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「何もないけど何でもある」力

2008年01月15日 | 雑記帳
 立川志の輔の落語を聴く機会があった。
 たった一人で一ヶ月のロングラン落語会を満席にできる実力者であり人気者である。
 今年、自身の新作落語がなんと映画化されるということで、さらに注目を浴びている。その映画の封切が2月にあり、その前の一ヶ月間、連日その新作と他の演目を行う形で三時間の高座を務めている。

 テレビでのトークは始終目(耳)にしているが、初めて聴く生に「ああ、みせる落語だなあ」と思った。この「みせる」とは「見せる」であり「魅せる」である。
 時事ネタを取り入れるマクラ、表情豊かな顔、そして言いよどんだり、つっかえたりして心理や人物像を描く巧みさ…見事に「落語」の世界へ観客を引きずりこむ。
 一人で何役も演じる構成は、それを理解させるだけでも難しいだろうに、よほど巧みに計算され、客観視されてできるのだろうと、改めて得心する。

 『何もないけど何でもある』
 
 落語を撮り続ける写真家橘蓮二が「落語の魅力を一言で表すとしたら、これ以上ない言葉だ」と紹介している、志の輔の言葉である

 「みせる」ために様々な道具を準備することも必要であるが、何もない場で語るだけの力を身につけることも不可欠であると思う。
 後者の方がより奥深く、適用場面が広いはず…つまりは音声言語技術の極みだな…などと自らの仕事のことを考えざるを得ない。