2年ほど前に中断していたトランジスタラジオの修理を再開しました。中断していた理由は、コロナ惨禍で東京秋葉原に行けないことが原因です。秋葉原に行けないとそのスイッチ部品を購入できないのです。
去年コロナの合間をみて秋葉原に行ってみましたが、探していたスイッチ部品はもう製造中止でした。秋葉原の裏通りなど探してみましたがありませんでした。そのため、分解修理したスイッチを再利用するしか手立てがなくなりました。
分解修理した製造中止の2接点4回路スイッチ
今回は分解修理したスイッチの接点が治っているかチェックしました。チェック方法は単純です。接点にテスターを当てて導通するかどうかです。導通するとブザー音が出ます。ただ、接点形状が複雑なため正しい接点の導通表を作らないといけないことに気が付きました。部品が製造中止だと、その部品そのものを修理までしなればなりません。このラジオの修理にはまだまだ時間がかかりそうです。
導通するとブザー音が出るテスター 接点にテスター棒の先端を当てて検査
やっとの思いで、銭壺山の尾根道にたどり着きました。その後は下見時と同じような快適なハイキングでした。春の日差しは暖かく、歩いていると汗ばむほどです。尾根道をそのまま歩いて銭壺山頂上に向かいました。この銭壺山、この一年の間に四回も登頂しました。しかも四回全て歩いての登りです。二回は由宇から、そして二回は日積からです。歩いて四回も銭壺山に登る人はそういないと思います。次に登るのは何年後のことでしょうか。
汗ばむほどの春の日差しが暖かい銭壺山頂上
銭壺山から瀬戸内海,四国,周防大島,日積,そして岩国などを眺めました。雲一つない好天で遠くまで見通すことができました。頂上で少しばかり立ち休憩をすると、数分ほど歩いて東屋に向かいました。谷を迷いながら歩いた疲れを癒しながら昼食休憩にしました。休んでいると、小さな子供がやってきてハグを求められました。今時珍しいほど人見知りしない子供でした。
銭壺山頂上に向かう 東屋からの周防大島 天狗堂に向かって下山
東屋で休憩していると、なんとY君が現われました。彼はウォーキングには参加しませんでしたが、心配になって銭壺山の東屋で待っていたようです。もう下山したのではないかと思って付近を散策したそうです。東屋に帰ってきたら我々がいたとのこと。彼を囲んでみんなで談笑しました。
似たようなことがありました。5年前のことですが、千坊山のコバルト台地で休んでいるとY君がひょっこり車でやってきたことがありました。
天狗堂に到着後小休止 天狗堂からの急斜面
休憩が終わると、下見時と同じコースをたどって銭壺山を下山しました。尾根道から道を分かれて天狗堂に向かいました。天狗堂は今、うっそうとした森に囲まれています。しかし、建てられた当時は樹が生えておらず、斜面下を見下ろすことができる絶景地ではなかったかと思います。今回のウォーキングでも数組の方々が天狗堂に向かっていました。今でも信仰する方がいるのですね。
由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート
春の日差しが強くなるにつれて、雑草が伸びています。そこで、これから種をまくなどする予定の畑をトラクターで耕運しました。この畑、去年あたりからタケノコが生えるようになったため竹の地下茎が侵入しているようです。
その個所をトラクターを耕運すると、ロータリーの刃が地下茎に当たるのかロータリーが跳ねます。数年前から定期的にトラクターで耕運していなかったため、地下茎の侵入を許してしまったようです。
竹林の傍、地下茎が侵入したと思わる箇所を耕運
竹に加えて、笹も地下茎が侵入したしまったようです。その個所もトラクターで耕しましたが、やはり地下茎が生えているため竹と同じようにロータリーが跳ねます。繰り返し耕して一見綺麗になった畑です。しかし、まだ地下茎が残っているのではないかと思います。そのため、今後も何度か耕す必要があると思います。
枯れた竹の残渣を撤去 何度も繰り返し耕運 一見綺麗になった畑
息子に頼まれて机を作っています。勉強机ではなく、工作をしたり粘土細工をする机(ワークベンチ)です。子供に使わせたいとのこと。高さは30cm位で良いとのことです。出来上がりを想像しながら図面を描きました。
なるべく材料費を節約したいので、ツーバイフォーの板を使うことにしました。この板は、DIYのお店に行くとたくさん積んであります。その板を買って帰り、図面に従って切断しています。
農機具小屋前に電動ノコギリを出して板を切断
子供が使うので比較的小さな机ですが、乗ったり叩いたりしても壊れないような頑丈に作ります。横の幅は60~100cm、奥行きは40~70cmです。小道具を収納できるように、後付けで引き出しを取り付けることができる構造にする予定です。切り出した板を息子が住んでいる茨城県に宅急便で先に送り、私が後で行って組み立てます。
切断する箇所を計測 丸のこの位置合わせ 丸のこで板を切断
ところで、4年後には学習机を作る計画を立てています。市販の学習机もありますが、お手製の学習机はいわばオーダーメイドです。息子や嫁の意見を取り入れて作る計画です。家族の役に立つと思うと、はりきって工作できます。
机の天板をほぼ切りそろえる 机になるよう並べてみる
つい先日、我家の梅の花が咲き始めたと思ったら、もう散り始めました。春になると、一気に時間が早く進むように感じます。花壇や畑を見ると、雑草がぐーんと大きくなっています。今のうちに草を引き抜かないと大変なことになります。また、秋に種まきした秋冬野菜のとうが立ち始めました。これまた早く引き抜かないと後始末が大変です。三月中には整理しなければと思います。
散り始めた中で、唯一花弁が落ちていなかった梅の花
忙しい仕事の合間に花壇に行くと、もうクロッカスが咲いていました。花が散ったら球根を掘り上げて乾燥しなければなりません。また、アヤメの仲間が咲いていました。何の種類のアヤメか分かりませんが、我家で一番最初に咲くアヤメの仲間です。水仙もつぼみが大きくなり今にも咲きそうです。花ではありませんが、つくしも顔を出しました。
クロッカスの花 咲いたアヤメの仲間 つくしも顔を出す
棚田跡に生える杉林を左右に見ながら、谷底を通る古道をもくもくと歩き続けました。棚田跡を過ぎると急な登り坂になりました。数十年も放置された古道は、あちらこちらが崩れていました。左右の山肌を見渡しながら古道を見つけては歩きました。しばらく歩くと、天狗堂直下にきました。今回は天狗堂に登らないで、歩けそうに見える古道を行ってみました。谷に沿った山道です。これが苦難の始まりでした。
谷の急斜面に消えた古道を探しつつ慎重に歩く
天狗堂への道はあまりに急峻で、とても古道とは思えません。昔から往来があったは道は窪んできます。しかし、天狗堂への道はただの斜面にしか見えません。おそらく明治時代以降に作られた新しい道ではないかと思います。
ところで、本来の古道と思われる道を歩いて行くと、すぐに道が分からなくなりました。回りを見渡すと数十m先に古道が現われていました。古道を見失ってはまた見つけては歩くの連続でした。崖崩れで古道の何ヵ所もが寸断されていたのです。
棚田跡に生える杉 木々の間を進む 所々が寸断された古道
古道は谷に沿って作られているようでした。谷は大雨や台風で崩れやすいものです。最初は崩れて寸断された古道を容易に発見することができました。しかし、だんだんと古道か獣道か見わけが付きにくくなりました。石垣で補強された古道の箇所がありました。・・・・そのうち道が完全に消えてしまいました。
急斜面の崖を上へ上へと登る やっとこさ尾根道を発見
谷から上を見上げると、尾根らしき頂きの木々から空が見えました。そこで、消えた古道とお別れして上へと登りました。30分位でしょうか、滑り落ちそうな斜面を登りました。あまりに急な斜面は四つ這いになりました。そして、やっと尾根に着きました。そこは、銭壺山から伸びる天狗堂に向かう尾根道でした。やれやれ、道を失うような冒険は若者に限ります。
由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート
先日、去年樹を伐採した箇所にクルミの苗を4本植えました。苗はまだ幼いため、数年間は雑草や他の木々に負けないように世話をする必要があります。苗を植えた場所は、とても日当たりが良い場所です。ススキなどの背が高い雑草が生えやすくなります。それらの雑草が生えない工夫が必要です。そこで今回、クルミの苗を植えた近くを耕運機でこまめに耕しておきました。今後も何度か耕すことによって、雑草が生えにくくなったり木々の種から芽が生えにくくなるはずです。
クルミの苗を植えた場所を中心に、耕運機で細かく耕す
耕運していると意外なものが耕運機のロータリーに引っかかります。一つは、伐採した樹がまだ細かった頃に支えた鉄の杭です。意外にたくさんの杭が地中から出てきました。伐採した樹はしいたけ栽培の原木にすることができるクヌギやコナラです。これらの樹は、亡き父親が20年以上前に苗を植えたものです。杭の他には腐った枝や蔓が残渣としてたくさん出てきました。これらの残渣は今後少しずつ腐って土に返ると思います。
クルミの苗を含む樹の間を耕運 だんだん綺麗に耕運される樹間
この2~3年のコロナ惨禍のため、郷土館から小学校に移動して昔の暮らしなどについてお話をしています。今回は、今年度最後のその移動郷土館です。城南小学校の小学三年生に、昔の暮らしについて解説しました。子供達に理解しやすいように、私が小学三年生だった頃を中心に話をしました。
お話した内容は、昔の食べ物,遊び,災害,手伝い,結婚やお葬式,学校生活,病気,衛生,そして当時の服装などです。お話しただけでは伝わらないため、実際に使われた昔の道具を何点か持ち込みました。興味を引くように面白く楽しく解説しました。
手回し蓄音機から出る昔の音楽を、興味深く聞く
基本的にパワーポイントを使って解説しました。文字は少なくして画像を多めに入れました。そして、持ち込んだ昔の道具は、桶,ほぼろ,駆虫剤,電球,手回し電話,蓄音機,炭火アイロンなどです。
ほぼろは田布施町の伝統的なわら細工民具で、わらで作られた籠です。これらの中で一番説明に苦労したのが駆虫剤です。今の先生方も知らないようです。寄生虫である回虫を駆除する経口薬です。一番の人気は手回し蓄音機です、手回し演奏を始めると子供達が寄ってきました。
パワーポイントを使って解説 昔使われていた数々の道具
我家には桃の樹が二本あります。しかし、病気になったのか虫に入られたのかここ数年元気がありません。そのせいかも知れませんが、樹の表面に苔のようなものが生え始めました。枝も数ヶ所折れています。そして、桃が熟さず実りにくくなりました。今後も熟す桃は少なくなりそうです。桃の樹を更新するため、新たに桃の苗を購入して植える事にしました。
購入した桃の苗を、日当たりの良い場所に植え付け
購入した桃の品種はなつおとめです。苗にぶら下げてあった札に書かれていました。袋掛けが必要ないとのことでが、実際はどうでしょうか。袋掛けした方が確実に虫が付かないと思います。大きさは普通のようです。実がなるのは3年後位ではないかと思います。来年あたり白桃の苗も植えてみたいと思っています。
植穴をスコップで掘る 苗を植え土寄せする 最後に水をかける
先日、雪の中を柳井市の日積から鳩子の滝を経由して銭壺山に下見ウォーキングしてきました。歩いた古道には雪が積もっていました。その雪の下には厚い落葉が積もっていたため急な坂道を転げるようにして昇り降りしました。また、寒さで手がかじかんだり耳がしもやけになりました。そんな、極寒の銭壺山下見ウォーキングでした。
今回は暖かい日光が差し込む本番ウォーキングでした。そのため、歩いていると汗ばんできました。今回は、かつて歩かれたであろう別の古道も通ってみました。しかし、その古道はどこも崩れてしまっていました。そのため、谷底を迷い歩きながらもなんとか銭壺山に着きました。
何重にも倒れた竹を避けながら古道を進む
日積ふれあいどころ437に9:30に集合しました。そして、9:40頃にスタートしました。時間に余裕を持たせたため、のんびりと歩き始めました。談笑しながら楽しく歩いていると、道脇から可愛い犬が二頭出てきました。その犬に見送られながら、さらに道を鳩子の滝に向かって進みました。途中、綺麗に整地された田んぼが眼下に見えました。このあたり一帯は、かつては里山風情がより素晴らしかったのではないかと思います。
犬に見送られて歩く 梅の花がどこも満開 整地された田んぼ
しばらく山道を進んでいると、やっと鳩子の滝に到着しました。その滝の傍にお地蔵様が安置されていました。その地蔵様脇で休憩しつつ、汗ばんだ服を着替えました。10分位休憩すると出発しました。
そこからの古道は管理されていない藪だらけの山道です。笹を避けながら,倒れた竹を避けながら,さらに岩や石を避けながら、深い山に挟まれた谷の古道を進みました。
鳩子の滝傍のお地蔵様前で休憩 深く茂る笹を避けながら進む
山と山の間の谷を進んでいると、棚田の跡が次々に出てきました。かつてはその棚田を里人が耕していたに違いありません。しかし、それらの棚田群は数十年も前に見捨てられたのでしょう。その棚田跡には無数の巨木が乱立していました。今回歩いた古道は、由宇と日積を結んでいた古道です。かつては人々が行き交う街道だったとのことです。
由宇と日積を結んでいた旧街道跡を歩いて銭壺山に登ったルート
私が一番よく使っている足踏み糸紡ぎ機、購入時に付いていたベルトが数ヵ月前に切れてしまいました。そのため、応急的に太めの紐をベルトとして使ってきました。結び目が大きいため、回すたびにごとごと音が出て車輪がわずかに揺れます。そこで、柳井市にある古いミシン屋さんで購入した皮製の丸ベルトに交換しました。足踏みミシン用の丸ベルトです。
足踏みミシン用丸ベルトに交換後の足踏み糸紡ぎ機
足踏みミシン用の丸ベルトは少しばかり太いのですがピッタリ収まりました。また、ちょうど良い長さでした。短く切ったり、長くするために繋いだりする必要はありませんでした。繋ぎ目は細い針金です。回してもごとごと音がしません。とても静かに回ってくれます。羊の毛を洗って、カーディングして、どんどこ糸を紡ごうと思います。
結び目が太い紐 購入してきた丸ベルト 紐を丸ベルトに
3月になって日差しが強くなったのか、雑草が少しずつ伸びています。小麦畑も例外ではありません。まだまだ背が低い雑草ですが、今のうちに刈り取っておく必要があります。除草しておかないと、4月になってあっと言う間に小麦の背を越してしまいました。今回、耕運機を使って小麦間の除草をしておきました。
小麦の畝間に生える無数の小さな雑草を耕運除草
小麦の畝間が100cmとなるように種をまいています。その理由は耕運機のロータリー耕運幅が90cmだからです。明るい日差しを浴びながらのんびり小麦間の耕運をしました。
耕運するといつものことですが、野鳥が2,3羽やってきました。そして、耕運したばかりの土をつついています。地中に潜む虫がお目当てなのだと思います。
小麦間の耕運除草開始 小麦ぎりぎりを耕運 もう少しで除草耕運終了
毎年の事ですが、1月から3月にかけて町内の小学校に招かれて昔の生活についてお話をしています。小学校低学生の総合学習の時間で、昔の生活について学習する時間があるからでしょう。今回は東田布施小学校です。
子供達にお話をする前に、祖父や祖母と一緒に暮らしているか聞きました。すると、案の定一緒に暮らしている子供は稀です。そのため、今の子供達は昔について知る機会が無いのです。私の体験してきた昔のお話は、子供達の祖母や祖父が暮らしてきた生活と重なります。お話の最後に、昔の生活について祖父や祖母から聞いてみるように勧めました。
手回し蓄音機が発する音楽に聞き入る子供達
毎年サトウモロコシを栽培しては、密かにその甘みを楽しんでいます。そして、毎年晩秋に種を採取しては次の春に再び栽培しています。ところが、今年はそのサトウモロコシから種を採集することを忘れていました。そのことに気が付いて栽培していた場所に行きました。すると、茎や葉は枯れて倒れていました。穂も地面に倒れ込んでいました。その穂から種を採集することができました。
地面に倒れ込んでいたサトウモロコシの穂
サトウモロコシの茎を絞って汁を煮詰めたことがあります。汁を煮詰めると水飴のようにとろけてきます。その水飴状になった茎の汁を食べたことがあります。草の味が混じっている水飴でした。空いた時間があったら、またサトウモロコシから水飴を作ってみたいものです。
倒れていた茎,葉,そして穂 穂から取り出したサトウモロコシの種
屋根が出来上がると、丸い底部と屋根を含む円柱側面を合体させました。底部の円周の長さと、円柱の内壁円周の長さを合わせました。そして、両者をきっちり合体させたためアーチ状の屋根に猫が乗ってもつぶれない硬さになりました。その後、手持ち用の猫耳を取り付けました。もう少し太い縄で猫耳を作れば良かったかなと思います。
これで、ようやく猫ちぐら(ほぼろ版)が完成しました。オリジナル試作品なので、よく見ればあちこち変なところがあります。次に作る機会があれば、もう少し早く綺麗にできあがるのではないかと思います。
やっと完成した猫ちぐら(ほぼろ版)の試作品
今回丸い座布団状の底部と屋根を含む円柱側面部を、ぴったり合体させることにとても注意しました。ピッタリしていないと、側面がゆがんだり隙間が空いてしまいます。中に入る猫ちゃん自身は気にしないでしょうが、作り手としては気になります。作る以上は綺麗に作りたいものです。巻尺などを使って寸法をぴったり合わせたのが良かったようです。
最後に二つの猫耳を取り付けましたが、屋根を編んでいる時に太い縄で取りつけておけば良かったと思いました。屋根を完成後に取り付けようとすると、細い縄でしか通すことができませんので。
底部と側面を縫い合わせ 対称形に慎重に縫う 底部と側面が綺麗に合体
そんなこんなで、猫ちぐら(ほぼろ版)の試作品を完成させることができました。次からは、もう少し早く猫ちぐら(ほぼろ版)を作ることができると思います。とある人に見せたところ、作って欲しいとの注文が入りました。夏が終わる頃までに注文品を一つ作ろうと思っています。
春や冬などに開催してきたほぼろ製作講習会ですが、次回の講習会で猫ちぐら(ほぼろ版)を作ってみたい方がいれば教えようと思います。
猫耳取り付け前の猫ちぐら(ほぼろ版) 細い縄を取り付けて猫耳に