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「本当の関係」を姿でとらえているか

2007年01月08日 | 雑記帳
 結構多くの学校が「かかわり」や「伝え合い」などという言葉を研究主題の文言に入れているような気がする。自分が勤務していたところもそうだったし、周囲をみてもそういう傾向がある。最近は「人間関係力」というテーマなども目にした。

 子どもたちいや大人も含めて社会全般の現状が、そうした関係の希薄さを感じているからこその設定だと思う。
 しかし、私たちは「姿」として、本当のかかわりとか関係とかをどうとらえているのだろうか。

 言語におけるコミュニケーションと限定した場合であっても、それが端的にいってどういう姿を目指しているのか、明確にしていないような気がする。

 一つのいい言葉を見つけた。
 数年前に読んだ『見城徹 編集者 魂の戦士』(KTC中央出版)に、こんな一節がある。
 本の題名から想像しにくいが、実はこれはNHKの「課外授業」の記録である。
 
 見城氏は6年生の子どもたちにこう語りかけている。

サッカーボールを蹴ったり、教室でふざけあっていたり、たまには喧嘩したり、ワーワーやつていたりという、それが関係じゃない。それが本当の友だちじゃないんだよな。言いにくいことでもきちんと言って、そこから何かが始まったときに、それが本当の関係になる。

 「編集」をあつかった授業を数時間実施し、その中で子どもたちはいろいろな意見を言い合い、作品を完成させていった。その過程を集約しながらのまとめの話だつた。

 人にものを言うってことは、覚悟がいる。でもそれが通じたときは、今までとは違うもっと深い関係になっている。

 いずれにしても、そこで問われるのは本気さであり、子どもたちがその気になる場面をいくつ作り出していくか、それが決定的だろう。
 多様な子どもたちの性格や能力を見据えることは大切だが、配慮という名で本気さが薄まるようでは、真の姿は遠のいていくのではないか。