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本当に遠くなった背中

2016年08月22日 | 雑記帳
 むのたけじ逝去の報せを朝刊で知った。

 六月初め、横手市で講演会が開かれる予定であった。
 早々に申し込みをしていたが、本人の体調がすぐれず来秋できないということで本当に残念だった。

 十数年前に、あるネットマガジンに投稿した文章「『むのたけじ』を読もう」を載せ、追悼したい。
 思いは今も変わらず、そして、その背中は本当に遠いものとなってしまった。合掌。



 ◆

 大学三年生だった。附属小学校で教育実習をした時、担当の教官に出身地を尋ねられた。秋田県の南部で、「かまくら」で有名な横手市へ20kmぐらいの所ですよ、と何気なく答えた私に、その教官はこうつぶやいた。

 「横手っていうと、むのたけじがいる所だねえ。」

 初めて耳にしたその名前に、私は首を傾げることしかできなかった。
 そしてそれから数年後、教職についたばかりの自分を励ます、かけがえのない書物の著者として、再びその名前とめぐり合うこととなった。

 『詞集 たいまつ』(評論社)

 「詩」ではない、「詞」である。新書版サイズの一冊の中に六百ほどの詞が並んでいる。一行のものもあれば二十行を越えるものもある。
 郷里に帰った二十代の私を励ましたのは、例えばこんな詞である。


 遠い空も近くの空も、一つの屋根だ。山のかなたの空の下にあるものは、山のこなたの空の下にあるものである。山のこなたにないものは、山のかなたにもない。
 (詞集Ⅰ P21)

 もしも自分のためにかがやくなら、燈台は船をみちびくことができない。
 (詞集Ⅰ P40)


 少し恥ずかしい気もするが、その当時の自分を支えたことは確かだ。「Ⅰ」に続いて発刊された「Ⅱ」も読みきった。
 しかし、その後書棚に収まり、時折背表紙に目をやったことはあっても、だんだんと隅に押しやられるようになっていた。
 自分自身の「たいまつ」が、きっと炎を小さくしていったということだろう。


 昨年暮、むのたけじの「たいまつ Ⅳ」の発刊広告を新聞に見つけた。
 懐かしさというより、一種の驚きを感じながら注文した。深緑のカバーに包まれた300ページ弱の新書を開くと、今年で88歳になるという著者のエネルギー、現実を直視する姿にまた圧倒されてしまった。1988年発刊の「Ⅲ」の存在すら見過ごしていた自分の不明を改めて恥じ、すぐに注文した。


 悪貨に駆逐される良貨は、実は偽者の良貨である。それの存在自体で悪貨を駆逐するもの、それが良貨の本物である。
 (詞集Ⅳ P80)

 祈るなら、あすのためには祈らない。あさってのために祈る。
 あすは、あさってのために働く。

 (詞集Ⅲ P145)


 この厳しさは、生をまっすぐに見据える目だ。その眼差しは常に上向きである。ぐたぐたとした説明はいらない。

 反骨のジャーナリスト、むのたけじ…太平洋戦争終戦を機に新聞社を辞め、地元横手に帰って週刊新聞を立ち上げた。常に民衆の側から反権力、反戦を貫きとおしている。その個人史が産みだした言葉には、その全体重がのり、まったくといっていいほどぶれることはない。

 言葉の結晶に遭遇した快感を覚える。

 こんなに近くに居るのに、なんとも遠い背中である。
 今日は、一歩近づけるだろうか…「むのたけじ」を読もう。