生徒や部下が自分の背中を見ていることに自覚的な人は、あまり多くないと思う。同じように、授業や会議でどんな立派な言葉を並べても、去り際の背中にそれが見られなければ、結局は何の説得力もないことになる。
山辻哲雄『早朝座禅』(祥伝社新書)
言葉や面と向かっての表情の重要性は言うまでもないことだが、それらを凌駕するのは背中である。
ここに「思いの強さ」という精神論の局地がある。
批判的な言い回しで使ってきた精神論という言葉だが、なぜかずしんと重いのは、物事を自己中心に考えてきたことへの悔いかもしれない。
きっと去り際の背中は軽いだろうなと思う。
山辻哲雄『早朝座禅』(祥伝社新書)
言葉や面と向かっての表情の重要性は言うまでもないことだが、それらを凌駕するのは背中である。
ここに「思いの強さ」という精神論の局地がある。
批判的な言い回しで使ってきた精神論という言葉だが、なぜかずしんと重いのは、物事を自己中心に考えてきたことへの悔いかもしれない。
きっと去り際の背中は軽いだろうなと思う。