来月か再来月、羊たちの毛刈りが始まります。原毛を手に入れた後、洗浄、カーディング、染色・・・と忙しい日々が始まります。去年の春に手に入れた原毛は、ほとんどを織物にしました。その織りの感覚を忘れないように、我家にあった毛糸を使って襟巻きを作ってみようと思います。コットンクラブの皆さんはそれぞれに織物をしたりしていましたが、私は久しぶりに整経台を使って経糸を作ることにしました。経糸は織機に織り幅に合わせて100本位にしようと思います。
整経台を使って経糸を作る作業、萌黄色の毛糸
使用する織機は先日中古で手に入れたものです。所々に水が濡れた跡がありましたが、織機として使えそうです。私は経糸作りに専念しましたが、私以外の方々は、織機で織物をしたりしていました。しばらくして、いつものようにおやつタイムになると、皆さんと談笑しました。5月頃にみなさんを田布施農工高校の畜舎での羊の毛刈りに誘ってみようかと思っています。高校生が毛刈りしている合間、少しばかり体験してもらおうかと思っています。
のんびり楽しく織物 談笑しつつ織物 楽しいおやつタイム
風車がゴーゴーと耳障りな暗い竹林を抜けると、青空が広がる日向平の棚田に出ました。最初は風車の音が耳障りでしたが、棚田をどんどん下っていると風車の音がだんだん聞こえなくなりました。少しばかりお昼を過ぎたため、棚田を見下ろしながら道脇に腰を下ろして昼食休憩にしました。季節柄、誰も田んぼを耕している方がおらず、静かに風景を楽しむことができました。見渡すと、かなりの田んぼが放置されていました。そして、イノシシの掘った穴ぼこがあちこちで目立ちました。
棚田を少しばかり降りた道脇で昼食休憩
私がこの棚田を知ったのは偶然のことでした。10年位前の事でしょうか、この付近を一人で散策していた6月頃のことでした。棚田の一角にある田んぼで、親子が水を入れた田んぼの耕運をしていました。子供は小学生高学年のようでした。この棚田を知って欲しくて、あるいはこの棚田を伝えたくて子供達を連れてきたのではないかと思います。この子供達、今や二十歳を過ぎていると思われます。この平生町に住んでいるのでしょうか。それとも就職などで都会に住んでいるのでしょうか。
棚田を見ながら散策 遠くに田布施の街並み 道端に山菜を発見
広大な棚田を見ながら道を下っていると、今でも綺麗に手入れされた田んぼがありました。農閑期の今でも草を刈り取るなど管理しているのでしょう。今でも使われている農作業小屋が散見されました。しばらく棚田を下っていると、道から見上げた山に神社跡がありました。その神社跡から200m位下った場所に、以前は日向平棚田の看板が立っていました。しかし、どこを探してもありませんでした。棚田を維持することが難しくなったためなのでしょうか。
日向平棚田の看板は何処に 里山風情満点の日向平集落
日向平棚田からどんどん道を下って、日向平の集落を通りました。日向平集落の反対側に影平の集落がありますが、今回は通りませんでした。日向平集落は山の西側に、影平集落は向かい側の山の東側にあるようです。そのため、朝は影平に日がよく当たり、午後からは日向平に日がよく射すのではないかと思います。日向平集落を通過後、大野中心部を通り平生町街に向かって歩きました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。
平生町大野の長谷~日向平方面史跡巡り下見コース
一ヶ月ほど前に極安の中古ハーベスタを購入しました。その後快適に動いていました。ところが、ある日エンジンを動かしてから脱穀クラッチレバーを入れました。すると突然、キュルキュルと音がして脱穀胴が動かなくなりました。音からするとベルトが擦れている音です。エンジンに過負荷がかからないように、すぐに脱穀クラッチレバーを戻しました。音から判断してベルトが緩んだのではないかと思いました。どのベルトが悪いのか最初分かりませんでしたが、このさい、すべてのベルトを交換することにしました。
カバーを外して脱穀ベルトを確認、ボロボロのベルト
農機具販売店に行って、このハーベスタの規格に合ったベルトを購入しました。ベルトは三種類あり、走行クラッチベルト、脱穀クラッチベルト、そして脱穀ベルトです。走行クラッチベルトはキャタピラを動かすベルトです。脱穀クラッチベルトは脱穀動作をするためのベルトです。脱穀ベルトは脱穀胴などを動かすベルトで、とても長いベルトです。なお、走行には問題ないので、走行クラッチベルトは後回しで良さそうです。
ベルトカバー取外し ネジとナット同時回転 グラインダーで削り取る
注文しておいたベルトが届いたので、さっそくベルト交換作業に入りました。まずは脱穀ベルトを保護するカバーを取り外すことにしました。ところが、ネジの一ヵ所がいくら回しても取れません。ネジとナットが同時に回る現象です。カバー内側のナットの溶接が取れたのでしょう。これはどうしようもありません。仕方なくグラインダーでネジ頭を削り取りました。すると、ポロリとネジが外れました。ベルトカバーを外すと、醜いボロボロのベルトが姿を現しました。予測したとおり限界に達したベルトでした。
カバーを外してベルトを確認 ボロボロになったベルト
次に、脱穀クラッチベルトカバーを外しました。すると、脱穀クラッチベルトが見えました。脱穀ベルトのようにボロボロではありませんでしたが、ずいぶんと伸びているようです。これも交換することにしました。このハーベスタは極安(三本の新品ベルトとほぼ同価格)でした。やはり極安中古には訳があるのですね。しかし、自分でベルト交換できそうなので私にとっては良かったです。
走行クラッチベルトカバー カバーを外す 古いベルトを外す
3月は平生町大野~日向平山麓周辺の史跡を巡ることにしました。そのための下見ウォーキングに行ってきました。数年前に調査した時、山麓の一ヵ所は藪や竹林がひどくて通れませんでした。そのため今回、山鎌やノコギリを持って行きました。そして、30分位暗い竹林を切り開きながら通ることを想定していました。しかし、どなたかが切り開いたようでした。足場は悪かったものの、山鎌やノコギリを使わずに通ることができました。本番ウォーキングをこのコースに決めることができてほっとしました。
山鎌やノコギリで伐採する必要がなかった暗い竹林
平生町を10:00にスタートして少しすると、大野の横幹道路俊成記念碑が見えてきました。この石碑前をしばらく進むと長谷地区に入りました。長谷地区に入ってすぐ、並んだお地蔵様が迎えてくれました。その昔、この長谷地区の往還道は伊保庄に通じる県道でした。しかし、今や誰も通らなくなったため道は草木に覆われてしました。その県道が草木で消えた所で道を右に曲がりました。
横幹道路俊成記念碑 並んだお地蔵様 吹越遺跡に向かう
坂道を40分位登ったところに吹越遺跡の掲示がありました。この遺跡は弥生時代後期の高地性集落遺跡です。吉野ヶ里遺跡の環濠のように、集落の周りをぐるりと環濠が囲んでいたとのこと。すべてを発掘したわけではないため、環濠集落の規模は分からないようです。鉄器が発掘されたようで、戦いに備えた環濠集落だったのではないでしょうか。弥生時代後期はこの田布施、平生でも戦いがあったのでしょう。勢力争いの結果、その後の大和政権へと収斂していったと考えられます。
尾根道近くの吹越遺跡掲示 暗い竹藪の中に分け入る
吹越遺跡の解説をすると尾根道に出ました。尾根道をしばらく歩くと、木々の間から畜舎跡が見えました。そして、その畜舎跡に続くうっそうとした竹藪の中に分け入りました。どなたかが伐採したのでしょう、山鎌やノコギリを使わなくてもぎりぎり通ることができました。当初は、伐採しながら通ることを覚悟していました。風車のゴーゴー響く音を聞きながら、暗闇の竹林をなんとか通り抜けました。すると、視界が広がる日向平の棚田に出ました。
平生町大野の長谷~日向平方面史跡巡り下見コース
モーター駆動式の糸紡ぎ機を修理・調整していますが、糸巻きの動きがやや鈍いような気がしました。糸巻きの外側でぐるぐる回って毛糸に撚りをかける部品がありました。その部品よりわずかに遅れて糸巻きは回ります。その遅れによって撚りがかかり、かつ撚りがかかった毛糸を糸巻きに巻きつけます。その動きがスムーズでないと、綺麗な撚りがかかりません。それをコントロールするのが糸巻きに架かった制動糸です。それが、この糸巻きにはタコ糸が使われていました。タコ糸では制動が強めに出ると思われます。その制動糸を交換しました。
糸巻きに架かった制動糸を交換後、糸紡ぎを試行
ちなみに、私が持っている足踏み紡ぎ機の糸巻きに使われている制動糸はビニール線です。ビニールの方が抵抗が低いため制動値を滑らかに変えることができそうです。そのため、たまたま家にあった黒いビニール線に交換しました。面白いことに、タコ糸の制動糸を取り外していると、元々の制動糸がビニールだったことが分かりました。何故、タコ糸に変更したのか分かりません。制動糸の張り具合を調整するつまみには、わざわざビニール糸を通す細穴が開けてあるのですが。オリジナルに合わせてビニール線に戻しました。
制御用黒ビニール線 つまみの細穴に通す 糸巻き部をしっかり固定
次に、糸巻き部のグラグラをちゃんと固定しました。グラグラしていると、モーターの回転を糸巻き部にちゃんと伝達できません。ネジ二個を使って強く固定しました。ところで、モーターに繋がる電線と足踏みペダルに繋がる電線の剥離は今回対策できませんでした。理由は、電線がモールド一体加工してあり交換できないためです。黄色の絶縁テープで応急処置しました。上手に使えば5年は持つと思います。続いて、糸巻き部に吸い込まれた糸を取り戻す治具を、針金を曲げて作り糸でぶら下げておきました。
最後に、確認のため糸紡ぎをしてみました。慣れれば足踏みよりも楽に集中して糸紡ぎできるのではないかと思います。
黄色の絶縁テープで応急処置 吸い込まれた糸を取り戻す治具
祇園山西麓の荒神社を見終わると、祇園山尾根東端にある祇園社に向かいました。下見の時と同様にたくさんの落葉が道に落ちていました。この道は尾根の西側にある貯水槽を点検するための道路のようです。しかし、最近点検していないのか、大きな木が倒れるように道をふさいでいました。祇園山頂上は昔から墓所として使われていたようですが、荒れたお墓がたくさんありました。お年寄りにとって山頂までお墓参りするのは困難なのでしょう。そのため、ひと気がますます減る一方の墓所だと思います。墓所を通り抜けると祇園社に到着しました。
毘沙門堂前で談笑しながら補水及びおやつ休憩
祇園社から東を見下ろすと、田布施農工高校の野球部グラウンドがありました。その向こうには熊毛南高校の校舎が見えました。古代において、この祇園山前には海が広がっていました。海には魚影がたくさんの見えたに違いありません。そのため、船に魚影の場所を示していた魚見があったかも知れません。祇園山を下りると、7年前まであった三宅薬師堂跡に行きました。
祇園山の落葉道を登る 祇園社に到着 三宅薬師堂跡前の寺跡
三宅薬師堂跡を見終わると、すぐ近くのお寺の跡を遠くから見学しました。明治初年の廃仏希釈により廃寺となったお寺です。この廃寺が三宅薬師堂跡の由来です。廃寺跡にはそれを思わせるお墓や池跡が残っています。続いて、毘沙門堂に向かいました。
毘沙門堂に到着 麻郷団地近くのお地蔵様
毘沙門堂に着くと、丘の上のある広場で小休止しました。ぽかぽか陽気の中、補水したりおやつを食べたりして談笑しました。毘沙門堂を出ると、麻郷公民館に向かって戻りました。戻る途中、麻郷団地入口近くの道脇にあるお地蔵様を見ました。このお地蔵様が今回最後の史跡でした。参加された方々、お疲れ様でした。
来月は平生町長谷山腹で発掘された弥生時代の高地集落遺跡である吹越遺跡を訪れます。その後、巨大な風車下の竹林を通り抜け、広々とした棚田を下ります。
田布施町麻郷北部の史跡巡りコース
修繕中のモーター駆動式の糸紡ぎ機、調べてみると経年劣化や経年摩耗があちこちでありました。最初に直したのは糸車の導き糸でした。糸車の心棒に巻きついた導き糸を解いていくと、糸の繊維が傷んでほつれていました。長い間使っているうちに繊維が傷んだのでしょう。新しく黄色の糸を導き糸にしました。糸が滑らないように、巻き結びで心棒に硬く縛っておきました。
黄色の糸を導き糸として心棒に縛り付ける
続いて、問題のモーター周りの修繕をしました。まずは、モーターから凸ソケットを外して二つのネジを取り外してチェックしました。すると、凸ソケットに繋がる電線の根元の被覆が破れていました。そのため、100Vに繋がる電線が露出していました。とても危険です。続いて、足踏みペダルに繋がる電線をチェックしました。これまた、電線の根元の被覆が破れていました。応急措置として赤いテープで巻いてありました。これまた危険です。電線を新しく更新する修繕が必要です。
凸ソケットを取り外し 電線被覆の破れ1 電線被覆の破れ2
分解した凸ソケット内部は特に問題ありませんでした。ところが、モーターの回転数をコントロールする足踏みペダル内部は問題がありました。抵抗線が何重にも巻かれていましたが、その終端部が少し焦げていました。ペダルを足で押したときに、最初に当たる抵抗線終端部に火花が飛ぶからではないかと思います。抵抗線の抵抗を測定すると200オームでした。抵抗線終端部には瞬間的に100V / 200オーム = 0.5Aの電流が流れるようです。モーターが動き始めると逆起電力によって0.5A以下の電流に収まるのではないでしょうか。抵抗線の焦げた箇所を磨いて足踏みペダルの修繕は終わりです。続いて、モーターの回転を糸巻きに伝える糸も傷んでいたため、新しい糸に更新しておきました。
ペダル内部の焦げた抵抗線部 モーターの回転を伝える糸
去年の今頃、ナスの種まきをして育苗を開始しました。そして、育苗した苗を皆さんにお配りしました。好評のようでしたので、今年はナスに加えてピーマンを育苗しようと思います。ナスを育苗し始めたきっかけは、郷土館で花ナスの苗を配った時のことです。ナスの苗だと思ってもらいに来た方が、花ナスだと聞いてがっかりされたことです。花ナスは観賞用のナスで食べることはできません。食べるナスの苗を欲しがる方が多いことに初めて気が付きました。去年育苗したナスの苗は、我家用を除いてすべてもらわれていきました。
3 x 4の小さな苗箱に、丁寧にピンセットで播種
ナスの品種は、去年と同じ普通の千両ナスです。ピーマンの品種は実が大きなタイプです。両方ともに柳井園芸で購入した種です。ともに3 x 4の苗箱に種をまきました。ピンセットで種を摘まんで、一つの箱に二個種まきをしました。つまり、ナスとピーマン共に、3 x 4 x 2 =24個の芽が出ます。ナスは去年もらわれた実績がありますが、ピーマンはどの程度もらわれるでしょうか。今年の実績で来年の育苗数を増減しようと思います。
種をまく穴を開ける ピンセットで種を摘まむ 苗箱に播種(2個/箱)
3月はまだ寒いため、日差しが当たる場所に置いた育苗用室内小型温室で育てます。発芽後3月下旬まで室内で育て、4月上旬に大きなポットに移植します。その後さらに大きく育てて、4月下旬頃から皆さんに差し上げようと思います。すでに、数人の方が苗を欲しいとのこと。苗作りは面倒な作業ですが、皆さんに喜んでもらえれば嬉しい限りです。
慎重に種まき作業 育苗用の室内小型温室
先月下旬、田布施町麻郷北部の史跡巡りに行ってきました。下見のコースとはだいぶ違ったコースにしました。昼食休憩する場所とトイレを考慮した結果です。麻郷公民館に10:00に集合してスタートしました。最初に行く史跡は、2km位先にある五人力の清三郎石碑です。麻郷団地内を歩き、旭地区を通り抜け、新川地区に向かいました。その史跡は、新川地区の田布施川堤防傍にあります。到着すると、その石碑の由来などを説明後、かつて尼さんが住んでいた新川寮に向かいました。
見晴らしが良く日差しがまぶしい尾迫観音堂で昼食休憩
昭和20年以前、地域の庵,寮,寺などに尼さんが住んでいました。その尼さんは、各地域のお寺に関わるしきたりをお手伝いをしていたようです。盆暮れに各家を訪れては弔いをして、そのお礼で生活していたとのお話を聞いたことがあります。また庵,寮,寺に付属していた田んぼもあったようです。ところが、戦時中の食糧難などで弔いどころではなくなりました。人々の生活が苦しくなり、尼さんに施しをする余裕が無くなったのでしょう。そのため、次々と尼さんがいなくなりました。田布施町最期の尼さんは瑞松庵に住んでいました。
五人力の清三郎石碑 元尼さん住居の新川寮 江戸前期創建浮島神社
新川寮で小休止すると、すぐ近くにある浮島神社に行きました。子供の頃、花火大会や出店などでとても賑やかでした。ひね切明神とも呼ばれ、かつては若い女性のお尻をつねる奇祭がありました。この奇祭を再興すれば、きっとニュースになるでしょう。ちなみに、お尻をひねきられた女性は縁づきが良くなるとのこと。女性にもメリットがあると思われた奇祭でした。
もうすぐ稲荷神社 祇園山西側麓の荒神社
続いて、尾迫観音堂に向かいました。観音堂では30分位の昼食休憩をとりました。暖かい日差しを浴びながらの楽しい休憩でした。また、丘の上から望む里山風景も楽しみました。休憩が終わると、江戸時代創建の稲荷神社に向かいました。そして、丘から降りて祇園山西側麓の荒神社に行きました。
田布施町麻郷北部の史跡巡りコース
先月購入して浴光催芽中だった種ジャガイモをようやく植え付けることができました。植え付けたジャガイモ品種はとうや,アンデスレット,ノーザンルビー,そしてアンデスです。大き目のジャガイモは二つに切り分けましたが、浴光催芽の期間が長すぎたのか萎びてしまったものがありました。最初の作業は、種ジャガイモを植え付ける畝作りです。前日雨が降りましたので、畑の土はやや粘り気がありました。農作業できる日がそうないため、かまわず耕運機で耕して畝を作りました。
種ジャガイモを植え付ける畝を作るため。耕運機で丁寧に耕運
耕運後にレーキで畝の形を整えます。土寄せするため畝は低いままとしました。畝の両端に巻尺を張って、各種ジャガイモを50cmの間隔で植え付けました。軽く移植ごてで穴を掘って、その穴に種ジャガイモを置きました。すべての種ジャガイモを置くと、平クワで土を被せました。4月には芽が出ると思います。芽が伸びてくると、そのたびに最低2回は土寄せします。今年も美味しいジャガイモを収穫できるでしょうか。
穴を掘って種芋を置く 50cm間隔で次々に植え付け
日向ぼっこしながら冠梅園で休憩しました。休憩を終えると、冠梅園を降りてコバルトラインに沿って歩きました。風がまだ冷たかったのですが、上り坂を登っていると体がポカポカしてきました。ゴルフ練習場を過ぎてしばらくすると、タイワンフウの林の中を歩きました。枝が落ちた幹が目のように見えます。そのため、夜にここを歩くとたくさんの目に囲まれたように感じて怖いかも知れません。タイワンフウの林を抜けた峠に、お地蔵様12が見えてきました。ここからは、誰も歩かない寂しい山道に入りました。
冠梅園頂上から見下ろした周防灘
その山道は、室積と岩田方面を結んだ古道だったのではないでしょうか。通りすがりの旅人の安寧を願うため、その古道の峠にお地蔵様12が安置されたのだと思います。歩いていると、段々のような地形が山道の山裾にありました。食糧難の時代には田んぼや畑が営まれたようです。
綺麗なしだれ梅 タイワンフウの林 峠のお地蔵様12
しばらく歩いていると、「自然観察道 はぎの平」と掲示された道しるべが立っていました。この板の方向に山道を分け入ると、コバルトライン一番の景色を望めるはぎの平に行けるようです。山道は少しずつ広くなって、舗装された道路に出ました。千坊台団地に着いたようです。
矢印の方向に「はぎの平」 室積中学校を通過
千坊台団地をかすめるように歩きました。光市には、お地蔵さんが何体もほぼ規則正しい間隔で安置された古道がある一方、千坊台団地のように碁盤の目のように住居が建てられた新しい道路があります。その新しい道路には、お地蔵様は安置されていません。私は、お地蔵様やお堂がある古道の方が何となく好きです。幼児の頃、祖母に連れられてお地蔵様やお堂やお寺によくお参りしたことがあるからでしょうか。
戸仲,冠梅園周辺の史跡調査で歩いたルート
自宅脇に生える笹を使って果物籠を試作しました。しかし、失敗作となりました。改めて、使える笹の種類を選ぶことと笹ひごを正確に作ることの大切さが分かりました。笹ひごはなるべく薄くしなければなりません。そして、どのひごも同じ薄さにして、かつ幅も同じにしなければなりません。また、節の部分を強く曲げてはいけないことが分かりました。節の部分は、曲がりに弱く折れてしまうのです。そんなこんなで失敗作となってしまった果物籠となりました。恥ずかしながら、見栄えさえ気にしなければなんとか使えそうですが。
失敗作となった果物籠に果物を入れてみる
最初は正確な六目を作ることから始めますが、籠を上に立ち上げる時には六辺の角を五目にします。そして、長い笹ひごを輪になるようにはめ込みます。一度立ち上がると、再び六目ばかりになります。実際のところ、不正確な笹ひごのため途中から六角形が乱れてしまいました。さらに、最終段階の縁止めも形が崩れてしまいました。
六目籠の立ち上げ開始 乱れた円周の縁止め部
出来上がった果物籠を反省しました。まずは、笹ひごの節が曲がりに耐え切れず折れた箇所があったことです。また、笹ひごの曲がりを皮の内側にすべきでした。当然のことながら、すべての笹ひごをより薄く同じ薄さに、同じ幅にしなければなりません。そして、小さな籠にはするにはより幅の小さな笹ひごにしなければなりません。10年位前に、東京で六目籠を作っていた古老は、幅の狭い笹ひごを器用にすいすいと作っていました。当時手伝いしたとは言え、その古老の器用さには当分近づけません。
折れた節の部分 折れ曲がった笹ひご 余分な端っこを切断
私が持っている糸紡ぎ機は足踏み式です。足踏みしながら糸巻を回転させて糸を紡ぎます。ところで、モーターで糸車を回転させる糸紡ぎ機があるのですね。友達から依頼されて、モーター駆動式の糸紡ぎ機を修理・調整しています。ざっと見て、大きく破損している箇所はないようです。電動ミシンのモーターを流用しているようでした。ただ、電線が傷んでいるため交換する必要があります。面白いことに、糸車とモーターを固定している板は、まな板を使っているようにみえます。どなたかが作った糸紡ぎのようです。あちこち旅をして、修繕のために私のところにやって来たようです。
最初、湿らせた布で糸紡ぎ機全体を拭き清掃
最初、湿らせた布で全体を拭き清掃してから各部の点検をしました。紡いだ糸を吸い込む力を調整する木ネジは正常でした。また、モーターの回転を糸車の回転に伝える糸の張り具合を調整する木ネジも正常でした。糸の場所を変えることによって、糸車を低速回転と高速回転に切り変えることができます。現在は高速に設定してありました。続いて、問題ありのモーター周辺の点検に入りました。
糸の吸い込み調整ネジ 張り具合調整ネジ 問題ありのモーター
モーター周辺で問題が二つありました。一つ目は、モーターに電源(100V)を供給するコネクタです。コネクタに繋がる電線が傷んでいるようにみえます。二つ目は、モーターの回転をコントロールする足踏みレバーです。破線したのか、漏電しないように赤いテープが巻いてありました。以上を考えて、モーター周りの電線を全て交換することにしました。
コネクタに繋がる傷んだ電線 漏電防止テープ(足踏みレバー)
岡庄自治会館前の細道を通って冠八幡宮に行きました。小さな石の鳥居の下をくぐってすぐの所に光名木百選のウラジロガシの巨木が立っていました。この大きさからすると数百年は経っていると思われます。その巨木を見上げると、空を覆いつくすように神々しく枝がうねっていました。その巨木の下を通り過ぎると、冠八幡宮の拝殿前に出ました。
椅子に座って、白や桃色の梅を鑑賞しながら小休止
冠八幡宮に来たのは2月中旬でした。すべての梅は咲いていませんでした。そのためか、拝殿前を歩く方も少なく、歩く時の砂利音と風の音しか聞こえないほど静かでした。参道を見下ろすと、真っ赤な幟がはためいていました。人が少ないおかげで、すべての梅の花をのんびりと愛でることができました。
名木ウラジロガシ 冠八幡宮拝殿 参道と真っ赤な幟
冠八幡宮を参拝すると、冠梅園の小山をゆっくり登りました。人混みがないため一本一本の梅を鑑賞することができました。大勢の方々が梅を鑑賞するために来る日を避けると、こんなにものんびりと梅を鑑賞できるんですね。ほとんどの梅は二分咲きでしたが、満開の梅もありました。
全ての花が満開の紅梅 満開に近い白梅
冠梅園の頂上に東屋がありました。誰も座っていなかったため、贅沢なことに私一人が占領して昼食休憩を取りました。海側を見ると工場群が見え、その向こうの海には島が見えました。また、山側を見ると千坊山が見えました。なお、東屋は山の頂上で風が吹きます。おまけに屋根で陰になるため、じきに寒くなりました。そのため、風が吹かない東側斜面の屋根がない椅子に座り直しました。そして、日向ぼっこしながらのんびりと梅の花を観賞しながら休憩しました。
戸仲,冠梅園周辺の史跡調査で歩いたルート
先月からアケビの種まきをしたり、蔓を挿し木したりしています。余った蔓には芽が出ているものもあり、そのまま放置すると枯れてしまいます。その蔓に申し訳ない気がして、ポットに挿し木してみることにしました。ところが、ポットに土を入れようとしたら移植ごてを郷土館に忘れてしまいました。買うのはもったいないため、竹で作ることにしました。私が子供の頃は、竹で移植ごてなどの小道具をいろいろ作っていました。何十年ぶりに作ることにしました。
作った竹製移植ごてでポットに土を入れる
手ごろな大きさの竹を切り出しました。そして、節を中心にスコップ部分と手で握る柄の部分になるように加工しました使った道具は、ノコギリと鉈です。最初に柄の部分を作りました。握りやすいように幅と長さを決めました。柄で出来上がると、スコップ部分を作りました。ノコギリで節から先端にかけて斜めに切りました。切り終わると、土をすくいやすいように先端を鉈で加工しました。
柄の部分を鉈で加工 スコップ部分を加工 次に鉈で先端を加工
出来上がった移植ごてを使ってみました。やや小さかったですが、土をちゃんとすくえるし柄は握りやすかったです。早速、ポットに土を入れました。その後、アケビの蔓を等間隔で切ってポットに差し込みました。そして、庭に穴を掘ってポットの縁が少し出るくらいに埋めました。何割の蔓から芽がでるでしょうか。
完成した小さめの移植ごて ポットに土を入れアケビ蔓を刺す