誰に言われたのか、どんな場面での話だったか、まったく覚えていないが、その言葉だけははっきり耳に残っている。
「雑草という名前の植物はない」
確かに総称としてごく普通に使っているが、個々の植物にとっては甚だ失礼なこと(のようである)。
かと言って、積極的に一つ一つ覚えようとするほどの興味もない、と正直に告白しておこう。

ただ、個人的に「雑草」という言葉は、かの大関松三郎の詩『雑草』のイメージが強く残っており、たくましさや踏まれ強さの象徴と感じていることも嘘ではない。
自分が小学校6年生の時のちょっとしたエピソードも、そういえば「雑草」が登場していたことを思い出した。
→「あすなろ」の時代の教育2015.1.17
ともあれ、草の勢いを十二分に感じる季節となった。
4月後半からの山菜採りは結構楽しませてもらったが、クマ騒動で少し気が引けるし(と言いつつ、ちゃっかり出かけているが)、それより何より、あまりにも草が伸びすぎて、また棘のある草も多く、これ以上の侵入を許さないという構えをつくっていることに感心して、こんな独り言を書いているのだが…。

この季節、樹木に圧倒されることもあるが、見渡してみると、雑草いや「自然に生えるいろいろな草(by広辞苑)」って本当に凄い。
こんな場所でも、堂々と背筋が伸びている。
「雑草という名前の植物はない」
確かに総称としてごく普通に使っているが、個々の植物にとっては甚だ失礼なこと(のようである)。
かと言って、積極的に一つ一つ覚えようとするほどの興味もない、と正直に告白しておこう。

ただ、個人的に「雑草」という言葉は、かの大関松三郎の詩『雑草』のイメージが強く残っており、たくましさや踏まれ強さの象徴と感じていることも嘘ではない。
自分が小学校6年生の時のちょっとしたエピソードも、そういえば「雑草」が登場していたことを思い出した。
→「あすなろ」の時代の教育2015.1.17
ともあれ、草の勢いを十二分に感じる季節となった。
4月後半からの山菜採りは結構楽しませてもらったが、クマ騒動で少し気が引けるし(と言いつつ、ちゃっかり出かけているが)、それより何より、あまりにも草が伸びすぎて、また棘のある草も多く、これ以上の侵入を許さないという構えをつくっていることに感心して、こんな独り言を書いているのだが…。

この季節、樹木に圧倒されることもあるが、見渡してみると、雑草いや「自然に生えるいろいろな草(by広辞苑)」って本当に凄い。
こんな場所でも、堂々と背筋が伸びている。