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「IT世間」を良くしていかなければならない

2007年01月13日 | 読書
 『他人を許せないサル』(正高信男著 講談社)には、けっこう怖いことが書いてある。

 例えば、ゲームが日常化している子どもについての記述。

 いまの子どもたちというのは、目の前でいじめられている友達がいても、その痛みを感じられない。自分の延長したところかに、友だちという存在を位置づけられない。

 例えば、ケータイで過剰ともいえる「絵文字の浸透」について。

 言葉ではなく、非文字に依存するという発想は、サル化に拍車をかけるものでしかないだろう。

 対談からの引用であるが、虐待、幼児殺害の背景について。

 いつも実行犯は、その地域にいることを深く考えるべきだ。地域社会が持っていた強さが急速に失われ、一番弱い子どもに攻撃力が向いている。

 連日、悲惨な事件の報道が相次ぎ、とらえどころのない不安を感じることがある。その背景に、正高氏の著書のキーワード「IT世間」が横たわっている気がする。
 
 かつての世間というものは、地域限定の束縛を受けていた地縁共同体だったのがいまや、地域的な限定を受けない、リアルタイムに時間を共有できる電脳縁共同体へと様変わりした。
 
 歴史を経て様々な特徴を持つ日本社会文化が、ITに飲み込まれてしまった感のある現状は、確かに便利なことは多いが、それに伴う問題点が非常に多くなっていると指摘する。
 「攻撃性」「無責任」「悪者が良者を駆逐する」…こうした言葉に対応する具体的な例は私でもいくらも思い浮かぶ。しかし、ここに立ち止まっていることはできないと思う。
 結局、日本人ほど「世間の目」を気にする人種はいないようだし、そうなれば「良い世間」を作る努力をすることしかないのではないか。

 正高氏は、今ある「悪弊を取り除く努力」の「最火急の課題」として、次の二つを挙げた。それは無理だろうと決めつけないで、世間のみんなで考えてみなければならない。

 匿名のままでアクセスすることが不可能なシステムの構築

 ネットでメッセージを送る際のマナーとしての修辞法の確立