すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

レッテル剥がしから

2008年04月02日 | 読書
 自分にレッテルを貼る行為は、相手を自分に合わさせようとしたり、自分は相手への強調や妥協を拒否しようとする、傲慢な姿勢でもあるのです。

『憎まれ役』(野村克也・野中広務著 文藝春秋)で野村克也は語る。

 「僕は~~しない人だから」「私ってこういう人だから」といった言葉に、違和感を覚えたのはいつだったろうか。そうしたレッテル貼りは単なる言い回しのように見えて、変化に対する拒否以外の何者でもない。

 そうすれば、教員の間でとかく口をついて出そうな「あの子はこういう子だから」「あの子は必ず~~だ」という言い回しも、深く疑ってみる必要がある。
 その中身が消極的、閉鎖的な言葉であれば、それは明らかに変化・変容を断ち切ろうとする意志の表れであろう。
 レッテル貼りは、自ら壁を作っている行為にも似てはいないか。

 新年度は、自らのレッテル、子どもへのレッテルを剥がすことから始めてみよう