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崩れた努力さえ糧にする

2022年01月22日 | 読書
 そういえば伊奈かっぺいの姿を見かけなくなった。青森県内ではまだ活躍しているのかな。年末からの書棚整理で見つけ、少し懐かしくなったので再読してみた。方言ブームを巻き起こすとまでいかずとも、彼の語りは独特の魅力があったしなんといっても次の名言がある。「努力というのは、積み重ねるから崩れる




『あれもうふふ これもうふふ』(伊奈かっぺい 草思社)


 上手いこと言うよと思った。単なる駄洒落も含めて言葉に対する見方がユニークでモジリ、ヒネリ、語呂合わせなど、津軽弁以外でも十分に面白い。通常なら「冗談」の一言ですむのだが、ここまで徹底して考え、作り、残すことは職人レベルだ。語を額面どおり受け取らず、意味を惑わせる。つまり「言葉を疑う」


 例えば「上手に泳ぐ、サメ」…読み過ごしそうだが「じょうず⇔ジョーズ」に、へっと思う。例えば「いつも『ぬれぎぬ』を着ている、水泳選手」…解説するまでもないが、週刊誌あたりの秀逸な見出しにも使えそうだ。このような発想が、あの「努力が…」にも結びついたのだろう。しかし、当時1980年頃の学校現場では中学生相手の講演では、大人の目がそこまでこなれてはいなかった。


 よって、青森県教委が伊奈の話を聞かせてはいけないという「カゲの条例」を作ったとか…。それから二十数年後には国語教育研究会の東北大会での記念講演をしていたから、時代の流れは正直だ。ただ、「言葉を疑う」という点に関して、学校教育とどの程度の親和性を持つかは、依然としてなかなか難しい問題だ。


 むろん発達段階を考慮しつつだが、教育は言葉を信じなければ成立しない。さらに多義性、多重性を獲得するには個人差も大きい。伊奈は教育に関して「先生を尊敬しないこと」と提言する。それは盲目的、従属的な姿勢への警告だ。「笑い」で培われるのは、「崩れた努力」さえ「糧」にするたくましさではないか。