東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷 米出 戎下,麻里府を散策

2012年06月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 梅雨の合間、とても天気が良かったため麻里府方面を散策してきました。麻里府はとても親しみがある場所で、小学生,中学生,そして高校生の頃に何度となく行きました。当時は、自転車で国道188号線沿いに走りました。

     昔を思わせる米出港跡          潮干狩りした場所、今は埋め立て地
 

 最初、麻郷の米出に行きました。ここは、その名のとおり江戸時代に麻郷で取れたお米などを出荷する港でした。今はすっかり埋め立てられて、その昔港であったことを知る人はいません。米出と言う地域名と、石垣作りの護岸跡が往時をしのばせます。

     父の見舞いに何度も渡った南周防大橋、向こうの山上に風車が見える


 米出近くには、とても広大な干潟が広がっていました。よく母方祖母と潮干狩りに行きました。当時この場所には、天然記念物のカブトガニがたくさん生息していました。私は何匹か捕まえてバケツに入れて持って帰ったことがあります。しかし、その後に埋め立てられたため絶滅してしまいました。とても残念なことです。次に、この米出近くにある南周防大橋を間近に見ました。父親が入院していた光輝病院に行くために何度もこの橋を渡りました。

      戎下(えびすがした)交差点           戎下と水場の渡船場跡
 

 南周防大橋を過ぎて戎下(えびすがした)に行きました。この戎下には平生湾が広がっています。この戎下から対岸の水場に、私が高校の頃まででしょうか渡船場がありました。父親と一緒に、または小学生の写生大会などで、この戎下から水場まで木製の船で何度も渡ったことを覚えています。南周防大橋が完成したため渡船場は廃止されました。

       O君の造船所                 馬島への渡船場
 

 戎下で、小中学生時代の友達だったN君を訪ねましたが留守でした。近所で畑仕事をしていた方に聞くと、近くの泊団地に住んでいるそうで、最近お兄さんが亡くなったとのこと。本人は大工になって地域の方にとても貢献しているとのことで、彼の弟は左官をしているそうです。小学生時代、私と彼は木工が好きでした。そのため、何度か戎下の彼の家に来たことがあります。確か彼は木工で表彰されました。

              麻里府海水浴場から見た、馬島(左)と牛島(右)


 戎下を過ぎると、今度は麻里府に行きました。最初、中高校時代の同級生O君が経営する造船所を見ました。今造船業界はそう景気が良くはありません。しかし、造船所の様子を見ると彼はそれなりに頑張っているようです。麻里府の別府では、馬島へ渡航する渡船場を見たり、海水浴場から馬島や牛島を見ました。

      麻里府の別府漁港                 麻里府の昔のたたずまい
 

 この麻里府の海岸の砂は、細かくさらさらとしてとてもきれいです。父親の49日にお墓に入れる時、線香立ての砂をこの海岸の砂と取り替えようと思います。父親はここの海岸が好きでしたので。

              子供の頃、何度も行った麻里府小学校


 麻里府の海岸を過ぎると、麻里府小学校に行きました。この小学校は、子供の頃に何度も行きました。それは、私が通っていた麻郷小学校の夏の臨海学校が、この麻里府小学校で行わられていたからです。この麻里府小学校に行って、着替えてから歩いて海岸に行って泳ぎの練習をしていました。一度この海で、誤って魚のオコゼを踏んだために、とんでもなく痛い思いをしたことがありました。

       麻里府小学校前の天神様       T君の家がある中郷地区
 

 麻里府小学校前にある天神様を見学した後、竹尾に向かって道を進みました。中郷地区を通りましたが、この地区には何人か友達がいます。その一人がT君です。彼は、高校卒業後一旦製薬会社に就職しました。私はその就職祝いに家に招待されました。しかし、彼は納得いかなかったのか、苦渋の選択をして一発奮起会社を辞めて大学に進学しました。彼は東京の私立大学を卒業して小学校の先生になりました。山口大学卒が多い先生の中で大変な努力をして校長になっているようです。大島の小学校勤務時にその小学校でお嫁さんを射止めました。結婚式は田布施公民館で行われ、「瀬戸の花嫁」の音楽が流れていたのを覚えています。

       麻郷と上郷の分かれ道          Yさんがいた上郷地区
 

 中郷を過ぎると、麻郷と上郷の分かれ道に着きました。この別れ道の近くに、私が高校時代に同級生だったI君の葬儀時の焼場がありました。この焼場に行ってみると、なんとその場所に工場が立っていました。田布施平生合同葬儀場ができてから、この焼場は廃止されたのでしょう。はるか40年以上前の葬儀ですが、その時の親族の重苦しい雰囲気や涙顔の同級生の顔を今でも思い出します。今でもせつない物を感じます。

             麻里府と西田布施の境界、竹尾(たけのお)地区


 次に、上郷に行きました。この上郷には高校時代の同級生のYさんが住んでいました。卒業直後に彼女の家に行ったことがあります。彼女は岡山大学に進学し、四年生の時に岡山駅前の喫茶店で談笑したことがあります。他にも何人かこの麻里府に友達がいました。上郷を過ぎた後、竹尾を通って岸田を通り、西田布施小学校前を通って家に帰りました。なお、岸田交差点近くには中学1年時の担任M先生の家があります。

竹尾から岸田へ、左は新道で右は旧道     岸田交差点近く、左は恩師の家
 

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