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愚か者の話の読み方

2016年08月06日 | 読書
 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(伊集院静 集英社)


 伊集院の「自伝的長編小説」と称される作品は、たくさんある。

 全部とは言わないが多く読んでいる。
 描く時代によって違いはあるけれど、弟の死と肉親との確執、そして二度目の妻の死ということが、いずれも大きな位置を占めているし、繰り返し重ねられていく無常観のようなものだ。
 ファンは厭きずに、それを読む。


 今回登場する「愚者」つまり対役となる三人は、傍目からみたらいずれもアウトローだ。
 また作者自体がそれを上回る存在なので、無頼への愛こそがテーマと言って間違いない。
 しかしその無頼者たちを「愚者」と名づけたのだから、作者が伊達歩の名で書いたあの名曲「愚か者」の詞を、改めて紐解いてみるのも面白い。



 ♪愚か者よ おまえの流した涙を受けよう
  愚か者よ 私の胸に ほほをうずめて 今夜は眠れよ♪


 この出だしから始まり、次に少し「愚か」の中味が語られる。

 ♪見果てぬ夢に 男はさまよい 女はこがれる
 ルージュを引けば 偽りだけが いつも真実 それが人生♪


 そして、あのサビの部分が考えどころだ。

 ♪ごらん金と銀の器を抱いて
  罪と罰の酒を満たした
  愚か者が街を走るよ
  おいで金と銀の器を抱いて
  罪と罰の酒を飲もうよ
  ここは愚か者の酒場さ♪


 「金と銀の器」をどう見るか。
 直接的には「見果てぬ夢」の入れ物だが、夢そのものが形を成したとも言えるかもしれない。
 しかし、そこに注がれるのは「罪と罰の酒」

 うーん、ちょっとやりきれなくなる。

 唐突に、この歌は、マッチじゃ無理で、やはりショーケンでしょ、という結論になる。
 何も結論は出ていないが。


 さて本文に戻り、少し心に引っかかった箇所が一つある。
 作者の書いた小説を数多く読んだが、私の読んだ範囲で初めて「秋田」の女が登場する。
 当然、フィクションだから作者が材料にするわけだが、「自殺の多い県」としてのイメージを使っている。
 女の人物背景や、一人の愚者の自殺する場所として匂わせているのだ。

 払拭したいと周りが騒いでもどうにもならぬこともある。

 と、伊集院の書くような終わり方をしてみた。