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つぎはぎだらけの姿にしてはいけない

2007年01月03日 | 読書
 今年、最初に手にした本は
『井深大の 心の教育』(ゴマブックス)である。
 年の終わりが土井(天外)氏の本であったし、何故かソニーづいてしまった。

 1985年に初版本が出されたというこの本を読んで、改めて感じるのは
「この20年、教育を巡る話題や背景はほとんど姿を変えていない」ということだ。
 いじめ、不登校という学校現場の問題もそのままだし、経済至上主義の話題には事欠かない。
 今現在現実に起こっていることで、この本で触れていない言葉は「少子化」と「安全管理」ぐらいのものではないか。

 かつて首相の私的諮問機関の座長も務めたことのある井深氏の、当時の文部行政に対する指摘は厳しい。
 特に、提示される答申や方針などを見事に言い表していると思うのは、次の一言だ。

 つぎはぎだらけの人間像

 個性を伸ばすといい、客観的な国際感覚といい、平等の理念の尊重といい、知性と感性の調和といい…
 そうした美しい言葉の羅列は、結局「対処療法の態度」にすぎないと言いきる。
 そして教育内容の過去を一時忘れ、具体的に「知識重点から人間の心へと重点を移す」「学校教育を従、家庭教育を主に」「教育のスタートを0歳児から、母親中心に」という提言までしている。
 20年後の今もそっくり当てはまる考え方ではないか。
 科学的思考や創造性の塊のような人物といっても差し支えないだろう井深氏が、「心の教育」にここまでこだわることを、私たちは重く受け止めるべきだと思うし、自分の立場で何か可能か考えねばならないだろう。

 国政の場でも教育論議は盛んだが、85年当時に井深氏が書いた「現象面での多様性に引きずられながら右往左往している臨教審委員の姿」と似ていると感じるのは私だけだろうか。

 子どもたちをつぎはぎだらけの姿にしてはいけない。