人が大事で、個性が大事で、社会は個性を大事にするように動こうという考えは、つまり日常生活から死が遠ざかってる社会である。
死の隠蔽と個性の尊重は表裏にある。
講談社のPR誌『本』2月号に、コラムニストの堀井憲一郎が書いている文である。落語に関しての連載であり、「左利きのサムライはいたか」というのがその号のテーマであった。
基本的に左利きを無視した社会、時代…そこには確かに現在より「死」が身近にあったのだと思う。
左利きが個性かどうかは検討の余地があると思うが、今当然のように「個性の尊重」が叫ばれる社会は、生存についての危機感が薄いからだとは言えそうである。
しかし、考えてみればそれは極めて限定された地域、限定された時代の代物ではないか。新聞を広げるまでもなく想像できることである。
私たちが育てようとしている個性は、どれほどの強さがあるものなのか…
死の隠蔽と個性の尊重は表裏にある。
講談社のPR誌『本』2月号に、コラムニストの堀井憲一郎が書いている文である。落語に関しての連載であり、「左利きのサムライはいたか」というのがその号のテーマであった。
基本的に左利きを無視した社会、時代…そこには確かに現在より「死」が身近にあったのだと思う。
左利きが個性かどうかは検討の余地があると思うが、今当然のように「個性の尊重」が叫ばれる社会は、生存についての危機感が薄いからだとは言えそうである。
しかし、考えてみればそれは極めて限定された地域、限定された時代の代物ではないか。新聞を広げるまでもなく想像できることである。
私たちが育てようとしている個性は、どれほどの強さがあるものなのか…