すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

名前一つの幸せよ

2021年01月08日 | 雑記帳
 朝と夕方に1~2時間ほど作業をしながら、車庫の積雪や雪庇になんとか対応している。そんななか、先日車庫前の落とした雪を片付けていたら、通りかかった車から「ハル!」と呼びかける声がする。近所に住む小中学校の同級生である。なんだか久しぶりに「名前短縮モード」で話しかけられ、懐かしい気がした。


 同級生で近くに住んでいても、半年も顔を合わさない場合も多く、いろいろ話すことはあるのだが、結局「雪」の話になってしまう。結びはお互いに多少身体を気遣う言葉を交わす。そんなものだろう。しかし誰しもそうとは思うが、あだ名や「下の名前」で呼び終える関係は、齢を重ねれば重ねるほど貴重なものだ。


 そのことが頭に残っていたせいもあるだろう。今年最初の読み聞かせで、冬休み中の「放課後子ども教室」に向かった時のことである。12名ほどの子供たちが待っていてくれて、入るなり「ハルオさん、こんにちは」「ハルオさん、よろしくお願いします」と若い(そう、あまりにも若い)女の子に言われ、めんくらう。



 夏休みも学期中にも何度かお邪魔したからか、名前を憶えていてくれたようである。同行した方からも「あらっ」と驚かれる。どこかこそばゆい様な気もするがそれも悪くない。そう言えば…一年生を担任したとき10人の子たちは「ハルオ先生」と呼んでくれた。名字を呼ぶより一歩だけ近い関係を築けたように思う。


 湊かなえの初エッセイ集『山猫珈琲』に、著者が地域でサークルに参加しメンバー同士の呼び合いを、「下の名前で呼ばれる幸せ」と題して綴った文章がある。ごく平凡な、ありきたりの一コマだ。ただ、名前一つが示す関係性がそこに流れているわけで、その些細なものを受けとめられるのは、幸せの条件でもあるか。