すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

表紙の色彩に獲りこまれる

2017年06月13日 | 読書
 小説を読んでいて思わず惹きこまれることは珍しくないけれど、読んでいくうちに自分の心がなんだかある色に染まっていくように意識しまうことがある。もちろん、読む中身で決まるわけだが、意外と本の表紙色に左右されることもあるのかもしれない。そう考えると、最近読んだこの2冊は典型的なのかもしれない。



2017読了64
 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(湊かなえ 光文社)

 『山女日記』や『物語の終わり』『望郷』など、ミステリ色の薄れた作品が多くなった気がしていたが、この作品は、湊かなえ全開!という感じがするいわゆる「イヤミス」だ。似ている感じの六つの短編が並ぶ。近い時期に『母性』という著も刊行されていて、改めて母娘関係を大きなテーマとして背負う人だと思う。


 視点人物を変えながら章立てする技法は、湊に限らず最近よく使われている。それは「人はすれ違うものだ」という前提をもと組み立てられるわけだが、どこで接点を見出すか(もしくは分裂するか)が、「事件」を呼び込む。小説家という人種?は、その作業を止めないからこそ出来るのだと思う。凡人は辛くなる。


2017読了65
 『ラン』(森絵都 理論社)

 ファンタジーなのだろうが、現実にあるどうしようもない重さを表した物語だ。読者が心底から納得してしまうフレーズも満載だ。例えば「スイッチの位置って、本当に人それぞれだよね。すぐに手に届くところにスイッチを持って生まれた人間と、うんと背伸びをしなきゃ届かないところに持って生まれた人間がいて…


 この話にも母娘の確執を抱える人物が登場する。その黒く鬱々とした心とどんな環境を絡ませるかが、作家の発想力だし、展開は人間の見方そのものに結びつく。その意味では湊とは対照的だなあ。文中にある「美化する余地のない冷酷な、そして強烈な『生』」の表現も、人間の見方が変わればベクトルも違うだろう。