昨年末から少しずつ読み続けていた
『日本人が忘れてはいけない 美しい日本の言葉』(倉島長正 青春出版社)をようやく読了した。
ほとんどの言葉を「知ってはいるが、使っていない」という現実を実感する。
例えば「たまゆら」「居住まい」「首ったけ」…
例えば「益荒男」「手弱女」「とうへんぼく」…
方言と同じように、よほど意識しないと忘れ去られていくんだろうなあと思う。
意識しようにも、もはやその存在や感覚が珍しいのだから仕方がないのだろうか。
それはともかく、巻末に付章として「物の数え方」という項目があった。
自分自身知識がないものだけに、結構興味があり以前別ブログに書いた ことがあった。
今回も、実にポピュラーな?「つ」と「個」の問題。
「あの人は、私より○個下だよ」なんていう年齢の使い方に
ええっと思っても、はずみで自分も使ってしまったりするときがあるので
どうも自己嫌悪に陥りがちな話題だ。
筆者は、その使い分けをこのように書いている。
簡単に言ってしまえば、一般に十程度しか数えないものは「つ」で、十以上になるものは「個」ないしはそれぞれに固有の助数詞を使うことになる。
個々の事例を取り上げてみれば、全ての場合にぴったり当てはまるとはいかないかもしれないが、なかなか妥当性があるのではないか。
具体物を「個」、抽象物を「つ」という分類もあるようだが、抽象物も10を超えて数えることはあまりないだろうから、整合性も感じられる。
従って、こんな文章もある。
計画や仕事、あるいは、疑問、質問なども「つ」の方がよい。
もちろん、10を超えて存在するそれらのものであるが、日常私たちが抱えていることは、そんなに多くないはずだ。
たかだか、いくつかの計画、仕事のために振り回されてはいけない、と年頭らしいまとめをしてみたいのだが…。
仕事は始まっているのに、今年の目標などを一つも決められないのはどういうわけだと考えてみたら
目標などと大きくするからいけないわけで、10を超えて仕事や計画をリストアップするといいかもしれない、と思いついた。
「18個の計画」とか「55個の仕事」というように。
そうすれば、具体物となってより明確な対象となるかもしれない。
(後は実行あるのみ、ですね)
『日本人が忘れてはいけない 美しい日本の言葉』(倉島長正 青春出版社)をようやく読了した。
ほとんどの言葉を「知ってはいるが、使っていない」という現実を実感する。
例えば「たまゆら」「居住まい」「首ったけ」…
例えば「益荒男」「手弱女」「とうへんぼく」…
方言と同じように、よほど意識しないと忘れ去られていくんだろうなあと思う。
意識しようにも、もはやその存在や感覚が珍しいのだから仕方がないのだろうか。
それはともかく、巻末に付章として「物の数え方」という項目があった。
自分自身知識がないものだけに、結構興味があり以前別ブログに書いた ことがあった。
今回も、実にポピュラーな?「つ」と「個」の問題。
「あの人は、私より○個下だよ」なんていう年齢の使い方に
ええっと思っても、はずみで自分も使ってしまったりするときがあるので
どうも自己嫌悪に陥りがちな話題だ。
筆者は、その使い分けをこのように書いている。
簡単に言ってしまえば、一般に十程度しか数えないものは「つ」で、十以上になるものは「個」ないしはそれぞれに固有の助数詞を使うことになる。
個々の事例を取り上げてみれば、全ての場合にぴったり当てはまるとはいかないかもしれないが、なかなか妥当性があるのではないか。
具体物を「個」、抽象物を「つ」という分類もあるようだが、抽象物も10を超えて数えることはあまりないだろうから、整合性も感じられる。
従って、こんな文章もある。
計画や仕事、あるいは、疑問、質問なども「つ」の方がよい。
もちろん、10を超えて存在するそれらのものであるが、日常私たちが抱えていることは、そんなに多くないはずだ。
たかだか、いくつかの計画、仕事のために振り回されてはいけない、と年頭らしいまとめをしてみたいのだが…。
仕事は始まっているのに、今年の目標などを一つも決められないのはどういうわけだと考えてみたら
目標などと大きくするからいけないわけで、10を超えて仕事や計画をリストアップするといいかもしれない、と思いついた。
「18個の計画」とか「55個の仕事」というように。
そうすれば、具体物となってより明確な対象となるかもしれない。
(後は実行あるのみ、ですね)