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多元信仰に気づく

2016年08月08日 | 読書
 『朝採りの思考~シンプルな目を育てる』(外山滋比古 講談社)


 ぎょうせいから出版されていた『悠』という月刊誌に、7年間ほど連載されたエッセイの集約だ。私も定期購読したが、時期的にはその少し前に載っていた文章だ。外山氏の思考は、視点が豊かであり、凡人の凝り固まった常識と言われるものを見事に揺さぶってくれる。この本も考えさせられる項目が満載だった。


 「単元・多元」という項が実に興味深かった。『悠』は教育関係者対象の雑誌なので、たぶんにそうした面が意識されている内容が多い。「単元学習にふりまわされた戦後の歴史」という表現があるように、外山氏は欧米との比較から、日本の特性に目を向けず、単元的な発想を取り入れることには懐疑的、批判的だった。



 戦後、欧米の真似をして取り入れられたシンポジウムやディスカッションなどについて、厳しい一節がある。「日本の討論会は、ほぼことごとく失敗である」…自分も仕事に就き、数多く討論会に参加してきた。そして心から「成功」「収穫があった」と言えた会はどれほどあったか。そう、確かに「ほぼことごとく」ない。


 その理由は、「シングル・プロットの構造」が「日本人の感覚に合わない」からだと言う。確かにと思ってしまう自分がいる。「多元信仰」である日本人には、いわば雑多なことから自分に引き寄せる方が合うのだろう。菊池寛が案出したという座談会のような形が、興味や学びを立ち上がらせるということに納得する。


 数年前、ある研修会の場でグループ討議の冒頭に、先輩教師が「ここは雑談に徹してみよう」と放った一言がいつまでも忘れられない。それまではテーマ追究的な議論を好んで設定した自分が、何故か深い共感を覚えた。マンネリ打破という以上に、方法として目を見開かされた気がしたのだ。やはり多元信仰なのだ。