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ウェットな資本主義社会

2008年04月17日 | 読書
 そういう社会の細部を支える、温かなネットワークについては、ぜんぜんアメリカの真似をせずに、ドライな競争主義だけを導入しようとしたことで、この十年間、日本は冷たい資本主義社会になってきたと思うのです。

 鎌田 實 (『いのちとは何か 別冊宝島1505』)

 後戻りできない社会構造のなかで、嘆いたり投げ出したりすることは結局のところドライさを強調していくに過ぎない。

 今、何ができるか。
 鎌田が言うところの「ウェットな資本主義社会」に近づいていくためには、教育の役割は果てしなく重い。その核になるのは、個の尊重とともに連帯感であったり所属感であったりすると思うのだが、つまり人間の「心」をもっともっと意図的に扱う営みがなければ駄目だ。

 手垢のついた「心の教育」では、打ち破ることはできない。