すぷりんぐぶろぐ

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サッカーワールドカップのための教育か

2006年06月26日 | 雑記帳
 ここ数日のジャーナリズムは、サッカーの敗北について
あれこれと書きたて、叫び続けている。
目にした新聞記事の中の、次の一節がどうにも心にひっかかる。

 ジーコ監督は評していた。
 「日本の教育ではシュートを打って失敗したことが悪い評価をされる。
 だから、打てるのに打たないでその責任から逃げる。」


 記事は、さらに続けてある教育学の権威者の言葉を並べる。
 
 「日本では間違いをする権利が認められていない。
 教室で子どもたちが発言しないのも間違えるとばかにされるから」


 「失敗を許さない教育と国民性が点取り屋の登場を拒む背景と見立てた」
とまとめてある。

 そこまで言うか、という気分になった。
 そして、この気分こそが、ある意味日本の国民性でもあるように思う。
 
 「敗軍の将、兵を語らず」
…これが日本の文化である。
敗因を考えることはとても大事である。
しかし、将としてそれを口にすることはあまり格好のいいものではない
という意識が私にはある。

 教育学の権威は「間違いをする権利」をどのようにとらえているか。
 仮にそういう傾向が教室の中にあったとしても
失敗を許さない教育の根幹は教室の中にあると断言はできない。
そんな大雑把な見方をしてはいけない。
 事実は緻密に多方面から検討を加えるべきだ。

 確かに点を取れなかったことが敗因ではあるが
多くの点を失ったことも事実である。
 その比較もしないで、まして大会対策や練習方法を大きく取り上げないで
(実際は、取り上げているのだろうが)
教育、国民性というところまで原因を掘り下げるべきか。
そんな時間があったら、するべきこと言うべきことはたくさんあるだろう。

サッカーに勝つためだけの教育をしているわけではない。
野球は勝ちました。女子マラソンも強いです。