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山女、括りの一節

2016年08月29日 | 読書
 『山女日記』(湊かなえ  幻冬舎)

 ミステリのジャンルではないし、ミステリ的要素といった点もまったくない。
 こんな作品はこの作家には他にあっただろうか。



 でも、この連作長編は面白く読めた。
 やっぱり心理描写がうまいし、泣かせどころも心得ている感じがする。
 小説家ならでは、括りの一節を、いくつかメモしておきたい。

 ◆どこがゴールかなんてわからない。何がゴールかなんてわからない。

 題名が示すように登山を軸として、全編が展開する。
 従って、常に「山頂」がゴールとして存在するわけだが、それゆえ各自の人生と重ねたときに、上の言葉の意味はまた深い。


 ◆雨が降っても一緒にいたいと思える人であることを、誇りに思う。

 「晴れた日は誰と一緒でもたのしいんだよね」という一言が、このラストへのフリとなっている。
 見事に日常の生活とも重なり合う言葉だ。
 登山という状況で、天気に関わりなく一定の気持ちで進めるかどうかは、同行する相手との通じ合いが根底にある。
 その意味で、この一節の示す「誇り」はとても強く感じる。


 ◆人は大なり小なり荷物を背負っている。ただ、その荷物は傍から見れば降ろしてしまえばいいのにと思うものでも、その人にとっては大切なものだったりする。(略)だから、模索する。それを背負ったまま生きていく方法を。

 山登りはしないので考えなかったが、登山はずいぶんと荷物に気を遣う活動だということを、この小説で知る。
 さて、この一節は実に直接的だ。人生の荷物は自分自身の問題であったり、家族のことだったり、人間以外の要素であったり、様々である。背中に感じる重さは他人にはわからない。
 どんなに背負っていても、明るく歩みを進める人もいれば、逆にひたすら苦情と嘆きを口にしていく人もいる。
 生きていくには体力と精神力を養うしかない。そして工夫も必要だ。