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「過去の天才」の仕事を見つめる

2006年10月13日 | 読書
 今さらながらに勉強不足を嘆くことになる一冊の本と出合った。

 『標準語の村』(北条常久著・無明舎出版)
 

 対象となる遠藤熊吉と西成瀬小学校の名は、むろん知っていた。
 標準語教育で有名であることも知識としてはあったし、
その伝統が西成瀬小学校(もう廃校となったが)に残っていることも知人を通して聞いたことがある。

 しかし「標準語教育」自体が、なんとなくもう過去のもののように思っていたし
近隣に住んでいるとはいえ、興味がわかなかったのは確かなことだ。

 郷土関係図書が並ぶコーナーで見つけたこの本は、
コンパクトながら、遠藤熊吉の仕事と考え方をきっちりとまとめており
地理的な身近さを抜きにしても 、十分に刺激的であった。

 前書きに「『標準語の村』を推す」と書かれた渋谷孝宮城教育大学名誉教授は、次のように記している。

わが国の国語科教育は、不幸なことに新出語彙の意味が分って、読めて、書けることと文章の読み書きが出来ることに主眼が置かれてきた。しかし音声の言葉で自分の立場を相手に分かるように話しかけが出来て、相手の言い分をよく聞き分けることが出来る力をつけることが第一義である。


 遠藤熊吉の仕事は明らかに「時代」が要請したものではあるが、「言語生活」を営むための言語教育の普遍的な一面が強く出されている実践である。
 それは、北條氏が紹介した例からもちろん読みとれるが、付録として起こされた「方言訛音矯正法の一斑」が如実に物語っている。
 少しずつ読み解いてみたいと思った。

 渋谷教授言うところの「『過去の天才』の仕事を封じこめない」ようにしなければならない。