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再会とは「何」に会うことか

2022年01月11日 | 読書
 久しぶりの重松本。正月休みにふさわしいか…と手に取った。短編4中編1という構成だ。出版社の書いた帯文が実に端的に、この本の重松ワールドを紹介してくれる。「子育て、離婚、定年、介護、家族、友達。人生には、どしゃぶりもあれば晴れ間もある。」つまり、どしゃぶりや晴れ間の意味を問いかける一冊。


『旧友再会』(重松清  講談社)


 中年以降の読者であれば、ほとんどの人が自分を重ねられる部分が登場するといってよい。それらを現在の世相とうまく切り結んで描かれ、ほんの少し俯瞰的に見ることができるのではないか。読みながら「あるある」とか、ずばり「言い当てられた」感情が湧いてくるような場面に遭遇する。そこが作家の巧みさだ。


 再び帯文にもどれば、これも素晴らしい。「年を重ねると増えていく『再会』の機会。再会は、一度別れたからこそのもの。どう別れたかで、再会の仕方も変わってくる。会いたい人、会いたくない人、忘れていた人。」これは表題作を対象としている文章に見えるが、読めば他の作品すべてに通じているとわかる。




 考えてみれば再会とは、人と再び会う事を指すが、実はその人に関わる出来事を振り返ることであり、その時の自分、経過した時間、心に残っている重さや軽さ等々、多様に展開されるはずである。いったい何が一番に浮かんでくるのか。時間をかけてそこを辿れば、過去の思いや考え、言動の根拠も見えてくる。


 それは紛れもなく自分との再会だ。同期会で思い出話をすれば「あの時は…」で相手とのギャップを感じるのはよくある例だ。ともあれ目まぐるしく経済だけが行き過ぎ、時間は経過していく。本全体の最終一行「昔、ここには急行列車が走っていたのだ。」は、「廃線路」をどう歩むか、現代人への問いかけであろう。