弥山寺はとても景色が良いので、付近を少し散策しました。一番目につくのは大きな日清戦役碑です。新生明治日本の初めての対外戦争でした。今でこそ、日清戦争は当たり前のように勝ったと思われています。しかし、当時の国力や軍備からすると楽な戦争ではなかったはずです。中華世界に君臨する清からすると、日本など容易にひねりつぶせると思ったに違いありません。その清に勝ったことは、当時の明治政府に多大な自信を与えたと思います。
弥山寺を振り返りながら、緩やかな下り坂
日清戦争は当時とても注目されたようで、あちこちに亡くなった方などの顕彰碑があります。この近くでは、田布施町 小行司 小野太一顕彰碑や柳井市伊陸にも日清戦争顕彰碑があります。さて、日清戦役碑を見終わると、少し歩いて鐘撞堂まで行ってみました。とても立派な鐘撞堂です。大みそかには柳井街中に鐘の音が響くのではないかと思います。弥山寺から西方面に下る道を降りました。途中、六人地蔵が安置されていました。
立派な日清戦役碑 弥山寺からの柳井市街 六人地蔵
弥山寺からの下りは、登りとは逆に緩やかなスロープを描いていました。足を痛めている私にはとてもやさしい下り坂でした。弥山寺を何度も振り返りながら、周りの自然を楽しみながら下りました。しばらく下っていると、車が行きかう賑やかな通りに出ました。しばらく西に向かって歩くと、尾の上地蔵尊が安置されている緩い峠に着きました。このまま南に向かうとに街並み資料館や白壁の街に行きます。
尾の上地蔵尊 草木が繁茂の地蔵3と祠
尾の上地蔵尊は付近の方々に大事にされているようです。綺麗な花が活けてありました。また、隅々まで綺麗に掃除されていました。すぐそばの石柱に、安置された年が元文五年(1740年) と刻まれていました。尾の上村の時代に安置されたようです。この場所は、馬皿や日積と柳井街を結ぶ街道の一つだったのでしよう。その昔、この峠を越えると柳井街はすぐそこだったのです。
続いて、地蔵3と祠に行こうとしました。しかし、草木が繁茂しすぎてとても行くことができませんでした。残念ながら、崖の上からでしか地蔵3と祠を見ることができませんでした。
柳井市柳北地区の史跡散策コース