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無知と選挙

2009年04月12日 | 雑記帳
 植民地解放闘争の理論家であるフランツ・ファロンは次のように指摘したという。

 無知というのは、知識がないことを意味しない。(中略)そうではなくて、無知というのは、疑問が発せられなくなった状態を指す。

 「はてな」を大事にするというような形で疑問を持つことの重要性を強調しているように見える学校教育だが、それとはまた違う観点で社会への適応性も求められていて、この按配がなかなか難しい…などと考えていて、脈絡もなく今日の選挙のことが頭をよぎる。

 この頃の疑問は、公約の中にある「首長の給料○%カット」である。
 これはいったいどういう意味を持つものだろう。
 
 一見すれば、「ああ自ら貰うお金まで削って頑張ろうとしているのか」という高潔、清廉な印象を与える訳だが、それだけをねらっているわけではあるまい。
 公費節減の一環として、その象徴的な意味合いを持たせている。つまりは全体としての人件費削減に向かうスタートではないか。では何故それを最初に強調しないか。これは一つの集票戦略か、と思う。

 それにしても自らの経済的な価値?を下げることを公約にすることは、はたしていいことなのか。私たちはそんなリーダーを求めているのか、という気もしてくる。
 プロスポーツの一流選手と比べることが妥当かどうかわからないが、首長の果たす役割がそれらより劣るとはけして思わない。給料・報酬のことを問題にして投票が左右されるとすれば、ちょっと情けない感じがする。

 まあこういう考え方自体が経済主義に毒されていることなのかもしれない、と思いながら、今日も投票にいく。