すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「ふつう」と括弧で括る意味

2006年06月17日 | 読書
『学級経営力を高める 3・7・30の法則』(学事出版)を読んだ。

野中信行先生のブログを訪問し強く共感することがあったので購読したが、期待通りのいい教育書だった。

野中先生は、前書きにこう記している。

この一冊は、名人芸などとは無縁な「ふつう」の教師が、「ふつうのクラス」を成り立たせるための学級経営書であり、それ以上でもそれ以下でもない。

この言葉はある意味では謙遜である。
なぜなら「ふつうの教師」に、おそらく単行本などは出せない。
「それ以上でもそれ以下でもない」と言い切るほどの自信を「ふつうの教師」は持てない。

しかし、「『ふつう』の教師」というかぎ括弧の使い方に意味を持たせてみると
これは「当たり前のことを、当たり前にする」という捉え方ができる。

困難な教育現場に、一番求められる考え方のように思う。
4月当初の職員会議で強調したことでもあった。
そして、やはりこれが難しいことを痛切に感じる昨今でもある。

野中先生のこの本は、
周到に計画していくことの大切さを今更ながらに教えてくれる。
そのキーワードが「3・7・30」であり
その発展形は、読者が考えていくことではないかと思った。

いい本だった。
自分が何故進歩しないのかも指摘されたようだった。

「無駄なことに悩んでいる」から…。
若くもなく、担任でもなくなった自分なのでしょうがないか、
と、悩まないことにした。

出会いのある旅を

2006年06月16日 | 教育ノート
修学旅行の引率後に書いた文章である。
もう一つのブログでも同じエピソードを書いた。
つくづく「出会い」は素晴らしいと思う。



「ここへ連れてきていただき、ありがとうございました。…実は、私も教師をしていたんです。」
宮城フルキャストスタジアムで、楽天のスタジアムジャンバーに身を包んだ中年男性に,丁寧な挨拶をいただきました。カクテル光線に映える芝生に見とれる六年生の子供たちに好感をもったようです。

 修学旅行の一日目、夜の活動は野球場でのプロ野球ナイター観戦でした。子どもたちの座った指定席は楽天ファンの陣取るレフト側最前席。熱心なファンの方々に取り囲まれた形での観戦となりました。中でも声をかけていただいた中年の方は、特に積極的な応援で、隣に座った子どもたちにとっては、とてもいい?刺激になったようです。

 この人はきっといい教師だったろうなあ…力の弱い子に対して熱い愛情を注ぎ、負けても負けても、あきらめずに励まし続けたろうなあ…「楽天イーグルス」への熱い応援は、そんな想像ができるほどでした。また隣に座った子らへの気配りも見事で、トイレにわざわざ案内していただくなど、本当にお世話になりました。こうした人との出会いも旅の醍醐味だなあと改めて思います。
 
 さて、家族などでの旅行が一般的になった昨今、なぜ遠足か、なぜ修学旅行かという問いは常に持ち続けなければならないものです。学校教育における大きな役割である「社会性」「集団性」といった面に対して意義を持つ活動ということが答になるでしょうか。同時に「日常」から「非日常」へという点も見逃せません。家や教室とは違う場でどんな行動ができるのか、またそれを「学び」としてどう生かすか…ここに事後の活動の大切さも出てきます。帰った後の家庭でのおみやげ話も、学びのためのいい思い起こしになります。ぜひ、いろんな話を掘り起こしていただければと思います。
(5/25)

「さらう」…目的のある走り

2006年06月15日 | 教育ノート
5月に行われた運動会の前日にcosmos eyesとして書いた文である。
こういう時に「方言」を引き出してくると、考えさせられることが多い。



 帰り道や遊んでいる時に、低学年や中学年の子どもが時折意味もなく駆けだすことを見かける時があります。たぶん内にあるエネルギーがそうさせるのでしょう。運動会の練習でも他の子が「疲れたあ」などと言っている時に、もっと走りたいような顔つきをしている子もいたりします。ケガをしてから全力で走ることのできない私などには本当にうらやましく思え、その姿はまさに輝いて見えるばかりです。

 昔、走競技のことを「はしりっこ」と言っていたと思います。そういえば、「走る」ことは「さらう」と言っていたはずです。「あの人なば、はしりっこ、はやおな」とか「俺なば、さらうな、全然だめだ」などとしゃべっていたことを、ある程度の年配の方だったら記憶があるのではないでしょうか。

 気になって、校長室にある『秋田のことば』(秋田県教育委員会編)を調べたら、やはり「さらう」がありました。方言地図によると、「はしりっこ」も「さらう」も秋田県南部独特の言葉のようです。特に「さらう」は秋田県でしか使われていない方言でした。共通語としての「さらう」は、「奪い去る・持ち去る」「繰り返して習う」などまったく違った意味で、何の関係も見られないようです。

 言葉の響きを考えてみると、「走る」より「さらう」の方が何か素早い動きを感じさせるようで、なかなか動作にマッチするなあと思うのは私だけでしょうか。ただ、どちらかと言えば「走競技」の時に使うというより、「あの子、さらって家さもどっていった」「さらっていって、あれすぐ持ってこえ」などと何か目的があるようなニュアンスが込められるようですね。

 しかし、明日の運動会でもまったくの「走る」だけでなく、チャンス種目のような「さらう」競技があるように思います。今年も、地域各戸からたくさんのご寄付をいただき、賞品が揃えられました。ご家族の方々も、賞品をたくさん「さらう」ことができるよう、種目でも元気よく「さらって」ください。
(5/2)

数字は、ねらいの明確さである

2006年06月14日 | 教育ノート
「『数字』の問題」の続編である。
 書き始めたら、様々なことが思い浮かんできた。



「数字の良さは解釈が一つしかないことである。」 

 これは、熊本県海浦小学校の学校版ポートフォリオ『進潮』と名づけられた冊子の中に、当時の吉永校長が書かれた一文です。海浦小は全国に先駆けて学年の「必達目標」を、外部へ公開したことで知られています。(例「単元テストの平均点が85点以上」「小学校の漢字を400字読むことができる(3年)」)
 吉永校長は、冒頭の文に続けて「必達目標」の良さを説きながらも、こんなふうに続けています。

「ポイントは設定基準の数値化だった。設定するに当たり、最も悩んだことは数値の根拠であり、妥当性だった。私たちは、この面の研究が圧倒的に不足している。」

 確かにその通りで、こういった類の研究、資料は、文科省関係でも極めて少ないはずです。
 先日、3年生のことで「筆速」が話題になりました。その折に思い出したのは、かつて「視写・聴写」の研究をしたときに参考にした、青木幹勇先生(国語教育の大家)の著書でした。

「低学年で1分間に15~20字 中学年で20字~25字 高学年で25字~30字を目標にして この数値を上回った速度で、しかもきれいな文字で書かれるとさらによい」 『第三の書く』(国土社)

 先生方も感じているでしょうが、「筆速」は学習を進めるうえでかなり重要なポイントの一つです。個々に差があり、その差が全体の活動におよぼす影響も見逃せません。従って、「全員残らずある程度のレベルまで」をねらいたい事項といえます。そうなると、目標は数値を入れて文章化されるでしょう。

「明確にねらいが定まれば、それは数字となって表われてくる」
…これが一つの結論ではないでしょうか。 (6/9)

「数字」の問題を、語り始める

2006年06月12日 | 教育ノート
職員向けの連絡文書に、「おまけ」のような形で短い文章を書き始めた。
「『数字』の問題①」というタイトルで6月初めにスタートした。


 「教員評価」の目標や手立てのこと、また「10年研修」の評価のことを考えると、どうしても「数値化」ということが頭に浮かびます。目標設定に数字を入れる学校も、県内には出始めているようです。

 学習指導における評価の「規準」と「基準」の問題が出始めた頃から、数値化については話題になっていて、今また学校評価や人事評価においても大きく取り上げられています。いずれにしろ、もう感情的な反発だけでは防ぎようがない?ところにきている気がします。

 「数字」の持つ危険性は、その内容や質が見えず、量しか表していないことです。例えば、同じ「50点をとった」子でも間違いの中身は様々だったりする、本を「10冊読んだ」といっても、どれだけの本なのか、また読む丁寧さはどうだったのかという問題もある、というようなことです。いわば、教育という場では一番考える必要のあることなのかもしれません。そういった意味での警戒は強くなって当然なのです。
 ところが、ある冊子を読んでいたら、こんな文章を見かけました。

「数字の良さは解釈が一つしかないことである。」

 考えさせられました。 (6/2)

近所の桜が咲く日

2006年06月11日 | 教育ノート
5年生の朝の会に入ったときに感じたことを書いてみた。
cosmos eyesと名づけた最初の文である。


 5年生の朝の会で、「注目のニュース」というコーナーがあります。日直になった子が新聞等から自分の「注目」した記事などを切り取り、みんなに紹介するものでした。その日の日直は、Mくん。持ってきた記事は「ハーブ通り」と題された桜並木の写真でした.

 記事を一通り読んだ後、聞いている5年生からいろいろと質問があり、それに答えていく形になっていました。Mくんは見事な桜の写真に目を奪われたのでしょう。「学校の桜もはやく咲くといいな、と思いました」というようなことを話していました。

 その後、由利本荘市の記事でしたので「『ハーブ通り』と名づけられたのは、おそらく近くにハーブワールドという施設があるからだろう」などと付け加えて話してから、
「秋田県では、いったいどこが一番早く、さくらが咲くのだろう」
と問いかけてみました。天気予報のように、沿岸北部、沿岸南部、内陸北部、内陸南部と分けて選ばせたのですが、沿岸北部に半分手が挙がったりして、意外と子どもたちには縁遠い話題だなと感じました

 知識として「桜前線」が身につくのはもう少し先かもしれませんが、自分たちの住む町ではどこの桜が一番はやく開くのか、これには注目できる子になってほしいものです。
「近所の桜が咲くのはだいたい何月何日頃だ」
「今年は少し遅いんじゃない」
「あそこの木が咲いて何日経てば、ここの木だ」
といった会話の中で、子どもたちに蓄えられていく季節感や自然に対するまなざし。
 こうした感覚は、テレビはけして教えてくれないでしょうから…。(4/27)

before~cosmos eyes②

2006年06月10日 | 教育ノート
二階にある「詩のコーナー」に、真っ先に掲げたのは、
まどさんの「あしよリズムで」という詩だった。


◆4/18
 南階段を上がったところの「詩のコーナー」があったので、月ごとに一つずつ詩を紹介していくことにしました。
 4月は春らしいものを、と思いましたが詩集のページをめくっていて目についたのが、この詩でした。

 まど・みちおさんは「ぞうさん」などの童謡でも有名な詩人です。児童向けの詩、童謡の書き手としては日本の第一人者といってもよいかと思います。
 1909年生まれというまどさんの瑞々しい感性は、私達大人でもはっとさせられることがあります。
 足、そして手の持つ躍動感を見事に表したこの詩は、4月というこの時期にぴったりだと思いました。
 2年生の教室で一緒に読んでみたら、とても元気のよい声が響きました。

 グランドの雪ももうほとんど姿を消し、少しずつ乾いてきています。
 春の運動会まであとちょうど2週間となりました。

before~cosmos eyes①

2006年06月09日 | 教育ノート
「cosmos eyes」と名づけた雑文を学校報に掲載している。
まだ名称を定めていない期間には、こんなことを書いていた。



◆4/7
「朝は顔を洗うんですか」と、子どもに聞かれた職員がいるそうです。

もちろんどこのご家庭でも小さい頃に顔を洗うことをしつけたとは思いますが、生活環境の変化や生活スタイルの多様化が起こってきて、基本中の基本と言えることまであやふやになってきている現実があるのではないでしょうか。できていると思っていることが、実は今はできていなかったり…。
4月を機会に、もう一度お子さんの暮らしぶりに目を向けてみてください。

「あたり前のことをあたり前に、ひとつひとつていねいに行う」
…これも、本校教育の今年のテーマの一つです。


◆4/13
朝、校門の前や玄関に立ち、子どもたちに「おはようございます」と声をかけると、元気よく返してくれる子、ちょっと声の小さい子、目をしっかり見てくれる子、視線を道に落としてしまう子、または関係なく前後の子とおしゃべりしている子…と様々です。

その日の気分もあるでしょうし、性格もあるでしょうから、一概に評価できるものではありません。しかし、「挨拶は人間関係の基本」であることははっきりしていますし、きちんと身につけさせたい事の一つです。
そのために、まず「場をふやす」ことを考えてみました。すぐ目に見える変化はなくても、繰り返しの中で蓄えられる力は大きいと思います。

挨拶の機会が一日にどれだけあるのか、学校の中で、家庭の中で、地域の中で…。共に考えていきたいことの一つです。