地域の一部ですが里山を残すために作られた施設です。立派な施設が作られたのですが、元々ここに建っていた茅葺古民家が取り壊されてしまいました。里山公園を作るために、元からあった里山が壊されてしまったのはどう言う経緯からなのでしょうか。とても残念なことです。
木々に囲まれた八王子堀の内寺沢里山公園の施設
我家の甘柿、今年初めて収穫しました。柿は一年おきに実ができます。去年は柿が生らなかったため、今年実が生るのを楽しみにしていました。柿の品種は「次郎柿」で、比較的大きめの甘柿です。熟すのは10月末から11月始めです。
甘柿「次郎柿」がたくさん生った柿の木
我家で唯一自給できるのが柿です。たくさん生るので、食べきれない柿は近所にあげています。親戚に贈ったこともあります。この柿が熟す頃、柿の葉がパラパラと落ち始めます。落葉した柿の葉っぱは、不思議な蛇の目模様をしています。一つとして同じ模様はありません。
たわわに実った柿の実 不思議な蛇の目模様の柿の葉
甘柿のため、熟し始めるとすぐに柔らかくなります。早く食べないと、トロトロのゼリー状の柿になります。トロトロの柿が好きな人もいますが、手がべとべとするため私は好きではありません。ただし、一番甘いのはトロトロの柿なのですが。
食べごろの色の柿、この頃が一番美味しい
柿を食べないで放って置くと、だんだんトロトロのゼリー状になります。こうなると、色々な鳥たちが柿を食べるために我家の庭にやってきます。早朝から夕方まで鳥の騒々しい声が聞こえます。その騒々しい鳥の泣き声がパッタリ止むのは、柿がすっかり食べつくされたときです。
皮をむいて四つに切った柿 ヘタを取り「いただきまーす!」
別所小学校5年生達が、稲刈りをするために田んぼにやってきました。夏に田植えや草取りをした田んぼで稲刈りです。子供たちが来る前に、私は昨日用意したカマや稲の結束用藁を田んぼに持ち込みました。そして、子供たちが来るのを待ちました。今回は、風も無く秋晴れの絶好の稲刈り日和でした。
カマや結束用藁を田んぼに持ち込み、小学生達を待つ
9時過ぎに小学5年生達が先生に引率されてやってきました。2クラスですので、70人位の生徒でしょうか。また、支援としてお母さん達8人位も稲刈りに参加です。子供達が到着すると最初、私が稲刈りの方法やカマなど危険物の扱いなどについて説明しました。
最初お母さん方が稲刈り体験 さあ、稲刈りの開始です
今回支援に参加していただいたお母さん方は、全員稲刈りは初めてとのことでした。このため、子供達が稲刈りする前に、お母さん方に稲刈りの方法を教えました。これは、私一人では子供達全員を見れないため、お母さん方に稲刈り方法を知ってもらった上でお母さん方からも子供達に教えてもらいたいからです。
雑草の間に生えている稲を選びながら稲刈り
田んぼには除草剤をまいていないため、夏から雑草が沢山生えています。その雑草の間に所々稲が生えている状態です。稲が元気な場所は稲しか育っていませんが、ほとんどは雑草だらけで稲を探すようにしながらの稲刈りです。去年は稲だけを刈ることができましたが、今年は雑草の間を歩きながらの稲刈りになってしまいました。
刈り取った稲は藁で結束 結束方法をお母さんに教えてもらう
去年までは、稲刈りと脱穀を並行して作業できたのですが、今年は脱穀機を置く予定だった田んぼがまだ刈り取りされていませんでした。仮に刈り取りされていたとしても、田んぼは水浸しのため脱穀機を置ける状況ではありません。残念ながら、今年は稲刈りだけの体験になってしまいました。例年稲刈りと脱穀を同時にしてきましたが、稲刈りしかできないのは初めてのことでした。
風のない秋晴れの、絶好の稲刈り日和でしたが・・・・
一番困ったのは、田んぼの水が抜けなかったためにぬかるんだ中で稲刈りをしなければならないことでした。あらかじめ長靴を持参してもらったのですが、その長靴自体が泥土の中にめりこんでしまうことです。このため、長靴が泥内に埋まって見えなくなってしまった子などいました。その子は、一生懸命に長靴を泥中から引っ張り出していました。どの子供達にとっても大変な稲刈りになってしまいました。
あまりに泥に長靴がめり込むため、靴下や裸足になる子も
一人の子が泥に長靴を取られて動けなくなっていた。たまたま通りかかった私が助けようとしたら、私自身がバランスを崩して背中から倒れてしまいました。おかげで背中が泥だらけになりました。男の子は総じて泥だらになっていました。稲刈りと言うよりも、夏の泥んこ運動会のようでした。ほとんどの子供達は稲刈りする時間よりも、泥に足をとられて抜け出す方に時間をとられていたのではないかと思います。
自力で泥から抜け出す子供 お母さんに引っ張り助けてもらう子供
去年は、大学生などの支援もあって2面の田んぼを稲刈りすることがができました。今年は大学生などの支援がなかったためか、全部の稲を刈り取ることができませんでした。刈り取りできなかった稲は、私が暇を見ながら少しずつ刈り取るつもりです。そして、全部刈り取って干し終わったら脱穀します。12月上旬までに、脱穀まで終わらせればいいかなと思っています。
ぬかるんだ泥の中で、笑顔で七転八倒している子供達
泥で足などがだいぶ汚れてしまったため、早めの10時40分に稲刈り終了としました。子供達はすぐに、近くを流れる小川に行きました。そして、汚れた足などに付いた泥を洗い流しました。汚れた足,汚れた長靴,汚れた手袋,汚れた靴下など・・・・ワイワイ言いながら洗っていました。
足を最初に、次に長靴などを洗う 雑談しながら楽しそうに汚れを落とす
このような体験は一生の間でもそうありません。今日は授業で田んぼに来た子供達でしたが、こんな楽しい体験授業はまずありません。とても良い思い出になったのではないかと思います。今回刈り取った稲は、干しあがった後に私が脱穀します。そして、来年1月頃に籾摺りして精米して小学校に持って行きます。毎年のことですが、そのお米をおにぎりパーティーでおにぎりにして食べます。このように子供達は、夏に田植えして草取りして,秋に稲刈りしたお米を冬に調理して食べます。
田んぼ脇を流れる自然の小川
日向ぼっこしながら楽しげに汚れを落とす子供達
今回の稲刈りは、私がこれまで手がけた中で一番大変な稲刈りでした。子供達は嫌がるかと思っていましたが、意外に泥の中での稲刈りを楽しんでいたようです。稲刈りよりもぬかるんだ泥を楽しんでいるようにも見えました。友達と輪になって稲刈りしたり、足を取られた友達を助けようとしたり、女の子の長靴を男の子が洗ってあげたり・・・など、素敵な人間模様が随所に見えました。将来、健全な大人に育ってくれることと思います。
大変だったけど楽しかった稲刈り、1組と2組の小学5年生達
明日(11/2)の別所小学校5年生の稲刈り体験準備をしました。前回まで、稲刈りする田んぼの草刈りをしたり、刈った草を干す稲架を作ったりしました。そして、稲の試し刈りをしました。今回は、稲を刈るためのカマを砥いだり、刈り取った稲を束ねる稲ワラを用意しました。カマは、今年春の麦刈り以後使っていなかったためだいぶ錆びていました。
稲刈りするためのカマ、だいぶ錆びていたため砥ぐ
錆びたカマをバケツに入れ、砥石も入れて小川に向かいました。そして、流れる水に石を動かないように置きました。砥ぐカマを左手で持って石の上に固定し、右手に持った砥石でカマを研ぎました。カマを研ぐにはいろいろな方法があります。砥石を固定して、その砥石に上を研ぐ方法、ひざの上に左手で持ったカマを置いて砥ぐ方法などあります。私は、場所に応じて砥ぐ方法を使い分けています。
ノコギリガマ5本と普通のカマ6本 ノコギリガマの刃
稲や麦を刈る専用のカマがノコギリガマです。刃がギザギザになっているため硬い茎でも容易に刈ることができます。ただし、稲や麦以外の、例えば笹刈りなどには使えません。私は子供の頃からノコギリガマではなく普通のカマを使ってきたため、普通のカマを使う方が自分に合っています。カマは使い方を誤ると大変危険です。明日の稲刈り直前に、子供達の前でカマを使うための注意を説明するつもりです。
小川に置いた砥石と、砥いでいる途中のノコギリガマ
カマを砥ぐと次に、刈り取った稲を束ねるための藁を作りました。去年収穫した稲藁をそのまま使うこともできますが、縛っている途中に茎の節の部分が折れてしまうことがあります。それを避けるため、あらかじめ槌で叩いて稲の茎を柔らかくしておきます。そうすると、縛りやすくなりかつ茎が折れず丈夫に縛れます。明日、稲刈り前に小川の水に軽く浸して使います。
稲の茎を槌でたたいて柔らかく 稲の結束に使う藁、全てを柔らかく
3月に種芋を植え付けたアピオス芋を試し掘りしてみました。まず最初に、蔓が茂っていた畝を整理しました。8月旺盛に茂っていた蔓や葉はすでに枯れ、先月の台風で支柱は倒れたままになっていました。この支柱を片付けることから始めました。
台風で倒れたままの支柱と枯れた蔓 支柱を取り除き畝を整理
支柱は笹を使い、縛った紐は麻を使ったため、そのまま捨てても自然に戻ります。種芋は何個も植え付けましたが、今回はそのうちの一つだけを試し掘りしました。枯れた茎を地中にたどると小さめのジャガイモ大のアピオス芋が現れました。続いて数珠つなぎになった小さな芋が出てきました。
枯れた茎を地中にたどると現れたアピオス芋
出てきた土まみれの芋を、近くを流れる小川の水で洗ってみました。改めてこの芋を見ると、一口サイズの大きさです。とても食べやすそうな大きさです。一つの茎に一つの大きな芋が付き、続いて小さな芋が数珠つなぎになっていました。不思議な芋の付き方です。
土まみれのアピオス芋 小川の水できれいに洗う
初めての芋のため、調理方法がさっぱり分かりません。皮付きのまま食べるのか、焼いた方がいいのか、蒸したほうがいいのか、炒めた方がいいのか、天ぷらにできるのかなど全く分かりません。まずは蒸してみて、調味料を加えず直接味わってみようと思っています。
調理方法がよく分からず、まずは蒸して食べる予定のアピオス芋