すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

川を共に行く覚悟

2021年01月11日 | 読書
 先日の読み聞かせで語った絵本の一つである。

『かわにくまがおっこちた』
(作:リチャード・T・モリス  絵:レウィン・ファム
 訳:木坂 涼  岩崎書店)



 どのくらいあるのか想像もつかないが、絵本には外国人による原作のものが非常に多い。絵本コーナーにいって背表紙だけでも相当あることがわかる。
 どの程度の割合だろうか。半数まではいかないにしても3割以上はあるのではないか。

 そして、外国人による原作絵本の特徴の一つに「あとがき」(まえがきの場合もある)が多いことが挙げられる。

 今回読んだ本にも、著者、画家それぞれの文章が添えられていた。

 川に落っこちたクマが、様々な動物たちと一緒に流れを下っていくストーリー、当然ながらそこには骨太の願いや考えがあるのだなあとつくづく思う。
 日本人でも記す人はいるけれど、案外少ない。
 作品そのもので理解するべきと考える作家が多いのだろうか。それは国民性とも言えるのか。単純な思いつきだが少し興味が湧いてくる。

 この絵本の二人のあとがきを、キニナルキとして数文ピックアップしてみた。

 (著者リチャード・T・モリス)
 他者を受け入れることはそう簡単ではない。特に、まったく異なった個性を持った他者を受け入れることは非常に難しい。けれど、異なる他者との結びつきがなければ、人間は己の一番の長所にも気づくことはできない。自分にあるのが強さなのか弱さなのか、怖れなのか勇気なのかは、他者を通してでしかわからない。


 (画家 レウィン・ファム)
 私たちをつないでいるものは、私たちを分断しているものよりも偉大だということ、そして互いに隔たっていたとしても、その人らしさ、それぞれの持ち味が集まって、同じ川を一緒に下っていると気づかされる

 その思いを知って読むと、また物語に表情が出てくる。語りにも影響するだろうか。

 さて、今、感染症という点ではこの地球全体もこの国も、さらに豪雪である我が地域もまさしく「川」は激流とも言えるが、この行く先をどう見据えていくか。
 一人の乗組員として覚悟がいる。