『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(伊集院静 集英社)
伊集院の「自伝的長編小説」と称される作品は、たくさんある。
全部とは言わないが多く読んでいる。
描く時代によって違いはあるけれど、弟の死と肉親との確執、そして二度目の妻の死ということが、いずれも大きな位置を占めているし、繰り返し重ねられていく無常観のようなものだ。
ファンは厭きずに、それを読む。
今回登場する「愚者」つまり対役となる三人は、傍目からみたらいずれもアウトローだ。
また作者自体がそれを上回る存在なので、無頼への愛こそがテーマと言って間違いない。
しかしその無頼者たちを「愚者」と名づけたのだから、作者が伊達歩の名で書いたあの名曲「愚か者」の詞を、改めて紐解いてみるのも面白い。
♪愚か者よ おまえの流した涙を受けよう
愚か者よ 私の胸に ほほをうずめて 今夜は眠れよ♪
この出だしから始まり、次に少し「愚か」の中味が語られる。
♪見果てぬ夢に 男はさまよい 女はこがれる
ルージュを引けば 偽りだけが いつも真実 それが人生♪
そして、あのサビの部分が考えどころだ。
♪ごらん金と銀の器を抱いて
罪と罰の酒を満たした
愚か者が街を走るよ
おいで金と銀の器を抱いて
罪と罰の酒を飲もうよ
ここは愚か者の酒場さ♪
「金と銀の器」をどう見るか。
直接的には「見果てぬ夢」の入れ物だが、夢そのものが形を成したとも言えるかもしれない。
しかし、そこに注がれるのは「罪と罰の酒」
うーん、ちょっとやりきれなくなる。
唐突に、この歌は、マッチじゃ無理で、やはりショーケンでしょ、という結論になる。
何も結論は出ていないが。
さて本文に戻り、少し心に引っかかった箇所が一つある。
作者の書いた小説を数多く読んだが、私の読んだ範囲で初めて「秋田」の女が登場する。
当然、フィクションだから作者が材料にするわけだが、「自殺の多い県」としてのイメージを使っている。
女の人物背景や、一人の愚者の自殺する場所として匂わせているのだ。
払拭したいと周りが騒いでもどうにもならぬこともある。
と、伊集院の書くような終わり方をしてみた。
伊集院の「自伝的長編小説」と称される作品は、たくさんある。
全部とは言わないが多く読んでいる。
描く時代によって違いはあるけれど、弟の死と肉親との確執、そして二度目の妻の死ということが、いずれも大きな位置を占めているし、繰り返し重ねられていく無常観のようなものだ。
ファンは厭きずに、それを読む。
今回登場する「愚者」つまり対役となる三人は、傍目からみたらいずれもアウトローだ。
また作者自体がそれを上回る存在なので、無頼への愛こそがテーマと言って間違いない。
しかしその無頼者たちを「愚者」と名づけたのだから、作者が伊達歩の名で書いたあの名曲「愚か者」の詞を、改めて紐解いてみるのも面白い。
♪愚か者よ おまえの流した涙を受けよう
愚か者よ 私の胸に ほほをうずめて 今夜は眠れよ♪
この出だしから始まり、次に少し「愚か」の中味が語られる。
♪見果てぬ夢に 男はさまよい 女はこがれる
ルージュを引けば 偽りだけが いつも真実 それが人生♪
そして、あのサビの部分が考えどころだ。
♪ごらん金と銀の器を抱いて
罪と罰の酒を満たした
愚か者が街を走るよ
おいで金と銀の器を抱いて
罪と罰の酒を飲もうよ
ここは愚か者の酒場さ♪
「金と銀の器」をどう見るか。
直接的には「見果てぬ夢」の入れ物だが、夢そのものが形を成したとも言えるかもしれない。
しかし、そこに注がれるのは「罪と罰の酒」
うーん、ちょっとやりきれなくなる。
唐突に、この歌は、マッチじゃ無理で、やはりショーケンでしょ、という結論になる。
何も結論は出ていないが。
さて本文に戻り、少し心に引っかかった箇所が一つある。
作者の書いた小説を数多く読んだが、私の読んだ範囲で初めて「秋田」の女が登場する。
当然、フィクションだから作者が材料にするわけだが、「自殺の多い県」としてのイメージを使っている。
女の人物背景や、一人の愚者の自殺する場所として匂わせているのだ。
払拭したいと周りが騒いでもどうにもならぬこともある。
と、伊集院の書くような終わり方をしてみた。