石井ダムパークで少しばかり休息を取った後、公園内を少しばかり散策しました。すると、水が流れ込んでいるにも関わらず、動かず壊れた水車がありました。この水車は石井ダムが完成した時には動いていたに違いありません。9年前にこのダムを訪れた時にはもしかして動いていたかも知れません。水車の次に丸く浅い池を訪れました。池には無数のオタマジャクシが泳いでいました。公園内を散策し終わると石井ダムから馬皿に向けて道を下りました。なお、公園の北にある丘のような山に神社などがあるようですが、今回は時間がないため訪れませんでした。
上馬皿バス停留所すぐそばの本尊十一面観世音菩薩と小さなお地蔵様
石井ダムからしばらく歩いていると、柳北小学校跡地がありました。昭和39年に今の場所に移動したとのこと。校舎があったことを思わせるものは何もなく、石垣や広場だけが残っていました。馬皿地区から人がいなくなり、今の場所の方が子供が登校しやすいのでしょう。ちなみに、私の母親は二十歳の頃に柳北小で教諭をしていました。昭和20当時年頃に大雨で柳井川が氾濫したそうで、腰まで浸かり大切な写真や衣服を流されたそうです。
石井ダムの堰堤 壊れて動かない水車 柳北小の跡地
柳北小学校跡地を出ると、上馬皿バス停留所に向かいました。ここには本尊十一面観世音菩薩と小さなお地蔵様があります。少し前まで、ここは伊陸方面と日積方面へバスが通っていました。今は伊陸方面へのバスだけが通っています。バスの時刻表を見ると1本/1時間バスが通っています。
山から下ろした美人地蔵 美人地蔵を大切に管理
上馬皿バス停留所が少しばかり登った場所に美人地蔵があります。江戸時代に馬から落ちたお常という美人を弔うお地蔵様だそうです。美人地蔵を管理している方から、こんなお話をお聞きしました。菓子之季の工場にある琴名水地蔵が安置される前、この美人地蔵を菓子之季に安置する話があったそうです。そこで、周防大島にある有名な祈祷所に行って美人地蔵の意向を聞いたそうです。すると、この美人地蔵が移りなくないとのお告げがあったそうです。そのため、今の場所にずっと安置され続けているそうです。このお地蔵様に限らず、お告げの話は聞いたことがあります。祈祷を信じた時代があったのですね。美人地蔵を見学し終わると、ひたすらスタート地点まで戻りました。※スタート地点に戻ると、とんでもない試練が待ち受けていました。車がピクリとも動かないのです。いやあ、まいりました。・・・・私への戒めと考えることにしました。
史跡散策をした柳井市馬皿周辺ルート