すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

積極的に雰囲気を構成する

2006年10月14日 | 読書
 「標準語教育」と限定しないで「話し方・聞き方」と捉えても
遠藤熊吉の考えは、十分に納得のいくものである。
 
 「方言訛音矯正法の一斑」の冒頭には、次の言葉がある。

 正しい言葉の習得には、随時適宜な訂正を加えなければならないことは言ふ迄もないが、先づ教師を中心として標準語の雰囲気を作ることが最も肝要である。此の方が消極的な矯正よりも、その効果幾倍なるかを知らない。

 いわば言語環境としての教師の話し方・聞き方が問われている。
 子どもにどんな話し方をさせたいのか、そのように自分は話しているのか。
教室だけではなく、学校という空間全体における意識の持ち方が大切だろう。

 学校という公の場にふさわしい言語教育をする必要があるし、
環境作りとともに、その意義を把握し、伝えることも欠いてはならない。

 学校生活の意義をよく承知させ、生活改善、言語改良の意義、必要を納得させれば、児童は次第によき言語生活を形成して行く

 時に私たちが忘れがちなことであるが、
「なぜ言葉を学ぶのか」ということは
折にふれ、実際の体験の場で、または具体的な事例をもとに語る必要があるし、
語ることで私たちもまた再認識していくのである。

 而して消極的指導、矯正よりも積極的に雰囲気を構成する方法が一番根本的である事を忘却してはならない。