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桜と絵本と豆乳と

それは1958年の記事だった

2021年01月28日 | 雑記帳
 現在、「広報うごを紐解く」と題して、勤務している図書館のブログにシリーズとしてアップしている。創刊時から1年ずつ区切って目に付いた記事を紹介している。昭和の市町村合併によって誕生したのが昭和30年4月。その2年後に第1号が発刊され、月に1回(2回時もあり)ペースで継続されてきている。


 「町と同い年」の年齢なので、自分の幼児期からの出来事を拾っていくような感じだ。公式ブログであり私的な感情や意見は控えめではある。しかしいやあこれ…と考えさせられる記事も少なくない。年度内は確実に続けられると思うのでこのページでも折を見て紹介したい。いわばB面…通(笑)好みに渋くいきたい。


 昭和33年11月に発行された20号の紙面に驚いた。



 町の広報に「討議法(ディスカッション)のいろいろ」と題されて、「話しあい」の仕方がレクチャーされている。
 それは大きく四つに区分され、さらに細かく複数示され、図化などもされているのである。

◎円卓式討議(ラウンド・テーブル・ディスカッション)
◎対談式討議(インタビュー)
◎公論式討議(フォーラム)
 ・レクチャアフォーラム(講演式討議)
 ・フィルムフォーラム
 ・ディベイドフォーラム
◎講壇式討議(シンポジウム・ディスカッション)
 ・陪席式討議(パネルディスカッション) 
 ・バズ・セッション(六六式討議)


 拙くも国語教育実践を続けてきた者として、なぜこうした提案が広まらなかったのか、少し振り返ってみたい。知識として持ってはいたが、教育界全般にこうした手法の広がりは、少なくとも昭和のうちは感じられなかった。自分にしても手掛け始めたのは平成初期、つまりこの記事から三十数年後ということだ。


 粗く言えば「読み書き」優先の教育、それは高度成長期の社会が求めていたからだ。言われた通りに黙々とこなす、事務的な処理力をつけるには、都合がよかったのだろう。集団を育てていく場合、文字言語と音声言語の特質の違いは指導上の大きな要素とも言える。「時間」「記録」「評価」…対照的な手立てが必要だ。


 もちろん「読み書き」中心で伸びた力はある。しかし「話す聞く」が「他者との関わり」と強く結びつくことが、個の成長を考えるうえで大きなポイントではないか。育たなかった議論の文化…。昔の広報を読みながら、その文章に宿る「言わねばならない」力を感じることが多い。それはきっと話合いで鍛えられた。