東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施コットンクラブ 紅花染め,各種織機,双糸紡ぎなど(1/2)

2019年07月16日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 2回/月の田布施コットンクラブ、いつもは主に紡ぎや織りをします。今回は、最初に私が作った各種スピンドルを皆さんにお見せしました。軸はどれも同じですが、紡錘車(車輪部分)が木製や素焼き製などです。実際に回してもらって、お気に入りのものをお分けしました。続いて、紅花染めをしました。コットンクラブ始まって以来の染め物です。染め物と言うと、藍染めを思い浮かべることが多いと思います。今回は、私が栽培して収穫した紅花を使いました。布は絞り染めにして黄色と赤色に染めてみました。糸は赤色に染めました。その他、各種織機の説明や、双糸紡ぎなどしました。

       紅花染めをした後、水洗いして乾燥中の布や糸

 藍染めは青の一色だけですが、紅花染めは黄色と赤色の二色の染めを楽しことができます。ただし、黄色は絹で織られた布か糸しか染まりません。そのため、今回は絹で織られた布を用意しました。そして、ただ染めるだけでなく絞り染めにしてみました。皆さんがたこ糸で布を縛っている間、私は染めるための液を準備をしました。前回のコットンクラブで黄色の色素を抜いた紅花から、赤色の色素を抽出しました。また、一度も色素を抜いていない紅花から黄色の色素を抽出しました。

 布を縛っている皆さん  どんな縛り方がいいかな   黄色の染め液に浸す
  

 黄色の色素を抽出するのは簡単ですが、赤色の色素を抽出するのは面倒です。黄色を完全に抽出した紅花をアルカリ性の液に浸して赤色の色素を抽出します。しかし、これだけでは染めることができません。赤色の色素をアルカリ液にすべて抽出後、酸性の液を入れます。つまり、アルカリ性を中性にするのです。中性にする時、アルカリと酸が混ざって盛んに泡が出ます。泡が出なくなると、染めるための液の完成です。この染め液の中に布や糸を浸すと赤く染まります。黄色は絹だけが染まりますが、赤色の染め液は綿でも絹でも染まります。なお,合成繊維は染まるかどうか分かりません。

  酸を入れると盛んに泡が出る       黄色と赤色の染めを見守る
 

 素人の紅花染めですので、真っ黄色や真っ赤には染まりませんでした。ですが、染まることを勉強しただけでも良かったと思います。世の中合成着色料ばかりですが、古代から使われた自然由来の着色剤は人に優しいのではないかと思います。8月になれば藍が育ってきます。9月の放課後学習 成器塾 手仕事教室では、今回実施した紅花染めに加えて藍染めをしようと思います。

 黄色の色素を洗い流す   赤色の色素を洗い流す    赤く染まった糸
  

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西九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(2/6)

2019年07月15日 | 歴史探訪他ウォーキング

 チブサン古墳の説明員を先頭に、古墳前の駐車場に向かいました。駐車場に着くと、目の前に古墳内の装飾石屋形のレプリカが置いてありました。そのレプリカの前でしばらく説明がありました。その説明を聞いていて残念だったのは、古代において韓国や日本のような国家はまだ無かったにも関わらず、「韓国から日本に技術が伝わった。」などの説明でした。その他、説明が重複したり冗長でした。古代の歴史や事情をあまり知らない方のようでした。チブサン古墳の石室見学で分からなかったのは、なぜ地下道を通らないと石室に入れないのかです。地下道を掘ることは、言わば古墳の破壊です。質問すればよかったです。

           戦没者名が刻まれた西南役戦没者慰霊之碑


 ところで、装飾古墳は国内に比較的多くあるようですが、ほとんどが資料館などに持ち出されて保護されているそうです。このチブサン古墳は、そのまま古墳内に保存されています。ただ、石室内で厳重に保護されており、石室入口からガラス越しに見るしかありません。石室入口はとても狭くて、4人がギリギリ入ることができる広さでした。菊池川州域に栄えた小国家の王または族長のために築かれた古墳ではないかと思います。ところで、お話が冗長すぎるし、また次々に人が来るのでいつ説明が終わるか分かりませんでした。次に案内されるオブサン古墳見学を諦めて、その説明員にお分かれを言いました。そして、西南戦争記念館に向かいました。

  石屋形のレプリカ    チブサン古墳に入る   ガラス越しに見た石屋形
  

 チブサン古墳を出てしばらく車に揺られていると、西南戦争記念館に到着しました。今回の史跡巡りで、私の1番の目的地でしたので心が躍りました。あらかじめHPを見ていましたので、だいたい展示場の想像がつきました。まず、入館する前に記念館前に広がる景色を見ました。記念館側の丘は薩摩軍側の陣地で、1km位遠方に見える丘が政府軍陣地です。当時、両陣地で大砲を打ち合っていたのでしょう。

     西南戦争記念館          向こう側の丘が政府軍陣地
 

 西南戦争記念館に入館すると、だいたい予想通りの資料が並んでいました。私の個人的な考えですが、西南戦争は戊辰戦争の総仕上げの戦いではなかったと思います。使われた兵器も戊辰戦争時に使われたものとほとんど同じです。田布施にある第二奇兵隊が使用していたミニエー銃の銃弾と同じものがたくさん展示されていました。薩摩軍は戊辰戦争時とほぼ同じ兵装でした。一方の政府軍は電信や船を有効的に使いました。さらに兵站の違いや物量も決定的だったように思います。

  展示物を見学       戦いの映画を見る     熊本城を前に歓談
  

 田布施町の麻郷神社に、西南戦争の田原坂で亡くなった方の慰霊碑があります。戊辰戦争時に仲間だった薩摩軍と戦うことになるとは、戊辰戦争時には考えもしなかったと思います。どの国も近代化を迎えるにあたって新旧の争いがおきがちです。アメリカの南北戦争も一例です。日本で言えば、公武合体や徳川家を参加させる議会はとうてい無理だったと思います。話し合いで革命などおきません。徳川幕府の既得権益を残すことは、その後の新国家にマイナスだった思います。マルクスの資本論だったでしょうか、権力300年限界説を思い出します。皮肉なのは、「明治」の年号を考えた人がが徳川幕府方だったことです。さて、西南戦争記念館を出ると宿泊するアークホテル熊本城前に向かいました。到着すると、熊本城を遠望しつつ美味しい食事やアルコールを楽しみました。

      チブサン古墳からアークホテル熊本城前でのルート

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放課後学習 成器塾 オリジナルエプロン完、テーブルセッティング

2019年07月14日 | 子供の育成関連

 麻郷小学校 放課後学習 成器塾の手仕事教室、予定ではブラックベリーを手摘みしてジャム作りをする予定でした。ところが、我家のブラックベリーは晩生なのか熟していませんでした。そのため、ジャム作りはできませんでした。桃は熟していたので、桃を利用したクッキングとテーブルセッティングに変更しました。なお、前日の雨で桃園は濡れていました。そのため、桃の手摘みはできませんでした。私が桃を手摘みして小学校に持って行きました。途中だったエプロンの裾を縫って完成させてから、桃の調理に入りました。

          エプロンの裾を縫った後、紐を襟や裾に通す


 使っている手回しミシンは1本糸縫いです。1本糸の一番の欠点は、糸の端を引っ張るとすべての糸がするすると抜けてしまうことです。この欠点を解決するため、今のミシンはボビンを使った2本糸になっています。今回、糸が抜けることを防ぐため折り返し縫いしました。すでに縫った箇所は、「裁縫上手」を塗ってアイロンで止めておきました。ちょっと苦労しましたが、立派なエプロンが出来上がりました。

 裾を手回しミシンで縫う   首部分に紐を通す     二人がかりで紐通し
  

 エプロンが完成すると、桃を使った調理をしました。桃は、他の果物にはない特徴があります。例えば、収穫したばかりの桃の表面には粉が付いています。その粉の役割について子供に質問・解説しました。また、桃ならではの包丁によるカット方法を教えました。ところが、桃が半分に割れるはずがうまいきませんでした。少しばかり虫が食っていたためでしょうか、残念!続いて、桃ならではの皮の剥き方を実践してもらいました。

     エプロンの完成です      桃を使ったテーブルセッティング
 

 桃の調理と並行して、テーブルセッティングの勉強もしました。ランチョンマットの敷き方、テーブルナプキンの飾り方、フォークの置き方などです。その解説が終わると、ランチョンマット上に置かれた皿上の桃を美味しくいただきました。とても美味しかったです。桃を食べ終わった頃、スタッフのSさんから、Sさん手作りのブラックベリージャムを皆さんに分けていただきました。ありがとうございました。次回は、藍(青色)と紅花(黄色,赤色)による染物体験です。絞り染めや型染めなどを考えています。

 桃が半分に割れるはずが   カットした桃を皿上に  ブラックベリージャム
  

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糸紡ぎの基本用具スピンドル(紡錘子)を何種類か制作

2019年07月13日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 古代の遺跡から紡錘車が出土することがあります。この田布施でも出土しています。これはスピンドル(紡錘子)の車輪の部分です。軸は木製のため腐ってしまい残りませんが、石製や素焼き製の紡錘車は遺跡として残ります。今回、紡錘車を木製や素焼きの土(田布施産の粘土)で作ってみました。なお、石製は研磨するのに時間がかかるため作りませんでした。合計14個のスピンドルを制作してみました。明日の田布施コットンクラブで皆さんに使ってもらい、よければ1個/1人でお分けしようと思っています。また、コットンクラブ以外の方でも興味がある方がいればお分けしようと思います。

            制作してみた各種スピンドル


 まず、木製の紡錘車をたくさん作りました。作り方は簡単です。電動ドライバの先端に、板を丸く繰り抜く円周ノコギリを取り付けます。そして、10個以上の紡錘車を板から次々に取り出しました。バリがあるので、紙やすりで丁寧に磨きます。続いて、軸を作りました。軸は安い箸を加工して作りました。作った紡錘車に軸を差し込んで接着剤で固定すれば出来上がりです。持ち運びしやすいように、紡錘車と軸を取り外すことができるスピンドルも数個制作しました。

 円周ノコギリで繰り抜き   紡錘車のバリを取る    軸の底部を研磨
  

 2年前に制作した素焼き製の紡錘車があります。その素焼きした紡錘車に軸をさしこんで素焼き製スピンドルを作りました。木製より重い紡錘車です。そのため、回転が落ちにくい特徴があります。ただ、焼き方にむらがあると偏芯するため、回転中に軸がグラグラします。しかし、研磨すれば木製よりも優れたスピンドルになります。

   紡錘車と軸をボンドで固定     左から、本焼き、素焼き、木製の紡錘子
 

 スピンドルが完成すると、去年収穫した綿を使って実際に糸を紡いでみました。個人的な感想ですが、一番使いやすかったのは素焼き製のスピンドルでした。続いて、木製紡錘車でした。素焼きに釉をかけて本焼きした紡錘車のスピンドルは偏芯して軸がグラグラしました。糸を紡げないことはないのですが、扱いにくいスピンドルでした。素焼きや石製の紡錘車が古代に使われた理由が良く分かります。木製の場合でも直径を大きくすれば、素焼き製に劣らないスピンドルになると思います。

木製スピンドルで糸紡ぎ   素焼き製スピンドル    本焼きのスピンドル
  

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西九州域 史跡&観光地巡りウォーキング(1/6)

2019年07月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 先日いつもの仲間達と西九州の史跡を中心とした観光地を巡ってきました。今回の史跡キーワードは、古墳,西南戦争,隠れキリシタン,そして神社です。ところで、今回の史跡巡りはそれほど歩きませんでしたが、それでも平均して8000歩/日は歩いたように思います。田布施を出発して熊毛インターから高速道路に入りました。これは九州方面に行くときのお決まりコースです。最初に佐波川SAで休憩を取りました。私は、その後の水分補給のためにペットボトル入りの水を購入しました。次に、古賀SAで車を降りました。数人がブドウ入り餅を購入して小腹を満たしていました。

         チブサン古墳の石室に入る前に説明


 続いて広川SAに寄りました。ここでようやく昼食休憩となりました。私はラーメンを食べることにしました。隣に食券販売機があったため、ラーメンの食券を発券しようとボタンを探しました。しかし、いくら探しても目的のラーメンが表示されていませんでした。良く見ると、ラーメンだけは対面発注だったのです。やれやれ。

 佐波川SAで小休止      古賀SAに到着     古賀SAで小休止
  

 広川SAでの昼食休憩が終わると、高速道路を降りて山鹿市に向かいました。今回の史跡巡りの最初であるチブサン古墳に行きました。しかし、チブサン古墳の石室に入るには説明員と一緒に行かなければなりません。山鹿市立博物館で説明員を待つ間、博物館内を見学しました。古代の出土物である銅器や鉄器を見ると、同じ古代でも田布施町よりも文化が高かったのではないかと思えました。田布施地域の場合は、山鹿市よりも巨大な遺跡(後井古墳など)がいくつもあるので、文化は低くても勢力はあったのではないでしょうか。

     広川SAで昼食休憩         館内を見学した山鹿市立博物館
 

 山鹿市立博物館の外でたまたま、地元のグループが竹細工をしていました。私は、手ごろな値段だった竹細工の籠を買ってしまいました。裁縫道具かコットンクラブ用品を、この籠に入れようかと思案しています。竹細工をしている方々は、私と同じぐらいの年齢に思えました。その昔、小さな竹ざるを編んだことがあるので、時間さえあればこの程度の籠は編めるのではないかと思います。とは言え、あれもしたい、これもしたいで困ってしまいます。

 山鹿は博物館内を見学    購入した竹籠     チブサン古墳(前方後円墳)
  

 竹細工をしている方々と談笑していると、チブサン古墳の説明員がやってきました。説明員の方を先頭に車で古墳に向かいました。チブサン古墳前に到着すると、説明員の方から説明を聞きました。やはり興味があったのは、石室内の装飾で飾られた石屋形です。元々は石室だったのでしょうが、側面の石が無いので屋根の形に見えます。

         田布施を出てからチブサン古墳までのルート

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上関町 室津の史跡巡りウォーキング下見(3/3)

2019年07月11日 | 歴史探訪他ウォーキング

 出会い地蔵尊を過ぎると、西方寺に向かいました。出会い地蔵尊からの緩い下り坂を300m位降りると西方寺の参道が見えてきました。西方寺を参詣するため参道の石階段を登りました。20m位急な石段を登ると西方寺の山門です。山門をくぐると西方寺本堂は目の前です。西方寺は幕末期に義勇隊の屯所があり柱に刀傷が残っているとのことですが、時間がなく下見では確認できませんでした。また、同幕末期に高橋利兵衛が自決した場所でもあります。当時の義勇隊士はこのお寺でどのような生活をしていたのでしょうか。第二奇兵隊が駐屯していた専福寺と同じような厳しい訓練が行われていたのでしょうか。

           旧長命寺跡付近の荒れた巡礼道を巡る


 なお義勇隊が上関を留守にしていた時、義勇隊の代わりに円立寺の僧坊隊が駐屯して治安維持をしていたようです。僧坊隊は。維持費困難のため短い間だけ存在しました。珍しくお坊さん達で構成された奇兵隊諸隊の一つです。円立寺の山門前にその石碑が建っています。この円立寺は清狂草堂(妙円寺)の月性と親戚にあたります。

 西方寺の急な石階段   石階段上の西方寺山門     旧長命寺跡付近
  

 西方寺の本堂や鐘撞堂を見学すると、裏回りの道を降りて石階段の下に戻りました。そして、旧長命寺跡に向かいました。今ではお寺があったとは思えないほど草が生えており、それらしい跡もありませんでした。明治初期の廃仏稀釈で、廃寺になったか移転したのではないかと思われます。続いてお大師山に登りました。急な山道を10分位登ると大師堂に到着です。立ったまま休憩後、巡礼ルートを反対側に下りました。反対側ルートを降りていると、閉められたお堂がありました。さらに下っていると、なんと1番個所のお地蔵様がありました。正規とは逆の巡礼ルートを歩いてしまったようです。

  お大師山巡礼ルートのお地蔵様       室津の旧繁華街を散策
 

 お大師山巡礼ルートから戻ると、室津の旧繁華街を歩きました。そして、清水石油店傍の船つなぎ石を見学しました。なお、清水石油店のsさんのお話では、かつて船つなぎ石よりさらに10m位山側が海岸だったそうです。その当時、この石に紐を結んで船を係留したのでしょう。次に、六角井戸、四階楼に行きました。最後に、道の駅でビワアイスをいただきました。とても美味しかったです。しばらく休憩後、平生町のJA南すおう平生支所に戻りました。下見ウオーキングに参加された方々、お疲れ様でした。

 石油店傍の船つなぎ石   珍しい形の六角井戸   美味しかったビワアイス
  

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リネンの種子を収穫

2019年07月10日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 去年からリネンを栽培しています。しかし、リネンを収穫して繊維化する時間的余裕がありません。繊維化の方法は、まず最初に収穫後に水に浸して茎を腐らせます。その後、乾燥させて繊維を取り出します。かつて、田布施でも栽培されたラミー(苧麻)も似たような加工方法を経て繊維を取り出していたようです。今年、わずかにリネンを収穫して繊維化してみましたが、取り出した繊維はごくわずかです。紡げるほどの繊維を取り出すには、大量のリネンを収穫する必要があることが分かりました。

        今回収穫したリネン、天日乾燥後に種を取る


 この秋に今回収穫した種子をまいてみようと思います。分げつしな珍しい植物なので、種は相当密に蒔いたほうが良さそうです。そして、来春に大量に茎を収穫すれば糸紡ぎできるほどのリネンの繊維を収穫できるかも知れません。繊維化が難しいようであれば、リネンから撤退した方が良いかも知れません。とにかく、どの程度リネンを収穫すれば紡げる量の繊維が取れるか確認しようと思います。植物の茎から繊維を取り出すことは、とても難しく時間がかかります。綿や羊毛がいかに楽に手に入る繊維かが分かります。

    一粒一粒がリネンの種         天日乾燥中のリネン
 

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とても古く、壊れた骨董アイロンを修理

2019年07月09日 | 建設,工事,修繕

 放課後学習成器塾の手仕事教室ではアイロンが2台以上必要です。しかし、手持ちのアイロンは1台しかありませんでした。そのため、とても古い骨董品のアイロンを購入しました。数百円でした。購入したものの「安物買いの銭失い」の諺どうりとなってしまいました。電源100Vを通じても、温度は上がらないし、通電ランプが光りません。このまま燃えないゴミにするのは、しゃくに障ります。そのため、分解して修理することにしました。2日がかりで直しました。

          修理を終えて、これから組み立て直すアイロン


 そもそも、このアイロンはコードがポロポロでした。下手をすれば漏電してしまいます。そのため、コードを新品に取り換えました。さて、アイロンのネジを回して取っ手が付いたカバー部を取り外しました。このアイロンはサーモスタットで温度を調節していました。規定温度に達すると、サーモスタットが切れて温度が下がります。そして、規定温度以下になると再び通電して温度が上がるのです。

  取っ手部を外すネジ     取っ手部を外す   取っ手部と下部を分ける
  

 まず温度が上がらない原因と思われるサーモスタットを調査しました。そして、ドライバーで何度も回していると錆が取れたのかカチンと音がして動作するようになりました。電源を入れると通電して、温度が上昇しているのが分かりました。この時、ランプが光って通電していることを知らせるのです。しかし、ランプが切れているらしく全く光りません。光らないランプを調査しました。このランプはネオンランプで、どこかで断線しているようでした。半田こてを使ってランプを外すと、ランプの壊れた線がポロリと取れるではありまんせんか。たまたま保管していた正常なネオンランプと交換しました。

  温度調節するサーモスタット       光らないネオンランプ
 

 ネオンランプを交換すると、通電中は光るようになりました。サーモススタットが正常に動作するようになったため、規定の温度になるとサーモスタットが切れて通電しなくなりアイロンの温度が下がります。そして温度が低くなると再び通電して温度が上がりました。通電ランプも正常に、通電中は光り、通電が切れると光らなくなりました。このランプの光が切れることがアイロンが使える合図なのです。この古い骨董アイロン、燃えないゴミにならずに済みました。

  ランプの壊れた線    通電すると光るランプ  組み立て直したアイロン
  

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洋綿(バルバゼンセ)の除草と施肥

2019年07月08日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 梅雨明けはまだ先のようです。このままでは畑は雑草だらけになってしまいます。雨が止んだ時をねらってはこまめに除草をしています。今回は洋綿(バルバゼンセ)の除草をしました。他の和綿、洋綿(茶,緑,灰)も同様にこまめに除草しています。今年は、栽培している綿の種類が多いのでことのほか大変です。多く栽培しているのは、和綿と今回除草した洋綿(バルバゼンセ)です。面積が広いため耕耘機で除草しています。年を取るとどうしても体に負担がかかりますし、疲れが残ります。そのため、効率的にしかも楽に除草するにかぎります。

          耕耘機で除草中の洋綿(バルバゼンセ)畑


 洋綿(バルバゼンセ)はエジプト綿とも言われており、綿が細くしかも繊維が長い長毛種です。和綿よりも細い糸を紡ぐことができるようです。ただし、長雨が続く日本の気候では育てにくいのが欠点です。去年も洋綿(バルバゼンセ)を栽培しましたが、長雨のためか綿が弾けないまま腐った実がたくさんありました。ただし、私のような素人が糸を紡ぐには十分な量の綿を収穫できました。

  洋綿(バルバゼンセ)畑を耕耘除草      1株2本に綿を間引き 

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真夏の使者、カブトムシ現われる

2019年07月07日 | 生き物

 夜中本を読んでいると、窓ガラスに何度も当たる黒い影と音が聞こえました。この季節多いのはカミキリムシです。しかし、音の大きさなどが違うので、もしやと思って窓に行ってみました。すると、案の定カブトムシでした。去年は雌のカブトムシでしたが、今回は雄のカブトムシでした。中くらいの大きさでした。カブトムシは、手で掴むとお腹を動かして低い音でグウグウ鳴くことがあります。しかし、今回捕まえたカブトムシは鳴きませんでした。

          我家に飛び込んできた雄のカブトムシ


 子供が小さい頃、カブトムシを養殖していました。大きな箱に腐葉土を敷き詰めます。そして、あらかじめ捕まえておいた雄と雌をカブトムシを入れておきます。すると、雌が卵を産むのです。冬の間に幼虫が腐葉土を食べて大きくなります。幼虫の数が多いと、小さなカブトムシが出てきます。少ないと大きなカブトムシが出てきます。ところで、カブトムシは夏から秋にかけて死んでしまいます。しかし、カブトムシより人気があるクワガタは数年間も生きて冬越しします。カブトムシは腐葉土を食べて育ちますが、クワガタは腐った楢の幹などを食べて育ちます。

  黒光りする立派な角    壮観な面構え       足先の鋭い爪
  

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花期が終わった紅花、種子を収穫して天日乾燥

2019年07月06日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 紅花の花期が過ぎました。花びらは私が収穫しましたので、残っているのは花のがくや種子です。見た目が花の残骸のように見えます。しかし、しっかりと種子が育っています。この花の残骸を含む茎や葉を刈り取りしました。そして、根本を束ねて天日乾燥しました。秋に種を取って、畑に種まきします。そして、来年再び紅花の花びらを収穫します。紅花の種は、白く形がヒマワリの種に似ています。ちなみに、種を搾油したものがサフラワー油(紅花油)です。

          紅花の花跡、花の残骸のように見える


 半分枯れた紅花ですが、刈り取り時に注意が必要です。花跡には鋭い棘があります。葉にも小さな棘があります。手袋をしないで触ると泣きをみます。天日乾燥後、カラカラに乾いた紅花の花跡や葉先の棘はさらに硬くなります。そのため、さらに棘が刺さりやすくなります。よくもまあ、昔の人はこんな植物から赤色の色素が利用できることを発見したものです。

    茎をハサミで刈り取り        茎を束ねて天日乾燥
 

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麻郷小学校 放課後学習 成器塾 オリジナルエプロン作り

2019年07月05日 | 子供の育成関連

 ポケットティッシュケース作りが終わると、オリジナルエプロン作りにはいりました。最初に、10種類位ある布柄から好きな柄を選んでもらいました。選んだのは、小さなアヒルが模様になった柄でした。まずは、左右の袖部分の線を引くため、二つ折りにした布に両面チャコペーパーを挟みました。そして、型紙の線に沿ってルレットを回しました。この型紙は、私があらかじめ作っておいたものです。二つ折りにした布ですので、やや強くルレットを押して回さなければなりません。

    選んだ柄の布を二つ折りにして、型紙に沿ってルレットで線を引く


 型紙には切断箇所、紐を通す箇所、三つ折りにする箇所が描いてあります。その描いてある線の上をルレットでなぞります。なぞり終わると、布にはチャコペーパーの青色が薄く点線で転写されています。次に、一番外側の線に沿ってハサミで布を切ります。切ったのは左右の袖の部分です。次に、エプロンの首部分を実際に首に当てて椅子に座ります。そして、エプロンの長さを決めます。ひざ下に少し垂れ下がる位がいいでしょう。決めた位置で布を切ります。

  左右袖部分を切断   エプロン下部の線を引く  エプロン下部を切断
  

 次に、エプロンの隅々を1cm,1cmで三つ折りにします。ただし、左右の袖部分は紐を通すため、2cm,1cmで三つ折りにします。そして、折った箇所が元に戻らないように、アイロンを押し当てます。続いて、ミシンでその三つ折り箇所を全部縫っていきます。ポケットティッシュケース作りで、ルレット、三つ折り、アイロンの基礎を体験していたので、思いのほか楽々にこなしていました。もちろん、手回しミシンも器用にこなしていました。

   三つ折り箇所にアイロン当て      手回しミシンで次々に縫う
 

 すべて縫い終わると、通す紐の太さと色を選んでもらいました。紫色の紐が気に入ったようです。選んだその紐を、縫い終わったエプロンに通しました。紐の先端には玉を付けました。これで出来上がりと思っていたら、右袖の糸が大きくほつれていました。残念ながら、完成は次回となりました。1時間半もの間、集中が途切れず制作できたのは立派です。次回は、エプロンを完成させた後、畑に行ってブラックベリーを手摘みします。そして、ジャム作りをしてもらおうと計画しています。

 お気に入りの紐を通す    紐の長さを調整    体にフィットするか確認
  

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上関町 室津の史跡巡りウォーキング下見(2/3)

2019年07月04日 | 歴史探訪他ウォーキング

 小方謙九朗墓所を訪れた後、高橋利兵衛墓所に行きました。光市島田地区には高橋利兵衛を弔った祠があります。2年前にこの祠を探し当てました。幕末期、上関義勇隊に所属していた彼と仲間二人は、田布施町麻里府に停泊していた薩摩藩借り上げの加徳丸を襲撃しました。その事件の正当性を示すため、また無念を晴らすために仲間二人が大阪で自決しました。高橋利兵衛は、その二人を追うように上関町室津の西方寺で自決しました。当時の侍達は戦国時代さながらに肝がすわっていたのです。この加徳丸事件は、大阪で瓦版(今の新聞相当)になりました。その瓦版(写し)を郷土館主催の幕末展で展示したことがあります。

        海や船を見ながら、日和山公園で昼食休憩


 次に、上関大橋袂(室津側)にある吉田松陰碑に行きました。私はこの碑が大好きです。理由は、原文,読み下し文,そして現代文の三つの碑があることです。現代の我々には原文である漢文は読めません。読み下し文、現代文への翻訳の過程がよく分かります。この吉田松陰の詩碑が午前最後の史跡です。続いて、道向かいにある日和山公園に行きました。屋根付きの椅子に座って昼食休憩をとりました。

   吉田松陰詩碑    日和山公園からの海峡   常満寺裏側通りのお地蔵様
  

 昼食休憩が終わると、次の史跡に向かいました。常満寺裏側の通りにあるお地蔵様です。地元の方がいなかったため、何と呼ばれているお地蔵様か聞けませんでした。その昔、上関町で干拓がまだ進んでいない頃、このお地蔵様下の道は繁華街でした。その昔、このお地蔵様はその繁華街を見下ろしていたのではないでしょうか。続いて、加茂神社に向かいました。

    加茂神社に向かう下り坂        拝殿が立派な加茂神社
 

 加茂神社に着くとトイレ休憩をしました。加茂神社は対岸の竈八幡宮と対比できると思います。竈八幡宮の拝殿や階段も立派ですが、加茂神社も同じように立派です。もしかして、かつては競い合っていたのかも知れません。加茂神社を見終わると、その上にある稲荷神社や忠魂碑に向かいました。忠魂碑前広場は草が膝上ほどに生い茂っており入れませんでした。忠魂碑を去ると、出会い地蔵に向かいました。出会い地蔵の由来を知りたいものです。誰と誰が出会うのでしょうか。もしかして、右からの道と左からの道が合流するため、出会いと呼んでいるのかも知れません。次に西方寺に向かいました。

  静かな稲荷神社     草が生い茂る忠魂碑     出会い地蔵尊
  

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桃を初収穫するも、例年より小玉

2019年07月03日 | 樹木,果樹

 そろそろ桃を収穫する季節です。そこで、期待しながら桃の木を見に行きました。すると、梅雨入りが遅れて日照りが長かったためか、まだ熟れているように見えませんでした。桃特有の匂いも漂っていません。毎年早生種の黄桃が先に熟れて、晩生の白桃が次に熟れます。白桃はどれも熟れていませんでした。続いて黄桃の木を見ました。すると、一つだけ袋を通してピンク色が見えました。さわると柔らかく、熟れていることが分かりました。

           白桃よりも早く熟れていた黄桃、ただし小玉


 早生黄桃も晩生白桃も、今年はすべての桃が小玉のようです。やはり日照りの影響で大玉になれなかったのしょう。春に袋掛けしましたが、半分近くの桃はダメでした。小さいまま干からびた桃、虫に食われて半分腐った桃、カビに覆われて灰色になった桃などです。プロの桃農家であれば農薬を散布して桃を救ったのでしょうが、私は何もしません。そのため、収穫して食べることができるのは3割位ではないかと思います。でも、我家で楽しむには十分な量です。

    袋を通して見えるピンク色      袋を破ると美味しそうな桃
 

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色づき始めたブラックベリーの害鳥対策

2019年07月02日 | 樹木,果樹

 2週間ほど前、ブラックベリーの実がパックに包装されて売られていました。しかし、我家のブラックベリーが実を収穫できるのは7月中旬頃からです。晩生なのでしょう。先月咲いていた花は全て散っており、緑一色だった実がほんのりと赤く色づき始めていました。赤色が黒くなれば収穫できます。このブラックベリーの実、放課後学習成器塾の手仕事教室でジャム作りに使おうと思っています。そのため、実を鳥に食べられないように防鳥糸を張りました。

         ブラックベリーの周りに防鳥糸を張る


 このブラックベリー、かつて我家では主にジュースにして飲んでいました。当時はとても美味しかったように記憶しています。しかし、数十年ぶりに飲んでみると、酸味が強くて記憶していたほどに美味しくありませんでした。近年の甘さに慣れてしまい味覚が退化してしまったようです。唯一心配しているのは、実の成熟が成器塾に間に合うかどうかです。合わなければ、桃,ビワ,またはジャガイモの収獲に変更するか、それも合わなければ腕カバー作りにしようと思います。自然が相手では止む負えません。

 赤く色づき始めたブラックベリーの実   防鳥糸を張るための支柱を立てる
 

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