すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「さらう」…目的のある走り

2006年06月15日 | 教育ノート
5月に行われた運動会の前日にcosmos eyesとして書いた文である。
こういう時に「方言」を引き出してくると、考えさせられることが多い。



 帰り道や遊んでいる時に、低学年や中学年の子どもが時折意味もなく駆けだすことを見かける時があります。たぶん内にあるエネルギーがそうさせるのでしょう。運動会の練習でも他の子が「疲れたあ」などと言っている時に、もっと走りたいような顔つきをしている子もいたりします。ケガをしてから全力で走ることのできない私などには本当にうらやましく思え、その姿はまさに輝いて見えるばかりです。

 昔、走競技のことを「はしりっこ」と言っていたと思います。そういえば、「走る」ことは「さらう」と言っていたはずです。「あの人なば、はしりっこ、はやおな」とか「俺なば、さらうな、全然だめだ」などとしゃべっていたことを、ある程度の年配の方だったら記憶があるのではないでしょうか。

 気になって、校長室にある『秋田のことば』(秋田県教育委員会編)を調べたら、やはり「さらう」がありました。方言地図によると、「はしりっこ」も「さらう」も秋田県南部独特の言葉のようです。特に「さらう」は秋田県でしか使われていない方言でした。共通語としての「さらう」は、「奪い去る・持ち去る」「繰り返して習う」などまったく違った意味で、何の関係も見られないようです。

 言葉の響きを考えてみると、「走る」より「さらう」の方が何か素早い動きを感じさせるようで、なかなか動作にマッチするなあと思うのは私だけでしょうか。ただ、どちらかと言えば「走競技」の時に使うというより、「あの子、さらって家さもどっていった」「さらっていって、あれすぐ持ってこえ」などと何か目的があるようなニュアンスが込められるようですね。

 しかし、明日の運動会でもまったくの「走る」だけでなく、チャンス種目のような「さらう」競技があるように思います。今年も、地域各戸からたくさんのご寄付をいただき、賞品が揃えられました。ご家族の方々も、賞品をたくさん「さらう」ことができるよう、種目でも元気よく「さらって」ください。
(5/2)