これまで、ナスやピーマンは苗を購入して育てていました。数年前にナスやピーマンの育苗をしたことがありますが、我家に必要な苗は数個です。そのため、だんだん育苗しなくなりました。簡易温室を手に入れたので、今年はナスなどを育苗してみようと思います。育てることができれば、その苗を必要な友達に差し上げようと思います。
育苗ポットに、慎重にナスの種まき
ところで、所有している育苗ポット(4 x4)は大きくて簡易温室に入れることができません。そのため、片面をハサミで切り取りました。そのため育苗数は4 x 3の12個となります。その育苗ポットに培養土入れました。そして、水が滴るほどジョロで水を入れました。
育苗ポット片側を切断 培養土を入れる 入れた培養土を均す
続いて種まきです。最初鉛筆を使って種を入れる窪みを付けました。次に、種袋から種を出して種をピンセットで摘まみます。摘まんだ種を窪みに一つ入れます。なお、畑に直播きする場合は4個位種まきして、よく育ったものだけを選んでいました。
鉛筆で種まきの窪み ピンセットで種を摘まむ
育苗ポットで育てる場合は2個種まきして1個だけよく育ったものを選びます。今回は、友達にも苗を差し上げたいので、さらに大きめのポットに苗を移植して育てようと思います。小さいポットから大きいポットに移植して、大きく育ててから畑に移植しようと思っています。さて、ちゃんとナスの苗を育てることができるでしょうか。
窪みに種を挿入 霧吹きで補水 簡易温室で保温
国道188号線を柳井港方面に向かって歩いていると、かつてあったオートレース場跡地に着きました。残念なことに跡地を示す石碑などはどこにもありません。そのため、ここにオートレース場があったことを知っている人は、今やほとんどいないのではないかと思います。私がなぜオートレース場を知っているかと言うと、私の祖母や伯父が経営に参画していたからです。そのため、子供の頃ここによく来ていました。今でもレース場の建物や競技用オートバイを思い出します。
オートレース場があった昭和30年頃、柳井市の航空写真
オートレース場は井森組が経営していたそうです。伊保庄に住んでいた私の伯父と当時の井森組社長は仲が良かったそうです。そのため、経営を任されていたのではないかと思います。オートレース場内から南側に出口がありましたが、そこは波が打ち寄せる岩場の海岸でした。木造円形レース場と岩場に当たる波の音を何故だかよく覚えています。人工のレース場と自然の大海原の落差が、幼児だった私にとても印象深かったのでしょう。
レース場の入場口跡地 競技用バイクに乗る私 三角餅の藤坂屋跡
祖母はレース場内でアイスクリームなどを売っており、売れ残りは子供のおやつになったそうです。また、私はレーサーの方々に可愛がられたのか、競技用バイクによく乗せてもらいました。遠い親戚にあたる女性のライダーがいたそうです。とても人気だったとのこと。男性に混じって競技していたのでしょうか。残念ながら事故で亡くなったそうです。
静かな代田八幡宮 宮本大師堂 朱色が映える菅原天神社
懐かしのオートレース場跡地を過ぎると、線路をまたいで代田八幡宮に向かいました。途中三角餅を製造していた藤坂屋跡で立ち止まりました。その向かい側には国木田独歩が仮寓していた家があります。代田八幡宮を参拝すると、すぐ近くにある宮本大師堂に向かいました。その後、菅原天神社、普慶寺、湘江庵などを訪れて柳井駅に戻りました。今回は平地ばかりを歩く史跡巡りウオーキングでした。参加された方々、お疲れ様でした。
普慶寺の粟島大明神 湘江庵の柳と井戸
一昨日作った治具が、経糸巻きに役立つかどうか試してみました。整経器で作った経糸13組208本を、この治具を使って織機の経糸巻きロール(筬側)に巻き取る作業をしてみました。意外に使えることが分かり安心しました。初めての作業なので、おっかなびっくり慎重にやってみました。今後は、綜絖通しや筬通しなどの難関が待っています。この難関を乗り越えて、ようやく布を織ることができるようになります。
左の治具に張った経糸を、右の経糸巻きロールに巻き取り
まず最初に、中央に配置する黄色の経糸16本を治具に張りました。そして、張った糸が絡まっていないか、櫛を通してみました。絡まっている場合は、優しく櫛を前後して絡まりをほどきます。次に、経糸全体がねじれていないか確認します。ねじれている場合は、治具側に張られた経糸を外してねじれを直します。このようにして経糸13組208本を張りました。
最初に黄色の経糸 櫛を通して絡まり確認 経糸巻きロール側
今回経糸を張って困ったのは、7月に私が紅花で染めたピンク色の経糸です(染めた当初は赤色)。染色時に水に浸けたので、乾燥後思いのほか縮んでいました。そのため、他の経糸よりも強い張力がかかってしまいました。反省点として、染色した後に経糸にするべきでした。他に気が付いた点として、爪が長い方が作業しやすいことです。糸を取り上げたり,選り分けたり,結んだりする時、爪を使うことが意外に多いのです。
すべての経糸をピンと張る 経糸の1本1本の交差を確認
すべての経糸を張ると、経糸巻きロールに巻き付けました。糸同士が絡まないように、ロールが1回転するたびに紙をはさみました。こうして、経糸巻きロールに経糸(約2m)を巻きつけました。最後に治具から経糸を外して、今回の作業は終わりました。次は、経糸を綜絖や筬に通す作業が待っています。
経糸とロールの間に紙 経糸をロールに巻く やっと経糸巻き完了
食べ残して軒下にぶら下げたままの赤タマネギ、食べようにも皮がカラカラに乾いて痩せています。もう食用には適さないため、軒下から降ろして畑に植えることにしました。そのまま植えるのではなく、芽の部分だけ取り出して植えます。皮を次々とむしりながらタマネギを分解します。そして、中に潜んでいる芽を取り出すのです。
赤タマネギを分解して取り出した芽
食べ損ねたタマネギは、年を越して春になると何故か底部(お尻)にこぶができます。潜んだ芽が大きくなってお尻のように膨らむのではないかと思います。芽を取り出す時には、このお尻のように見えるこぶを目安にタマネギを分解します。つまり、お尻の部分をむしり出すのです。
食べ損ねた赤タマネギ 膨らんだお尻 お尻をむしり出す
芽を取り出して乾燥後、畑に植えました。今の時期なので、うまく行けば再びタマネギになります。しかし、ほとんどは葉ネギとして収穫して食べます。まるで春植えのワケギのようです。食べ損ねて軒下でカラカラに乾いたタマネギは、普通は捨ててしまいがちです。しかし、まだまだ利用価値があるのです。
取り出したお尻(赤タマネギの芽) 取り出した芽は乾燥後植える
先日試しに16本の経糸を、織機の綜絖と筬に通してみました。このやり方だと、残りの経糸12組を通すたびに経糸巻きロールを解いたり巻いたりしなければなりません。非常に効率が悪いことが分かります。そのため、13組全ての経糸をいったん経糸巻きロールに巻き付けようと思いました。その経糸すべてを巻き取るための治具を作ってみました。この治具、うまく使えるでしょうか。なお、経糸は当初16組256本を予定していましたが13組208本に変更しました。
経糸(208本)を巻き取るための治具を制作
経糸巻きロールに巻き付ける時、すべての経糸をいったん直線に並べなければなりません。その全ての経糸を縞の順に並べる治具を作ってみました。大げさの道具ではなく棒(ピン)が20位立っているだけです。13組の経糸があるならば、13本の棒に経糸の端の一つを掛けます。一方で、経糸巻きロール側に経糸の反対側の端を取り付けます。その後、経糸巻きロールをぐるぐる巻きながら13組の経糸を巻いていきます。
棒の穴位置をけがく ノコギリで板を切断 棒の穴を開ける
しかし、そう簡単に全ての経糸を巻くことができるとは思えません。試しに1組16本の経糸(約2m)をこの治具を使ってピーンと張ってみました。絡みついていないか、櫛を通してみました。すると以外にも絡みついていませんでした。しかし、問題点がいくつか見つかりました。
今後は友達に協力していただいて、一度この治具を使って13組の経糸を経糸巻きロールに巻いてみようと思います。うまく巻くことができれば、織機に取り付けます。そして、経糸を綜絖と筬に通してみようと思います。織るまで、まだまだ先が長いですがトライしてみようと思います。
開けた穴に棒を入れて固定 棒の中心は赤くマーキング
3月の史跡巡りウォーキングの下見に行ってきました。思い起せば、元々ウォーキングの下見は私一人が行っていました。そして、ウォーキングする距離を測るために、車輪がコロコロ回る距離計を片手に持って歩いていました。そのうちに、一緒に下見に行く方が増えて、今回は小学生を含む8人で下見しました。下見の醍醐味はどこを歩くかはっきりしない事です。あっちへうろうろ、こっちをうろうろと歩きます。本番ウォーキングよりも多くの距離を歩きます。本番ウォーキングのルートを決めるための下見ですので仕方ありません。今回は平生町の小郡と尾国、そして柳井市阿月の与浦の神社仏閣そして史跡を確認しつつウォーキングしました。
柳井市阿月の与浦海岸の砂浜を散策
平生小学校前バス停留所でバスに乗り、小郡でバスを降りました。この時、尾国(おくに)と小郡(おぐに)の読みを自分が間違えていることに気が付きました。バスの運転手から確認されました。小郡を「おくに」、尾国を「おぐに」と思っていました。下車する時、少しばかりうろたえました。しかし、元々小郡「おぐに」バス停で下車することにしていたので、そのまま降りました。2年ほど前に小郡の史跡を巡るウォーキングをしたことがありました。そのため、小郡の史跡は説明しただけで通過しました。そして、阿月の与浦に向かいました。
小郡「おぐに」バス停 小郡の史跡は説明だけ 峠を越え阿月へ
小郡から阿月へは峠を越えます。峠にはその昔、岩国から上関へ向かう街道がありました。かつてはその道を、防陽霊場や南陽霊場を巡って巡礼者が往来していました。もちろん旅人や商人も行き来していました。今その街道の面影はなく車が通るだけで、歩く人は我々だけでした。
峠を越えて与浦に到着 与浦海岸に降りて砂浜を散策
史跡巡りウォーキングでは海岸を歩く機会はなかなかありません。しかし今回は与浦海岸の砂浜を歩いてみました。実は与浦には縄文遺跡があります。しかし、その遺跡は実はこの海岸の下に眠っています。ボーリング工事をした時に遺跡が発見されたそうです。今から3,000~5,000年前の縄文遺跡のようです。当時は稲作のような農業はないので、漁労で生活していたのでしょうか。
与浦遺跡の碑 与浦大師堂をお詣り コスタリゾート跡を散策
与浦の砂浜を歩きおわると道路に出ました。次に、与浦から尾国へ抜けることができる観光ミカン園跡への道を通る予定でした。ところが、ミカン園跡への道は封鎖されていました。今は通れないとのことでしたので、道を戻り与浦遺跡碑を見学しました。そして、地元との方に教えていただいた与浦大師堂に行きました。続いてコスタリゾート跡を散策した後、尾国へ向かいました。
下見ウォーキングした平生町尾国と柳井市阿月与浦
一昨日冬野菜であるキャベツを収穫しました。そのキャベツ跡に春植えのワケギを移植しました。美味しい長ネギは収穫まで時間がかかります。ワケギは味などがやや劣りますが、簡単に植えられて早く収穫できます。ネギ類のわき役として重宝しています。ちなみに、食べ残している秋植えのワケギは、葉が枯れる5月頃に掘り上げます。そして、乾燥させて秋にまた植えます。春植えと秋植えはこのように交互に堀上げと植え付けを繰り返します。
キャベツ跡に、春植えのワケギを植え付け
ワケギを植える前にキャベツ跡を綺麗に片付けしました。散らかしたたくさんのキャベツの葉を除けました。ついでに、雑草もきれいに取り除きました。最後に、箒で掃いて残渣を残らず払いのけました。
キャベツ残渣を除去 ついでに除草 箒で回りを綺麗に
キャベツ跡を綺麗にすると、分げつしたワケギを分球しました。そして、薄皮を丁寧に剥いてピンク色の地肌を出しました。先端には緑の芽が出ています。すべてのワケギを分球すると、さっそくキャベツ跡に一つ一つ植えていきました。4cm位穴を掘りその中にワケギを落とすようにして植えました。5月初めには美味しいワケギを収穫できます。このワケギのいくつかは食べ残しておき、初秋に掘り上げます。そして、来春にまた植えます。毎年その繰り返しです。
このワケギを一つ一つに分球 分球後のワケギ、これを移植
これまでは簡単な織機を使って布を織っていました。今後はもう少し難しい織りをしようと、整経にチャレンジしてみました。今回は256本のうち16本の経糸を使って、試しに綜絖と筬に通してみました。誰にも習わない我流の整経は、思った以上に苦労の連続でした。1時間かけて、なんとか綜絖を上下できるように16本の経糸を通してみました。単純に考えれば、16時間をかければ256本の経糸を通すことができます。16時間とはねえ!今回、次のような二つの反省すべき点がありました。
1時間程度かけて、16本の経糸を綜絖と筬に通す
反省点の一つ目は、一人で糸を選んで綜絖通しや筬通しを使うのはとても時間がかかり疲れることです。二人必要だと思いました。一人は糸を選んで渡す人。もう一人は糸を受け取って綜絖や筬に通す人です。実際、郷土館の古い織機の整経を柳井縞の会長Iさんにお願いした時、確か娘さんと二人で整経していたように思います。
色別に分けた256本の経糸 綜絖通しで糸を受け渡し
反省点の二つ目は、経糸を経糸ロールに巻き取る時期です。すべての経糸を通してから巻き取っていては糸が絡みつきそうです。綜絖や筬に通す前に経糸ロールに巻き取った方が良いように思います。また綜絖から筬へと通すのか、その逆なのか分かりません。また、最初に筬側に巻き取るのか、綜絖側に巻き取るのかも分かりません。ただし、織り始める時には綜絖側(織る人と反対側)のロールに経糸が巻かれていなければなりません。
奇数番目の経糸 次に偶数番目の経糸 経糸をピンと張る
実際に整経してみて、とんでもなく緻密な作業であることが分かりました。とにかく目が疲れました。やれやれ、いつになったら整経が完了するやら。
織りの教室で、生徒さんは織るだけで整経しない理由かよく分かります。織りだけでは満足できない人が整経するようです。かつては、整経と織りは別の職人に分かれていました。織るだけの職人を「織子」と呼んでいました。江戸から明治にかけて、竪ヶ浜の織子が田布施の織機工場に通っていたとの記録が残っています。
筬通しで糸を受け渡し 綜絖側の経糸ロール 筬側の経糸ロール
コロナウィルス対策のため、郷土館はしばらくお休みとなりました。この機会を利用して、遅れがちだった畑や山林の農作業に邁進しています。今回は、キャベツ,白菜,ホウレンソウなどの冬野菜の最後の収穫をしたり、とうが立ってきた小松菜やチンゲンサイなどを抜いたりしました。冬野菜は収穫するか処分です。
畑に残ったホウレンソウや白菜などの冬野菜を収穫
まずは畑に残った数株のキャベツを全て収穫しました。晩秋に苗を植えたので小さ目のキャベツです。4個ほど収穫して、明日から調理して食べる予定です。続いて白菜を収穫しました。畑に残った白菜の芯を見ると、小さなとうが出ていました。このまま畑に放置すると花が咲きます。2~3個収穫して、残りは全て抜いて処分しました。
畑に残るキャベツ収穫 小さ目のキャベツ 白菜は収穫か処分
最後にホウレンソウを収穫しました。どれも見事に育っており、数株分を根ごと抜いて、枯れた葉や赤い根を取り除きました。冬に育ったホウレンソウは肉厚です。さっそく夕飯のお汁や朝食に使おうと思います。チンゲンサイなどはこの時期になるととうが立ちますが、ホウレンソウはとうが立つのがもう少し後です。そのため、ホウレンソウは、冬と春の切り替え時の貴重な葉物野菜でしょうか。
ホウレンソウ、枯葉や根を除去 早速、夕飯のお汁に
今回収穫したり処分した冬野菜の隣に麦畑が広がっています。麦の種類は紫大麦とバスタ用小麦です。麦は肥料を与えすぎると倒れやすくなります。そのため肥料を押さえています。2月と比べて背が伸びました。これからどんどん背が伸びて、来月下旬には穂が出てきます。そして初夏、麦刈りをしたり脱穀します。
向こう1列は紫大麦、手前2列はパスタ用小麦
1月に小型の室内温室を入手しました。そして、試しにビオラの種まきをしました。すると、今月初めにそれなりの苗に育ちました。つぼみが付いていないので、どんな色の花が咲くかまだ分かりません。そこで、花壇に植えてみることにしました。ただ、いきなり花壇に植えても寒さで枯れるかもしれません。それなりの対策をして移植しました。
種まき後1ヶ月半、育ったビオラの苗
ビエラの苗を植える位置は、去年から決めていました。ポットから優しく苗を抜いて植えました。その次に、冬ならではのことですが、苗の上に笹の葉を何束か掛けました。霜対策のためです。1週間ほどすれば苗は冬の気候に慣れると思います。苗が元気のようであれば、掛けた笹の葉を取り除きます。さあ、どんな色で花を咲かせてくれるでしょうか、楽しみです。
ボットから抜いたビオラの苗 苗の上に笹の葉を掛ける
桜土手を土穂石川沿いに海側に向かって歩きました。しばらく歩くと、今は通れない旭橋が見えてきました。この橋、最初は木造だったそうです。その橋を作った方々のうちの一人は私の母方曽祖父の兄とのことです。その兄は伊保庄に住んでおり、伊保庄の塩田を経営しており羽振りがよかったそうです。ところが、橋を架けて渡船の経営妨害をしたとのことで訴えられ、何と刑務所に入ったそうです。しかし、橋を架けたことで感謝され刑務所内に鯛や酒などが贈られたとの逸話が残っています。その兄「奥原松五郎」は、黒島に建つ石碑に名前が刻まれています。
かつては塩田内の運河に架かっていた天津橋
旭橋のすぐ傍の堤防は何故だか引っ込んでいます。この引っ込みは、かつての運河の跡なのです。この引っ込みの幅で、運河が胡神社・柳井塩田会所まで続いていました。その運河に天津橋が架かっていたのです。運河は埋め立てられ、数年前まで天津橋だけが残っていました。その天津橋は今、スタジアム傍に移築されています。
通行不可の旭橋 運河跡の引っ込み 土穂石防潮水門
旭橋と運河跡を見学し終わると、そのまま桜土手を歩き続けました。土穂石防潮水門を過ぎてさらに歩くと、グランドゴルフ練習場に出ました。ここで道を変えてビジコム柳井スタジアム方面に向かいました。そして、スタジアムの北側に移築された天津橋を見学しました。堂々たる石造りの橋です。橋脚が無いため幽霊橋とも言われたとか。せり出し式で掛けられたため橋脚が無いのです。運河を船が自由に通航できるように、橋脚を必要としないその工法で石橋を架けたのです。
スタジアム北に移築された天津橋 防潮堤をぐるりと散策
天津橋を見学し終わると、昼食休憩にしました。風が思いのほか強かったため、スタジアム近くの屋根下で昼食休憩を取りました。休憩が終わった頃、にわかに晴れてきました。日光の暖かさのありがたさを感じました。再び桜土手に戻り、こんどは周東環境衛生組合清掃センターの焼却場をぐるりと回るように防潮堤傍の道を歩きました。
焼却場の煙突 国道188号線の橋 琴石山を仰ぎ見る
周東環境衛生組合清掃センターの焼却場を過ぎると、車が行き交う国道188号線に出ました。そして、柳井港方面に向かって国道脇の歩道を歩きました。青空の下、南に発電所を北に琴石山を見ながらのんびり歩きました。国道の橋の下を見ると海が見えました。しばらく歩いて、オートレース場跡地に着きました。
今回巡った、柳井市新地の干拓に関わる史跡ルート
昭和22年 新地の塩田、運河、天津橋など
なんとなく春が近づいたことが分かる昨今です。畑ではうっすらと雑草が伸び始めました。今回マルチ周辺の除草を兼ねて畑の整理をしました。マルチの除草で困るのはマルチのきわです。除草のためクワを入れると、マルチを傷つけてしまうことがあります。マルチのきわを注意深く除草後、耕耘機で雑草をうない込みました。そして、分げつした長ネギを1本ずつに分けて植え替えしました。
黒マルチ周辺の除草をした後、耕耘機で耕す
除草したのは主にニンニクを植えている黒マルチと、長ネギを植えている黒マルチです。ニンニクも長ネギもまだまだ背が伸びていませんが、3月終わり頃になると急に背が伸びてきます。と言う事は、雑草も作物以上に背が伸びてきます。雑草との競争に作物が勝つように、今のうちから除草しておきます。3月いっぱいは、このような作業に追われます。
マルチきわの除草 雑草をうない込む 長ネギの植え替え
ひととおり、マルチ周辺の除草と雑草のうない込みが終わると、長ネギの植え替えをしました。長ネギは3~4本に分げつしています。その長ネギを1本ずつに分けて、それぞれを植え替えしました。今はまだ背が低い長ネギですが、春になれば食べることができるほど背が伸びます。
3~4本に分げつした長ネギ 1本ずつに分けた長ネギ
ここ最近の史跡巡りウォーキングは散々です。今回のウォーキングは2月予定だったのですが、雨天で3月に延期になってしまいました。行く予定だった雛祭りなどのイベントと重なりました。そもそも下見ウォーキングも雨で延期になってしまいました。今年は天候に恵まれないウォーキングが続いています。それでも何人もの参加者がいてありがたいことです。今回は柳井市の明治以降の干拓地史跡を巡るウォーキングをしました。ちなみに古開作と呼ばれる干拓地は江戸時代に、新地と呼ばれる干拓地は明治以降に干拓されました。
明治以降の干拓地である新地の土穂石側を散策
JR柳井駅に10:01に集合しました。多くの方はJR田布施駅から電車に乗り、柳井市のお住まいの方は直接JR柳井駅に集合しました。皆さんが集まると、さっそく出発しました。最初、古いレンガ作りの建築物史跡を訪れました。下見では分からなかったこのレンガ作りは、とある鉄工所の溶鉱炉の跡と分かりました。その鉄工所は今、田布施町に移転して今でも操業しています。
集合したJR柳井駅 レンガ作り建築物跡 線路を渡って南浜に
レンガ作りの溶鉱炉跡を見終わると、線路をまたいで南浜に出ました。南浜に出てすぐの場所に南浜大師堂があります。この大師堂の建物をよく見ると、南陽廿七番と刻まれていました。かつては巡礼ルートの一つだったのだと思います。上関半島を巡るように南陽霊場があります。防陽霊場が古開作を巡っていたことを考えると、南陽霊場は防陽霊場が廃れた後に整備されたのではないかと思います。
南浜の南陽廿七霊場 南浜の胡神社と塩田会所鳥居
南浜大師堂を過ぎて、近くにある胡神社と柳井塩田会所跡に行きました。ここは新地の塩田で作られた塩を、製錬したり出荷していた場所ではないかと思います。明治から昭和初期にかけて、塩を積んだたくさんの船が運河を通って行き来していたと想像できます。そして、その船は運河に架かる天津橋の下をくぐっていたのだと思います。
桜土手に向かう 人柱伝説の大歳神社 桜土手を散策
続いて、干拓地跡を横切って土穂石川に向かいました。途中、大歳神社に寄りました。何の変哲もない普通の神社とばかり思っていました。ところが、本殿内に何気なく置かれた板を読むと、江戸時代の古開作に関わる由来が書かれていました。今から400近く前、古開作で堤防決壊などの災難が続いたため人柱を立てたそうです。その時、「おとし」と呼ばれるうら若き乙女が選ばれて人柱になったとの話が書かれていました。その後、古開作を見渡せる場所に大歳神社が建立されたそうです。人柱の場所はいったいどこだったのでしょうか。般若姫伝説と似ています。何度もこの寂れた神社を訪れましたが、初めてその由来を知りました。
今回巡った、柳井市新地の干拓に関わる史跡ルート
いつの間にか、もう3月です。先日干していたジャガイモ(キタアカリ)の種芋を植え付けることにしました。最初、植える予定の畝を耕耘機で何度も往復して丁寧に耕しました。一昨日の雨でやや湿り気がありましたが、乾くのを待っている暇はありません。耕し終わると、種芋を植える溝を平クワで掘りました。
平クワで掘った溝に、ジャガイモの種芋を等間隔で置く
掘った溝に等間隔(30cm)で種芋を置きました。種芋の芽を上に向けて置きましたが、最近は下を向けるようです。ただ、その方法だとジャガイモの切り口が上を向くので、湿った畑では腐るリスクがあります。今回は、昔の方法で芽を上に向けて置きました。ちゃんと芽欠きして土寄せすれば、どちらの方法でも収量は変わらないと思います。もう一種類のジャガイモ(アンデス)の種芋は別の畑に後日植え付けようと思います。
耕耘機で丁寧に耕す 平クワで溝を掘る 植えつけた種芋
続いて種芋と種芋の間に堆肥を置きました。そして、種芋と堆肥の上に平クワで土を被せました。そして、その上から軽く平クワでトントンしておきました。4月になれば、ジャガイモの芽が次々に出てきます。その後は、芽欠き,土寄せ,除草などの作業が次々にあります。そして6月、美味しいジャガイモを収穫できると思います。
種芋と種芋の間に堆肥 種芋と堆肥の上に土を被せる
田布施コットンクラブで糸巻き台を作っていた時、子供の頃に何故だか木片で糸巻きを作っていた事を思い出しました。糸の束から1本の糸を取り出している時によく糸が絡まりました。せっかちな私は、それがが面倒くさくて糸巻きに糸を巻き付けていたように記憶しています。せっかくの機会のですので、何種類か糸巻きを作ってみました。
試作してみた糸巻き、左二つに糸を巻き付け
薄板の糸巻きを作ってみたもう一つの理由に、コットンクラブで懐かしい薄板の糸巻きを見せてもらったことです。子供の頃に見覚えのある糸巻きでした。同じ形のものや変わった形の糸巻きを、仕事の合間を利用して作ってみることにしました。まずは、正方形のもの、正方形ですが角が立ったもの、そして、犬の形をした糸巻きを作ってみることにしました。難しかったのは、どんな形にするかデザインを考える事でした。決まってしまえばあとは楽です。
ハート型に切り抜く ハート型を貼り付け 着色後に剥がす
デザインが大切であることを感じたのは、先日のコットンクラブで猫の形をした糸巻き案をみなさんに見せた時のことでした。見せると、亀ではないか、ムササビではないかとの散々な感想でした。これにはまいりました。そのため、猫はやめて犬に変更しました。
犬を描いて糸鋸で切り抜く 切り抜き後にやすりで磨く
単純な正方形の糸巻きは、愉快さが足りません。ハートの形を残すように着色してみました。今回は3種類の糸巻きを試作してみました。今度は、ラジオのトロイダルコア芯形の糸巻きや、不評だった猫型糸巻きの改良型、ムササビ型糸巻きなどを作ってみようと思います。
紙に製図をする 着色して完成 検討中のムササビ案