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三つの世界にはまる

2010年12月21日 | 読書
 『解剖学個人授業』(養老孟司・南伸坊 新潮社) 

 私にとっては結構難解な本だった。
 しかし、妙にはまる箇所が出てくる本でもあった。

 自分の内なるテーマ(なんかカッコイイぞ)に、「名づけ」があるのだが、その部分にビビッときたのがここである。

 名前をつけることは、ものを「切ること」なのである。 

 解剖という観点で「切る」と物騒な言葉が出るが、確かにそれはそうと納得できる。どこから頭でどこからが頭でないか、それは切ってみることである。
 つまり、解剖とはそうやって切り続けることなのか。
 それが「学」となるとどうやって成立するのか、私などは皆目読みとれないが、何か南伸坊は楽しそうだ。

 第13講で紹介されていることは刺激的だった。
 「世界1 世界2 世界3」と題されたのは、哲学者カール・ポパーの考えを引用したものだが、実に心に沁みた。
 ごく単純に言うと、世界1は事物の世界、2は意識の世界、3は表現の世界ということ。三つの分類によって何か解決できることがとたんに増えた気がするから、不思議だ。

 自分が時折だが長い間ずっと抱えていたことを養老教授が「ごくふつう」と言い切ってくれたので、嬉しいというのもある。

 あなたの見る「赤」と、私の見る「赤」が同じ見え方をしているという保証はない。

 この「赤」は世界2である。その評価は世界3の場で行われる。共有できるとすれば世界3なのだが、個の持つ世界2,3の相違はそう簡単に刷りあわないということ。

 喧嘩や論争、様々な紛争なども結局はそこ。この本は90年代後半に発刊されているから、ああ『バカの壁』もそこから来ているかあ、と今さらながらに気づく。

 それにしても、今自分がいることを、世界1、世界2、世界3と分けてみると…これまたいろいろと考えることができて面白い。
 今日は、朝からそんなことばかり考えていた。