すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

反芻してガツンと響く

2010年12月10日 | 雑記帳
 野口芳宏先生をお招きしての会が終わり、一週間が過ぎた。

 今回は結構長い時間をご一緒させていただき、その感想めいたことは翌日にこのブログにも書いた。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/3913c0ee342e435a43cad0572768c6f7

 今週の仕事の一つとして、特別授業や講演の感想カードをまとめ、抜粋して学校報に載せる作業をした。
 参加していただいた多くの方に先生の素晴らしさに触れていただいたことがわかり、本当に嬉しかった。このあと、地区全戸配布となる学校報が今後の刺激になればと思っている。

 とひとまず、やれやれと腰を下ろした気分になって、ふと気づいたことがある。

 自分も聴いたはずの講演の感想はどうした…と。

 もちろん、その内容は何度も聴いたものではあるのだが、いつも先生のお話は新鮮であり、びっくりさせられたり、印象づけられたりする言葉がある。

 それを遅まきながら反芻してみる。

 もやし個性 

 「個性重視」批判の折に口にされた言葉である。
 現在のような個性重視のあり方によって育つ、ひ弱なイメージが見事に表されている。使える個性、役に立つ個性はどのようにして育てられるか、それはやはり一般性、妥当性に支えられた「常識」を教え、身につけさせることでしかない。

 コウコウキョウイク
 
 これだけを聴くと「高校教育」が普通だろう。
 先生だから「孝行教育」かな、と思う方もいるだろう。これでは部分正解である。
 おっしゃられたのは、「孝公教育」。あまりに「私」に傾きすぎた世の中に警鐘を鳴らす造語である。

 この二つ以上に印象深いのは、講演の最後に著書の紹介はなさったときのこと。
 かなり以前に出された『硬派・教育力の復権と強化』をお持ちになったのだが、これにまつわるエピソードを紹介された。
 教育委員任命の同意を得る議会で話題になったという。つまり体罰に関わる表現である。

 こんど改訂するときには、その部分を省きますよ。
 だから、これは野口の考えが入っている最後の本ですよ。
 
 とあっさり、にこやかに、そのように仰った。
 批判に屈するという意味ではなく、そういう立場にたった人間は表現に気を配る必要性を説かれたわけである。

 務めに正対する思いがガツンと響いてくる。
 まさに「私」よりも「公」という姿ではないか。