前回私が創作したポシェットが意外に人気だったので、もう一つサンプルを作ることにしました。このポシェットは底から編み始めます。わらを普通に組んでも良いし網代編みのようにしても良いかも知れません。底が出来上がると、周辺部からわらを立ち上げます。そして、編み台を使って側面を作るのです。
私が創作したポシェットですが、簡単なのですでに世の中にあるかも知れません。使うわらの量が少ないこともあり簡単です。一度作り方を覚えると子供でも容易にできるのではないかと思います。
最初底を編む台を使って、ポシェットの底を編む
前回底を編んだ時、編んだわらが解けたれ外れたりするので困りました。そこで、解けないような底専用の編み台を作りました。この編み台を使うと、わらが解けないように組むことができます。
底の編み台を製作 わらを組み始める 完成した底部
底専用の編み台には細い釘がたくさん打ってあります。この釘は特殊な釘で、頭がない釘です。ただ、底の編み台から取り外す時は注意が必要です。組んだわらの底の周りに、解けないように紐を結んでおきます。その紐を結んだ後、注意深く編み台から外します。
作業中用事を思い出したため、今回はここで作業を中止しました。ほぼろ講習会時に引き続いて作るか、どなたかに続きを作ってもらってもかまいません。
底の編み台から底を取り外す 底からわらを立ち上げる
10年位前のことです。東京八王子に自生するクルミの種を持ち帰りました。直接畑に蒔かず、鉢に種を蒔いて芽生えたクルミを移植しました。その後順調に育っています。
ところが、数年前このクルミの皮を剥いで籠に加工できることを知りました。それ以降、クルミを増やすことにしました。今回は、この夏に実ったクルミの種を蒔きました。5年後にはクルミの林になればと思っています。
夏に実ったクルミの種を蒔く、場所が分かるように竹櫛を刺す
実は、去年自然に落下したクルミの種が芽生えていました。春以降、雑草が生い茂る場所ですので、植えた場所が分かるように赤い紐を括り付けた竹櫛を蒔いた場所に刺しておきました。
ちなみにクルミの皮を使って簡単なコースターを製作しました。もっとたくさんのクルミの皮を得られれば、買物籠位は作ることができるのではないかと思います。
竹櫛に赤紐を取り付け クルミの種を蒔く 竹櫛を傍に刺す
今度の日曜日のわら細工講習の一つに猫ちぐらの製作があります。私の作る猫ちぐらは、ほぼろの製作技術を応用したものです。ただ、上に大きな猫が乗ると屋根が凹んでしまうことがあります。猫が降りると元に戻るのですが、乗り続けていると凹んだままになることがあるのです。
その対策として、薄く剥いだ竹を屋根の内側に取り付けようと思っています。クッションにもなります。今回、猫ちぐらを作る方のために薄く剥いだ竹を用意しました。
竹藪から竹を切り出して、ちょうど良い幅に割る
我家の近くにはたくさんの竹が雑草のように生えています。その野良竹のうち一番手前にある竹を選んで切り出しました。後で気が付いたのですが、竹細工に適した竹を選べば良かったと思います。茎が太かったため、竹を割る時に疲れるほどの力がいるのです。もう少し茎の厚さが薄く節と節の距離が長いものを選べば良かったです。次回はそのような竹を選ぼうと思います。
適当な竹を切り出す 上下から節を抜く 竹割り器で割る
切り出した竹の節を抜いた後、竹割り器で一気に竹を割りました。その後、鉈で節を綺麗に削り取って滑らかにします。それが終わると、竹の皮を薄く剥ぐ器具を使って、竹を薄く次々に剥いでいきました。剥いだ竹の薄皮は、猫ちぐらの大きさに合わせてカットして屋根裏にはめ込みます。
皮剥ぎ器で竹の皮を剥ぐ 薄く剥いだ竹の皮
晩秋に種まきした小松菜が収穫適期です。飽きるほど毎日食べています。100株近くあるため、春まで毎日のように食べることができます。私はほとんど毎日勤務などで外に出ており、ほぼ毎朝野菜を調理しています。
今収穫している野菜は、小松菜,大根葉,長ネギなどです。私は調理があまり得意ではありません。そのため、野菜にウィンナか肉を加えているだけです。なお、調味料に塩胡椒を使っています。恥ずかしながら単純な料理の毎日です。
その日食べるだけの小松菜を収穫
今しいたけの収穫時期です。そのため、野菜にしいたけを加えて食べています。主食は食パンを半切れだけ食べます。全体として、食べる量は腹八分といったところでしょうか。しかし、飽きるようなことはありません。
とはいえ、毎日このような単調な料理ばかりなので、たまにはステーキなどのご馳走を食べたくなります。
収穫適期の小松菜畑 小松菜を収穫 近朝の野菜炒め料理
来週日曜日、麻郷公民館でわら細工民具「ほぼろ」の製作講習会を開催します。現在、春夏秋冬と年四回の講習会をしています。前回は8/末に開催しました。
これまでは「ほぼろ」(わら籠)を中心に講習会をしてきましたが、前回から、ほぼろに加えて猫ちぐら、買物籠、ポシェット、リュックなどの製作を追加しました。また、子供向けにペットボトルケースの製作もあります。どれも「ほぼろ」の製作技術を応用した小物です。今回、わら細工に使うわらの事前準備の一つとして足踏み脱穀機を使ってわらすぐりをしました。
稲の脱穀に使う脱穀機を、わらすぐりに使う
納屋の奥にしまってある足踏み脱穀機を外に出しました。結構重いので台車に載せて出しました。わらすぐりとは、わら細工に不要な稲わらのはかまなどを取り除くことです。以前は千歯こぎや手櫛などを使って取り除いていました。しかし、講習会を開くようになってからたくさんのわらを用意する必要で生じるようになりました。そこで、足踏み脱穀機を使うことにしました。ハーベスタを使うともっと効率的にわらすぐりできるかも知れません。
はかまがだいぶ取れた稲わら わら屑を熊手で取り除く
田布施町少年少女発明クラブでは、今回初めて町内にある神和工業(株)の工場を見学することになりました。子供達はノコギリ,金槌,ヤスリ,ドリル,はんだごてなどしか知りません。電動の工具でも、電動ノコギリや電動ドリルしか知りません。そのため、かねてから工場で実際に稼働している機械を見せたいと思っていました。ようやくその願いが叶い、大型機械が何台もある工場を見学させることができました。
大型プレス機,レーザー切断機,クレーン車,自動旋盤機,列車のような運搬機などです。子供達は、見上げるような大型機械を見て驚いたのではないかと思います。そして、しっかりと心に残ってのではないかと思います。解説していただいた社長さん、ありがとうございました。
解説していただいた社長さんと (見学した工場の外で)
工場見学前、会議室で会社の沿革や製作している製品などの説明をしていただきました。質問コーナーがありましたが、子供達は機械のことなどまだ分からないようでした。そのため、指導員など大人からの質問がありました。
今から約50年前、私は数百メートルもの長さの工場に勤務していました。天井にいくつものコンベアが流れていた光景を思い出します。ベルトコンベアに次々に製品が流れていました。材料が次々に入荷する一方、完成品が次々に出荷されていました。今思い出しても壮観な眺めでした。
会議室で会社説明 製品の一部を見学 長い工場の外を歩く
私の畑の隣に、12月末から太陽光発電所が作られます。私の畑と接することの確認を不動産関係者と確認しました。境目の三ヶ所の杭が境目です。来年早々にその太陽光発電所が完成する予定です。
小規模の発電所のため住民説明会をする必要はなく、自治会長が住民に説明して問題が上がらなければOKとのことでした。私の畑とは少ししか接していないので問題はありません。しかし、工事中に道路制限があるとのことです。近隣に住む住民は少しの間不便になるようです。完成後のトラブルもないといいです。
太陽光発電所に接する箇所を急遽草刈り
天気が良かったため、太陽光発電所との境の草刈りを急遽しました。田んぼに接する土手の草刈りです。そう広くない土手なのですぐに終わりました。私が子供の頃、この周辺は田んぼが広がっていました。小川には貝、魚、蛍などの生き物がたくさん住んでいました。だんだんと自然が失われていくのは寂しいものです。
不動屋さんと境を確認 我家の土手と生える草 土手の草を刈り取り
山口県の田布施町に帰る前日、12年ぶりに奥多摩湖周辺を訪問してみました。奥多摩へは、それよりさらに30年以上前から時々訪れていました。つまり私が二十代の頃から山間地域の暮らしに興味があり、奥多摩を含む山梨,長野,静岡などの山深い里山を頻繁に訪れていました。そして、今では鬼籍に入った古老にいろいろと昔の暮らしについてインタビューしてきました。そして、古老宅に泊り当時栽培されていた作物の栽培を手伝ったり加工して食べたりしたこともありました。
今、小学校などで子供達に昔の生活のお話をしています。古老を訪ねたり昔の生活を体験したりしたことが、その原点の一つになっています。
奥多摩の山々や、山奥の懐かしい人里を見下ろして
東京に住む人々に水を供給している奥多摩湖、この湖は小河内村などの村を水没させてできた人工の湖です。それらの沈んだ村の民俗資料館に寄りましたが、残念ながら休館でした。水に沈む前の写真や道具などの資料が展示されています。また、年に一度、旧村人が集まって伝統の踊りなどを披露しています。
奥多摩ではありませんが、湖に沈む別の村を訪れて、ソバを収穫中の古老夫婦にお話しを聞いたことがありました。沈む前の民家がまだ建っており、寂しそうな表情が印象的でした。最後まで残った古老夫婦でした。
湖に沈んだ村の資料館 水をたたえる奥多摩湖 東京のチベット、峰地区
今回は東京のチベット呼ばれる奥多摩最高部にある峰集落周辺を訪れました。今でも人が住んでいるようですが、山の下にあった小学校は閉校になっていました。
昭和初期、それぞれの集落は最低限の自給自足ができていました。集落内には、学校、店、郵便局、鍛冶屋、警察、農家、猟師などがワンセットで揃っていました。しかし、今はほとんどか統合されて集落自体では生活が成り立たなくなっています。限界集落のようでした。少子高齢化の日本、どの町も村もこの集落のようになることを暗示しています。奥多摩を再訪して、お話をお聞きしたたくさんの古老を思い出しました。
東京のアンデス(通称)の集落 奥多摩湖をはるか下に臨んで
東京の我家近くに都立長沼公園があります。都心から緑や紅葉を求めてハイキングに来る方々が絶えません。私も時々散策します。今回は尾根道の紅葉を求めてのんびり歩いてみる事にしました。もともとこの道は東京薬科大学裏に続く尾根道でしたが、近くに団地ができた時に尾根が分断されたようです。
尾根道の北側に落ちる谷と樹木、耳を澄ますと鳥がさえずる
この公園の西端にはスキーができる長めの斜面があります。冬に雪が降ると、スキー場に早変わりします。ただ、スキーをするにしては斜面の距離が50m位しかありません。そのため、スキーよりはソリで滑る人の方が多いようです。夏には段ボールをお尻の下に敷いて滑って遊ぶこともできます。昔を思い出しながら公園を散策しました。尾根道の途中に古い木造民家の焼肉屋さんがあります。
樹が茂る尾根道 木造民家の焼肉屋さん 冬にスキーができる斜面
放課後学習成器塾では、指導員の一人であるOさんに毎年クリスマスフェルト細工の講師をしていただいています。そのため、私は見守りに徹しました。今年は保護者の方々も加わっての賑やかなクリスマスフェルト細工でした。
羊毛をチクチクすることによって、羊毛が布に貼り付いたり玉になったりします。その特徴を利用してフェルト細工するのです。子供達,保護者さん共に、フェルト細工を楽しむことができたのではないかと思います。
クリスマスフェルト細工を楽しんだ子供達や保護者の方々
最初六年生に開始の挨拶をしてもらいました。次に、講師のOさんからフェルトについてや細工の方法についてお話がありました。そして、針を使うにあたっての注意事項の説明がありました。それが終わると、子供達や保護者の方々に、スポンジ,フェルト布,そして針などが渡されました。席に戻るといよいよチクチクの始まりです。クリスマスツリーを作る子供が多かったように思います。
フェルト細工のお話 好きなフェルトを選ぶ 大小のスポンジを選ぶ
去年はチクチク中に針で指を怪我する子がいました。しかし、今年はだれも怪我をすることがなく安心しました。大小のフェルト細工が終わると、その大きさに合った大小の額物が手渡されました。自分の作品をその額縁に入れると完成です。保護者の方々にとって、小学校で楽しく過ごす子供達を見ることができてよかったのではないかと思います。
いつもは私が指導するのですが、今回はOさんに指導していただきました。ありがとうございました。
フェルト細工を楽しむ四年生達 フェルト細工を楽しむ子供達と保護者
今年の 山口ウール展に、自作のハンドウォーマーを出品しました。もちろん山口県で飼われている羊の毛を100%使っています。毛を刈り取り,洗浄して,紡いで,草木染めして毛糸を作りました。毛糸にした羊は二頭です。田布施農工高校で飼われている「茶々丸」、そして海田ファームで飼われている「きなこ」です。茶々丸の毛は単糸に紡いで、きなこの毛は双糸に紡ぎました。
最初ハンドウォーマーにするための織機を作りました。そして、紡いだ毛糸を経糸に張り、次に横糸を張りました。通常は編んで作りますが織って作りました。オリジナル品です。展示にあたり、ハンドウォーマーとして使えることを示すため手袋に綿を詰めてはめました。なお、夏はポケットティッシュケースとしても使えます。
ハンドウォーマーとして使用時 ポケットティッシュケースとして使用時
11月下旬、栃木県の那須岳に登る予定でした。ところが、10月中旬だったでしょうか那須岳の尾根を歩いた4名が遭難しました。風雨による低体温で亡くなったとのこと。そのため、尾根道を止めて森の中を歩くことに変更しました。ところが、森はクマが出没して危険との情報でした。そのため、やむなく那須岳を諦めました。
そこで、歩きやすい筑波山に変更しました。ところが、その筑波山を歩いたその日に再び那須岳で遭難者が出ました。霊に誘われたのではとの話題になりました。もし那須岳を登ったら私が霊に誘われたか、誘われなくても遭難した方に会ったはずです。それを聞いた時、少し恐ろしくなりました。
筑波山山頂から、遠く那須岳方面を望んで
さて、筑波山に変更した理由は6年前に登った時、天狗党を旗揚げした藤田小四郎像を訪れるのを忘れていたからです。今回、その藤田小四郎像を見てから筑波山に登りました。平日でしたので登山道は混んでいませんでした。しかし、ケーブルカーに沿う登り道は前回登った時より疲れました。それだけ、年を取ったことを思い知りました。
筑波山神社の大鳥居 天狗党藤田小四郎像 紅葉の筑波山神社
幕末で忘れてはならない歴史に天狗党があります。水戸藩の過激な尊王攘夷運動をし、水戸から敦賀まで移動した上で降伏しました。そした、その後の処罰は凄惨なものでした。その凄惨な場所を訪ねて実際に敦賀を訪ねました。また、水戸近くにある天狗党慰霊碑も訪れました。さらに、天狗党の詳細を展示した茨城県大洗町の「幕末と明治の博物館」にも行きました。徳川御三家であるがゆえの悲惨な事件ではないかと思います。
幕末の歴史を思い出しながら、筑波山麓の樹林帯の道や、巨岩の道を楽しみました。
樹の根が生える登山道 巨岩(弁慶七戻り)下を歩く
11月下旬の名古屋、中部国際空港隣の国際展示場で少年少女発明クラブのチャレンジ創造コンテスト全国大会がありました。四年ぶりの全国大会出場です。私は大会前日に名古屋駅近くのビジネスホテルに泊まりました。そして朝、国際展示場に向かいました。
会場に着くと、田布施チームの子供達は待機していました。時間になると作品の車検が始まり、続いて入場式がありました。それが終わると、いよいよコンテストの始まりです。田布施の子供達は他県の子供達に負けないように、工作した作品を操作していました。そして、一生懸命に田布施のPRをしていました。私も鉢巻をして、声を出したり拍手するなどして応援しました。
頑張った子供達と保護者を含む田布施チーム
すべての県の子供達の発表が終わると、1位~21位の作品が発表されました。21位までに選ばれると上位のコンテストに出場できます。残念ながら田布施チームは21位以内に選ばれませんでした。しかし、今回出場したのは4年生達です。来年、再来年もチャレンジできます。その時はぜひ21位以内に選ばれて欲しいと思いました。
出場した子供達、保護者、そして関係者の方々、お疲れ様でした。
名古屋の国際展示場 入場式後の開会宣言 21位以内の発表を待つ
だいぶ寒くなってきました。そのためか畑傍の土手に生える草が少しづつ枯れてきました。チガヤも少し枯れかかってきました。枯れてしまうとわら細工に使えません。大急ぎでチガヤを二束刈り取っておきました。草刈りには普段は草刈機を使います。しかし、細工用のチガヤのですので丁寧に鎌を使って刈り取りしました。
刈り取ったチガヤ二束と刈り取りに使った鎌
チガヤは葉に細かな棘があるので、手袋をして刈り取らなければなりません。刈り取ったチガヤに紛れ込んだ他の草をこさぎ取っていたら指に棘が刺さったようです。小さな棘だったようで手を洗ったら取れました。軒下で乾燥したのちに細工に使います。
たくさん生えたチガヤを刈る 紛れ込んだ他の草を取り除く
ケヤキが生えている手前を草刈りしました。ここは数年前まではケヤキの林でした。もっと前の30年位前は畑でした。その頃に亡き父親がケヤキを中心に植えたのですが、今は伸びすぎて倒木の危険性が出てきました。電柱に引っかからないか心配です。そのため、二年前から少しずつ伐採しています。この冬も何本か伐採しようと思います。その事前準備として下草を刈り取りました。
この冬、向こう側のケヤキなどを伐採予定
二年前に少し木を伐採したのですが、地面に日が当たるようになって困ったことがおきました。それは、夏の間に雑草が繁茂するようになったのです。秋の終わりにはこうして下草を刈らなければなりません。トラクターか耕運機で耕したいのですが、伐採した木の根元が腐らず残っています。そのため、耕せないのです。
下草を刈り終わった林の手前 刈り終わった草地