気分転換に、この地域をバイクで走ってみました。最初、田布施町隣りの岩田に行ってみました。走った道は、田布施から中国自動車道熊毛インターに行くルートです。しばらく走っていると、麦畑が広がっている田んぼが見えました。最近は麦を栽培する人が少なくなったため珍しい光景でした。バイクを止めてしばしその麦畑を歩いてみました。
田んぼに広がった広大な麦畑
麦畑に入って麦穂を手に取って調べると、小麦でした。おそらく、うどんかメリケン粉に使う麦ではないかと思います。私が子供の頃、どの田んぼでも麦を作っていました。真冬の凍えるような寒い朝、小学校に通う時にあちこちの田んぼで麦踏みをするお百姓の姿がありました。今では、麦を作ることさえ珍しくなってきました。私は毎年のように小麦を作ります。去年は、東京八王子市で小麦の種まきをしました。しかし、今私はは山口県にいるため収穫できません。今年はユギの仲間が収穫する予定です。
光市岩田近くにある伊藤博文記念館
麦畑を眺めた後、伊藤博文記念館に立ち寄りました。明治維新の立役者の一人である伊藤博文はこの岩田で生まれました。その後、父親が萩市にある伊藤家に養子に入ったことで人生が大きく変わりました。萩市にある松下村塾で吉田松陰やその弟子たちに出会ったことで生き方が変わったとのこと。父親が伊藤家の養子にさえならなければ、ただの下級武士として平凡に生きただろうにと思いました。
伊藤博文の茅葺き屋根生家 伊藤博文記念館
伊藤博文記念館をしばらく見学した後、岩徳線沿いに高水方面に行きました。この付近は自然がいっぱいで、川の水や田んぼの水がとてもきれいでした。本当にのどかな風景が広がります。私が住む田布施では耕作放棄されて荒れた田んぼがたくさんあります。しかし、この付近ではどの田んぼも丁寧に田植えがしてありました。
島田川上流の、のどかな田んぼ風景
島田川を上流に、岩徳線を岩国方面に向かってバイクをすすめました。そして、高水駅から柳井市に向かう道路に入りました。入ってすぐのところに山口県東和森林組合の建物がありました。亡くなった父親が、この東和森林組合に統合される前の田布施森林組合の組合長をしていました。父親が亡くなったので、今度は私が組合員を引き継ごうと思います。
のどかな島田川上流 山口県東和森林組合の建物
山口県東和森林組合の建物を過ぎると、だんだん山に入っていきました。30分位パイクで走ったでしょうか、道路を登り切った所に中山川ダムがありました。山口県東部では比較的大きいなダムだと思います。このダムを下った水は、島田川に合流します。
岩国市の中山川ダム、平成8年完成
中山川ダムを過ぎて湖のたもとに下りてみました。すると、音楽を流しながらバーベキューを楽しんでいる団体がたくさんいました。湖面をみるとカヌーができる施設がありました。ここで山口県国体カヌー競技が開催されたとのこと。また、普段でもカヌー教室が開かれているとのことでした。
中山川ダムを過ぎると柳井市に入りました。柳井市に入ってすぐ黒杭川ダムに出会います。このダムがある馬皿地区付近は昔、よく洪水があったそうです。私の母親が小学校教員になりたての頃にこの馬皿に住んでいて「洪水で腰まで水につかったことがあった。」とよく話をしていました。そして「その時に親などが写った大切な写真をすべて流されてしまった。」と残念そうに言っていました。
中山川ダム湖のカヌー広場 柳井市馬皿地区の黒杭川ダム
先日近所のSさんからゴーヤの苗を三ついただきました。私はゴーヤの苦さがダメですので、植えようかどうか迷っていました。後日Sさんから、ゴーヤを茂らせて日陰にできることを教えてもらいました。そのため、食用としてではなく日陰用として育ててみることにしました。真夏の南側はとても暑いので日陰にはピッタリかも知れません。
南窓側に植え付けたゴーヤ 家の中からみたゴーヤ用網
そこで南側窓の大きさに合った、ゴーヤを絡ませる網(1.8x3.6m)を購入しました。そして、窓側に張りました。今はまだ小さな苗のゴーヤですが、うまく育てば涼しい日陰になるのではないかと思います。朝顔,ひょうたん,またはへちまで日陰を作ったことはありますが、ゴーヤは初めてです。うまく育ってくれるでしょうか。
張った網の下に植え付けたゴーヤの苗三つ
去年は3月に植え付けして遅く7月に収穫したジャガイモ、今年は3月に種芋を植え付けたジャガイモを早めに収穫しました。5月初めに土寄せをしていたので日に当たって緑化している芋は皆無でした。ジャガイモの品種はキタアカリです。やや男爵に似ている品種のジャガイモですが、あまり煮すぎると煮崩れすることがあります。いつもは地上部が完全に枯れてから収穫するのですが、今年はたくさんのジャガイモを植え付けているため早めに収穫してみました。
フォークを地上茎近くに突き刺す 手ごろな大きさのジャガイモ
フォークをジャガイモの地上部近くに突き刺し、そのフォークで土ごと芋を地上に掘り出します。すると、手ごろな大きさのジャガイモがたくさん出てきました。大きなジャガイモは皮を剥いて肉じゃがなどにして食べます。小さな小粒のジャガイモはそのまま油で揚げて食べます。私がこの山口県に帰って一番最初に収穫できた作物です。少しうれしくなりました。
ジャガイモ畑の一畝すべてを堀り上げる
ジャガイモを掘り上げた後、土の中を観察してみると大きなミミズがたくさんいました。「ミミズがたくさんいる良い畑」と言いますので、ジャガイモがたくさんできたのでしょう。新ジャガイモを収穫して空いた畝には、事前に育てていたサラダの苗を植え付けておきました。
たくさんいたミミズを摘まむ 大きさ別に仕分け
収穫した新ジャガイモは大きさ別に分けました。そして、先日タマネギなどの野菜や煮つけをいただいたSさんに、さっそく新ジャガイモを届けました。Sさん宅でもジャガイモを作ったそうですが、今年はうまくできなかったそうです。嬉しそうに受け取っていただけました。まだまだジャガイモはたくさん畑にありますので、8月位までの間に少しずつ収穫しながら食べようと思います。
夕食時、新ジャガイモで調理した肉じゃが
9日、M君(私の甥)とMさんの結婚式に参列してきました。新郎新婦は先月、私の父親の見舞いや亡くなった後の葬儀に来てくれました。私が結婚式に出たのは久しぶりのことです。30年位前でしょうか、その頃は私の知人などの結婚式にたくさん出席しました。これからは、私の甥や姪など私の息子世代の結婚式に参加することが多くなると思います。世代がどんどん交代していることを、改めて知った結婚式でもありました。
式場に向かう新郎新婦親戚一同 神前で三々九度
式場は山口県下関の春帆楼でした。幕末・明治の近代史が好きな人ならば、知っていなければならない史跡の一つです。ここは日清戦争の下関講和会議が開かれた場所で、以後この春帆楼前の道を「李鴻章の道」と呼ぶようです。眼前の海峡は、平安の昔に壇ノ浦の合戦があった場所でした。そして幕末には四国艦隊と長州藩が戦った場所でもあり、長州征伐時の戦いの場所でもありました。
赤間神宮内で二人仲良く並ぶ新郎新婦
式場は春帆楼の隣りにある赤間神宮です。この神社の入口は独特な形状です。また、そばに平家伝説にかかわる「耳なしほういち」の碑文が立っています。神前結婚式は何度か参加したことがありますが、だいたいが録音した音を流すだけでした。しかし、この神社では和楽器である琴,太鼓,笙(しょう),鈴などの生演奏が聞けました。そして、巫女さんの舞も式を引き立てていました。荘厳でなかなか良い式場でした。
午後から青空、空の青さと神社の赤が映えてナイスな赤間神宮
結婚式が終わると披露宴です。新郎新婦を主役に楽しいパーティーの始まりです。披露宴では必ずあるケーキカットでは、参列者の掛け声で新郎新婦が互いにカットしたばかりのケーキを互いに食べ合いました。少し照れながらも嬉しそうに食べ合っていました。
新郎の姉と妹(私の姪) カットしたケーキを新婦が新郎に
披露宴ではいつものことですが、新郎新婦の学生時代や会社の仲間がたくさん参列していました。そして、彼らの自作映画や新郎新婦の生い立ちを紹介したビデオが紹介されました。私が若いころはまだビデオがありませんでした。このため、スライドフィルムを使った紹介が多かったように思います。しかし今は、自分たちでビデオを撮影,編集し放映できる時代になったのですね。
新婦側の席で、新婦の両親兄弟親戚と並んで
二人の出会いのきっかけは、新婦の姉の結婚式だったそうです。昔、私の両親が若い頃(昭和初期)は許嫁も少なくなく、ほとんどが見合いで恋愛はご法度だったそうです。私が若い頃(昭和後期)は、見合いと恋愛が半々だったように思います。実際、私は恋愛で私の妹(新郎の母)は見合いでした。今は、新郎新婦のようにほとんどが恋愛のようです。おめでた婚もそう珍しくありません。現代は、親兄弟,仲間,同僚などとのコミュニケーションの広さが結婚できるかどうかを決める時代になったようです。そしてもちろん、本人自身が「結婚して家庭を築きたい。」という強い意欲と行動力がないと結婚が難しい時代になってきているのだと思います。
手を取り合う新婦の弟,新婦,新婦の姉 新郎新婦から両親へ感謝の贈呈
披露宴の最後は、新郎の父親の言葉で締めくくりでした。目頭を熱くしながら、新郎新婦や参列者への立派な挨拶でした。思えば30年ほど前の妹(新郎の母)の結婚式で、今は亡き父親が目頭を熱くしていた光景を思い出しました。私もいつかこのような立場になる時が来るのではないかと思います。この結婚式は、明日の自分でもあり、明日の息子や娘の姿と重なると思いつつ勉強させてもらいました。M君、Mさん、とてもいい結婚式でした。両親を手本にして素敵な家庭を築いてもらえればと思います。そして未来、今日の両親のように子から慕われる素敵な親になって欲しいと思います。そして、そうなることが両親への最高の贈り物だと思います。
新郎の父親による締めくくりの挨拶
先日、陸稲(もち)を一か所だけ種をまいた畑がありました。この畑、しばらくぶりに出かけてみると、雑草ばかりで陸稲がどこに芽生えているのか全くわかりません。もともと乾燥している畑だったため、乾燥に弱い陸稲が芽生えずに雑草だけが芽生えたのではないかと思います。いまさら種はまけないので、苗箱を使って苗を育てた後にその苗を植え付けようと思いまする
急遽、陸稲(もち)の苗を作るため苗箱を用意
苗箱による苗作りは、以前よくやっていました。その時は水田用の苗作りでした。今回は陸稲用です。水田での田植えは何度となくしましたが、畑に植え付けるのは初めてのことです。うまくいくかどうかは分かりませんが、陸稲がちゃんと芽生えない以上、代えの手段として試みようと思います。
陸稲を手で苗箱にまく 陸稲を均等にまいた箱苗
苗箱に陸稲をまくと、その上に薄く土を被せました。そして、その上からジョロを使って水をまきました。芽生えるまで毎日のように水をまこうと思います。おそらく2週間以内に芽生えると思うので、来月上旬に育った陸稲の苗を畑に植え付けるつもりです。
陸稲をまいた苗箱に薄く土を被覆
梅雨をひかえて山の下刈りが忙しくなりました。春に一度下刈りしたのですが、笹などの芽が再び出てきました。このまま放置しておくと、せっかくの春の下刈りの意味がなくなります。笹の芽が硬くならないうちに笹を刈り取りしました。
春の下刈り後、再び笹の芽が出てきた山の斜面
しかしながら、春に一度下刈りしていたので、刈り取りは簡単です。芽生えた笹は多くないうえに、柔らかいのでどんどん刈り取ることができました。ほぼ一日でほとんどの斜面を刈り取ることができました。
下刈りが終わった山の斜面、より日が当たるようになる
山の斜面に生えているいくつかの木々は根元の枝を伐採しました。根元の枝を伐採すると、草刈機が根元に入りやすくなります。今後も、笹の芽が出てくると思います。しかし、何度か下刈りし続けていると来年は笹が生えなくなるのではないかと思います。
下刈り前の家近くの斜面 下刈りしてすっきりた斜面
一部伐採した枝は水分が抜けていません。このような枝は重いので、枯れて軽くなった後に搬出しようと思います。これら伐採した枝は一箇所に集めて、冬の風がない日に燃やそうかなと思います。
笹が生えて茂った斜面 笹刈り後、歩きやすくなった斜面
久しぶりに雨が降りました。そろそろ梅雨入りかも知れません。陸稲畑は耕運機で除草して以来ずっと晴天だったため畑はだいぶ乾燥していました。陸稲は日照りに弱いので心配でしたが、この雨で元気になると思います。
雨にうたれている陸稲畑、この雨でなんとなく元気に見える
雨の中、傘をさして陸稲以外の作物も見て回りました。サツマイモは移植して以降だいぶ育っていましたが、まだまだ茂るほどには育っていません。カボチャは、ほぼ順調に育っています。私が種をまいたカボチャは粘質タイプです。天ぷらにすると最高に美味しいです。晩秋の収穫が楽しみです。その他、トマト、ナス、オクラなども順調に育っています。
葉が少し茂るサツマイモ(安納芋) 雨で濡れたカボチャ
ところで、肥料を取りに牛舎に向かっていると、車二台が我家に入ってきました。そのうちの先頭一台に乗っていたSさんは、我家に野菜や煮つけなどを持って来たところでした。今回いただいた野菜は、大根,レタス,ニンニク,タマネギでした。我家は今年、たくさんのジャガイモを作っているので、今度は私がジャガイモをSさんにあげようと思います。
Sさんにいただいた、大根,レタス,ニンニク,タマネギ
Sさんに続いて入ってきた二台目の車には、私の高校時代の同級生であるY(旧姓N)さんが乗っていました。私のブログを見ているとのことで、びっくりしました。Yさんは、私の母親(東田布施小学校教諭時代)の教え子でもあります。さらに、野菜をいただいたSさんは私の母親が勤めていた小学校の保健室の先生でした。私を含めた四人はしばらく、昔を懐かしみながら楽しく立ち話をしました。不思議なことがあるものですね、SさんとYさんはたまたま同時に我家に車で入って来たのです。
楽しく立ち話をする、Yさん,私の母親,野菜を持ってきたSさん
5月に袋をかけた桃がどうなっているか、袋を少し開いて中の様子をみました。すると、小さいままだった桃や大きくなった桃がありました。小さいままの桃は、病気か虫にやられたようです。大きくなった桃は、もう桃の香りがしました。このまま大きくなれば一ヶ月後には食べることができそうです。何個収穫できるでしょうか。また美味しいのでしょうか。とても楽しみです。
袋を開いてみると大きくなっていた桃、美味しそうな香りがすでに漂う
桃園近くの山の斜面にクルミの苗を植え付けました。このクルミは、去年の10月に東京八王子市近くを流れる浅川で採種したものです。採集したクルミはすべて畑に埋めましたが、何個かは11月に掘り出して食べました。畑に残したクルミを4個ばかりを1月に掘って山口県に送りました。そして、苗にするために植木鉢にクルミを埋めておきました。
植木鉢の中で大きく育ったクルミの苗
植木鉢に埋めたクルミが、この春に芽を出して大きく育ちました。クルミは湿地で良く育つため、桃園近くの湿った山の斜面にそのクルミの苗を植え付けました。。山口県ではクルミはあまり自生していないようです。私も見たことがありません。気候がクルミに合っていないのかも知れません。うまく育つでしょうか。
桃園近くの山の斜面に植え付けたクルミの苗
先日、百日草のこぼれ種から芽生えた苗を見つけて別の場所に植え付けました。そこで、畑や庭のいろいろな個所を注意深く見ていると、そこかしこにコスモスが生えていることに気が付きました。千日紅や百日草は夏に花が咲きますが、コスモスは秋にしか花が咲きません。私はこれまで、夏か冬にしか帰省したことがなく秋には一度として帰省したことがありませんでした。このため、一度もコスモスの花を見たことがありませんでした。
サツマイモの近くに数株のコスモスが生える
コスモスはこぼれ種からよく芽が出ます。今年私がサツマイモの苗を植え付けた場所にたくさんのコスモスが生えていました。これまで、知らずに雑草といっしょに取っていました。たまたまサツマイモ近くのコスモスが除草されずに残っていました。そして、今は無い古い住居跡近くにも小さなコスモスの芽がたくさんありました。
古い住居跡に芽生えたコスモス 植え替えたコスモス
空いている畑がたくさんあるため、一畝をコスモス用にしました。10株ほどのコスモスを掘ってその畝に植え替えしました。コスモスは比較的、害虫や病気に強いので世話いらずです。この秋には花がたくさん咲いてくれると思います。コスモスや百日草以外にも、花のこぼれ種から芽生えた苗がないか調べてみようと思います。
コスモス用にした一畝に、10株程度のコスモス苗を植える
畑で使っていた小型耕運機のクラッチが故障してしまいました。この耕運機は東京八王子市にいた時にユギで使っていた耕運機です。2010年の冬に白く塗装しました。耕耘中にロータリーに負荷がかかると、キュルキュルと音を発生させてクラッチが滑るようになりました。このような時、クラッチレバーかクラッチケーブルが故障していることが多いため、クラッチ周りを調べてみました。
クラッチがすべるようになった小型耕運機
すると、予想したとおりクラッチケーブルが固着していました。クラッチレバーを戻しても、クラッチケーブル内を通る芯が動かなくなっていました。これはもう、クラッチケーブルを交換するしか直す方法がありません。この小型耕運機は 「全国農業共同組合連合会 ZEN-NOH」と刻印されたクボタ製の耕耘機です。そこで、いつもクボタ製農機具の部品を注文している山口クボタ田布施営業所に行ってクラッチケーブルを注文しておきました。
固着したクラッチケーブル 変速機やクラッチ関連の分解
クラッチケーブルを交換することになるため、固着したクラッチケーブルを取り外さなければなりません。このため、耕運機の変速機やクラッチに関係する個所を分解することにしました。最初に、エンジンの回転をロータリーに伝える変速機周りを分解しました。
エンジンの回転をロータリーに伝える変速機周りの分解
変速機まわりを分解して耕運機から取り外すと、クラッチ部分が見えるようになります。クラッチとクラッチケーブルを連結している部分を外すと、固着したクラッチケーブルを取り外すことができました。最近の耕運機は、自転車でもそうですが、クラッチやブレーキにケーブルを多用しています。このようなケーブルは、交換しか修理の方法がない点が、私は好きではありません。
クラッチとクラッチケーブルの連結部分 取り外したクラッチケーブル
いったんクラッチケーブルを取り外すと、分解したクラッチや変速機関連を元のように戻しました。注文したクラッチケーブルが届いたら、再び分解して取り付けようと思います。何度も分解・組み立てをしておくと、次に分解するときに効率的に修理できます。
クラッチケーブルを取り外したまま元のように組み立てて保管
気分転換に、柳井市の日積,岩国市の玖珂,そして光市の海岸線をバイクで走ってみました。柳井市の市内は昔から開発が進んでいるため、昔の面影はほとんど無くなりました。しかし、日積や玖珂などは昔のひなびた田園風景が今でも広がっているため、私はとても好きな場所です。
日積の岩尾の滝 日積に広がる田園風景
まず、柳井市の大畠に行きました。大畠は先日知人に魚をいただいた場所です。大島大橋に向かう坂道を上がり、大橋の手前で左に曲がって、大畠から玖珂に向かう道に入りました。入ってすぐのところに、岩尾の滝があります。この滝に行くのは初めてです。お寺の境内にあるため拝観料ぐらい徴収するのかと思いましたが、誰もいなかったのでそのまま境内に入って滝を見ました。滝を見た後、日積の風景を楽しみながらのんびりバイクを走らせました。今は、代かきや田植えシーズンです。どこの田んぼも、トラクタや耕運機がせわしなく動いていました。
日積と玖珂の間、のんびりした田んぼ風景
玖珂に出たところで、15分ばかり休憩をとりました。そこで、国道2号線に入ってひたすら下りました。さすがに、国道2号線はトラックなどがたくさん走っていました。高水から光市に行くルートに入りました。このルートは中国自動車の熊毛インター脇を通ります。この付近ものんびりした田んぼの風景が続いています。途中で広々とした田んぼの脇にバイクを止めて、休憩を兼ねて田んぼを代かきしているトラクタを見ました。
耕耘したばかりの田んぼ 代かき中の広々とした田んぼ
光市内に出ると、海岸を通る国道188号線に出ました。海岸を走っていると、海の向こうに牛島や祝島が見えました。光市と田布施町の境界の取岬でバイクを止めて海岸に下りてみました。10分ばかり潮風をあびた後、田布施町麻里府を抜けてしばらく走った後、我家に着きました。農作業ばかりしていると疲れますので、時々このようにバイクで地域を走ると気分転換になります。
光市の像鼻ケ岬付近の堤防から見た牛島と祝島
やれやれ、化成肥料と除草剤を間違えてまいてしまいました。間違いに早く気が付いたので良かったです。ここ数年、亡き父親は体調が悪かったため草刈機を使えませんでした。このため、除草剤を使っていたようです。そして、父親が使っていた除草剤が残っていることは知っていました。しかし、これほど化成肥料によく似た除草剤があることに気が付きませんでした。袋をよく確認しなかった私が悪いのですが。
除草剤を誤ってまいた個所の土を除く 左丸は肥料をまいた個所
右丸は除草剤をまいて削った個所
陸稲の芽が出た個所に化成肥料(実は除草剤)をまいていると、二つのことに途中で気が付きました。一つは、化成肥料特有の特に窒素の臭いがしませんでした。二つ目は、肥料と比べてさらさらしていることでした。そこで不思議に思って袋を見ると、なんと除草剤でした。化成肥料にとても似ている除草剤があることを初めて知りました(水田用には似たものがありますが)。父親がこの除草剤の残りを置いていたようです。
除草剤をまいた土を取り除いた後、陸稲を再度まき土を被せる
誤りに気が付いた後、すぐに除草剤をまいた個所の土を取り除きました。せっかく陸稲が芽芽生えていたのに大失敗です。どうせ陸稲は除草剤で枯れてしまうので、土ごと陸稲を取り除きました。そして、少し残っていた陸稲を蒔きましした。そして、新しい土をその上から被せておきました。やれやれ大失敗でした。
除草剤が入ったビニール袋 陸稲を播種後、新しい土を被せて鎮圧
除草剤がわずかでも土に浸みていれば、陸稲の芽は生えないと思います。残念ですが仕方ありません。その後、他の陸稲には、ちゃんとした化成肥料を蒔いておきました。すでに芽生えた陸稲と、今回新たに種まきした陸稲とは相当成長に差ができると思います。これまで私は一切除草剤を使わずに農作業してきました。今後もそのつもりです。このため、父親が残したすべての除草剤を処分しようと思います。なお、その除草剤を素手で触ったので少し心配なのですが、今のところ何の症状はありません。
芽生えた陸稲と、根本にまいた化成肥料
陸稲畑に生えた雑草を取っていると、百日草の芽があるではありませんか。去年の夏には雑草だらけの畑だったのに、どうして百日草の芽が出ているのでしょうか。最初その理由が分かりませんでした。千日紅は全くこぼれ種から芽生えた苗がありませんでしたから、百日草はそれだけ野生に近く強い花なのですね。
陸稲の横に芽生えていた百日草
そこで去年の夏の写真を探して見ると、雑草の間にわずかに百日草が咲いていました。一昨年に父親が咲かせていた百日草が、去年こぼれ種から芽生えて花を咲かせ、今年はそのこぼれ種から芽生えた百日草に違いありません。小さな芽だったので気が付かないで、陸稲の除草の時に削ってしまいました。今回発見した芽は、陸稲のすぐ横に芽生えたために除草時に削られなかった幸運な芽です。
父が咲かせた百日草('10/8/8) 移植した百日草の苗
見つけた苗は8株ほどしかなかったため、大事に掘りあげて別の場所に移植しました。いろいろな花色があるため、お盆頃に咲いてくれればいいのですが。そうすれば、もともとこの花が好きで栽培していた亡き父親にたむけることができます。
約30cm間隔で植え付けた百日草の苗
今は亡き父親は、体調不良のため椎茸用コナラ林の下刈りを数年間していませんでした。このため、コナラ林には、笹,雑草,落ちた枝,または倒れたコナラなどがありました。このため、林内は雑草に覆い尽くされた上に倒木などが邪魔をして歩けませんでした。今回、コナラの林の下刈りをしました。そして、コナラの幹下に生えた余分な枝を落としました。
草刈り機とチェーンソーなど用意 下刈り後、余分な枝を落とす
最初、草刈機を使ってコナラ林の下刈りをしました。雑草に隠れて見えない倒木などに注意しながら刈りました。下刈りを済ませると、私の背の高さ以下の枝を、チェーンソーを使ってすべて切り落としました。下刈りと枝落としが終わると、林内は明るくなり、林内を自由に歩けるようになりました。むろん風通しも良くなりました。後日、落とした枝や倒木を切り揃えて処分しようと思います。
下刈りして枝を落とした結果、明るくなったコナラ林
ようやく陸稲(うるち)が発芽しました。父親の葬儀で忙しくしている間、いつの間にか芽が出ていました。当然のことながら、雑草も陸稲に劣らず育っていました。畑が広いので、とてもクワで除草する時間はありません。耕運機のロータリーを回しながら耕耘除草をしました。
芽生えた陸稲に沿ってにひもを引く ひもを避けながら耕耘除草
雑草と陸稲がとても見分けにくいため、誤って陸稲を削ってしまうかも知れません。そこで陸稲が生えている筋にひもを引き、そのひもを避けながら耕運機を走らせました。陸稲の畝間は約90cm等間隔にしています。耕運機のロータリー幅が60cmですので、耕耘するときに陸稲が芽生えている30cmを残すように耕耘除草します。
丸は、除草されずに残った陸稲
除草されない30cmは幅が広いので、耕運機を一往復させてぎりぎりまで除草します。しかしながら、陸稲の株と株の間約20cmは除草できません。この間だけは後日平クワを使って除草するしかありません。陸稲がだいぶ伸びてくれば、土寄せの要領で除草するため除草が楽になります。
除草し終わった陸稲畑 もう一か所の陸稲畑を除草中
一か所の陸稲畑の耕耘除草が終わると、もう一か所の陸稲畑の耕耘除草をしました。なるべく細かな土になるように、ロータリーの回転数を上げて耕耘しました。誤って陸稲を削らないように陸稲が芽生えているラインを外しながらの耕耘は気を使います。陸稲は基本的に種まきのため、麦と同じような管理が必要です。水田は水深さえ管理すればほぼ雑草を防ぐことができます。しかし陸稲はある程度背が伸びるまで除草が欠かせません。なお、一番初めに種まきした陸稲(うるち)畑も芽生えていました。今回除草した株まきとは違い筋まきですが別の耕運機で耕耘除草しようと思います。
耕耘除草が完了した、もう一か所の陸稲畑