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桜と絵本と豆乳と

「普通」の変質

2008年01月07日 | 読書
 本の帯にかの養老孟司氏が寄せている言葉は、大げさとは言えない。

 「誰も口にできなかったことを、表面化させている。その現実は、ホラーよりもホラーである」 

 『普通の家族がいちばん怖い~徹底調査!破滅する日本の食卓』(岩村暢子・新潮社 )は、読み進むにつれて、気分が悪くなっていく本である。少なくても私と同年代以上であればそう感じるのではないか。

 正月とクリスマスの食卓風景が、主婦を対象とした「写真・日記調査」と「グループインタビュー調査」によって明らかにされている。そこに出てくる声に、「うすうすそうは思っていたが」「自分にも少し思いあたる点が」というどす黒い様な現実がえぐり出されると言っていいだろう。
 これは「食卓」の現実から見える、紛れもない家族の、日本人の現実であることに違いない。

 首都圏の調査ではあるが、確実に地方にも広がっている現実である。目の前の事象を、ここに書かれた言葉で照らし合わせてみるとき、その思いは確信となる。例えば、次のようなことだ。

 (「子供の喜びは、親の喜び」とは)昔は、親が子供の喜びや満足を我が喜びと感じることを言ったのだろうが、今は目の前で喜ぶ子供の姿そのものを見て、親が楽しんだり喜んだりしている

 かつてなら子供のわがまま、勝手、贅沢と言ったようなことでも、「お子様」の「アドバイス」「リクエスト」「意見」「発案」「希望」「アピール」などと言って、まるで対等な大人の正当な要求であるかのように受け止め、聞き入れようとしている

 子供の変化を「一人前の意見を持つようになった」とか「一人で行動するようになった」と「子供主体」の視点から語る主婦は、ほとんど見られなかった


 「普通」の変質を、もっとみんなが語りあわなくてはいけない。