すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「ガマンの価値」の見直し

2008年01月14日 | 読書
 悲惨な事件があれば必ずといっていいほど犯人の心理判定のようなことが取り沙汰される。特に青少年の犯罪である場合にはそれが当たり前になっている。むろん、大切なことである。その衝動性は何が原因だったのか詳らかにされるのだから…。
 しかし、アバウトな見方であるのかもしれないが、結局自分の感情を抑えられなかっただけ、と結論づけることも間違いではない気もする。個々の事例は特殊に見えても、これだけ頻繁に世間を騒がすような事件が起こっていることは、もう特殊とは言えないだろう。

 われわれはこの、ものが豊かで便利な世の中で、子どもたちにガマンする訓練を怠りすぎ、何でも自分の思いどおりになると思い込んだまま大人になり、抑制力のない成人をつくることになったのではないだろうか。
河合隼雄『ココロの止まり木』(朝日文庫)

 社会全体が「ガマンの価値」を軽くみるようになってきたことは確かであり、それは文明の発達の一つの証しでもあるのだろう。だから、私たちが快適を手に入れたことと背中合わせに、抑制のきかない心が大きくなり、衝動をコントロールする力は弱まっているのだということを、もっともっとアピールする必要がある。
 そのうえで「ガマンの価値」を見直し、意識的にレベルアップさせる手立てが具体的に語られるべきだろう。
 もう野放しにはできない時期にきている。

 「ではどうするか」と即効的な方法を示せるわけではないが、少なくても目の前に「ガマン」している子がいた時にその価値を認めること。そしてその価値が少しでも高まり、広まるという方向で動き出すことはできるはずだと思う。